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店内を見渡すと、一番奥の四人掛けの席に顔の無い親子らしき二人の人間が居た。それが信一郎さんと勇将くんであると私は認識すると、「待たせてすみません」と小さく断って、歩実さんと共に席に着いた。
後ろを振り向いて店の全体図を確認すると提供口の向こうでは顔の無い、おそらく七十代らしい店主が厨房に立って中華鍋を振るっている。入り口近くの席では別の客の、顔の無い老人男性が瓶ビールを飲みながらスポーツ新聞を読んでいた。席の中央に視線を顔の無い信一郎さんの頭の上に、黄ばんだ芸能人のサイン色紙らしきものが張られている。誰の物かは分からないが、日付が十五年前の物だから今は注目されていない芸能人のサインだろう。
「ここは僕らが生まれる前からやっているお店でしてね。地元の人間は親子三世代で通っているんですよ」
「そうなんですか」
信一郎さんの言葉に私は不器用に合わせた。地方の親子三世代にわたる常連客が居る料理店の物語など、中編小説およびそれを題材にしたヒューマンドラマの原作になりそうだ。だがこの地域を舞台に何か作品を作ろうと思ったら、顔の無い男の役者をエキストラ含めて大量に用意しないといけないだろう。
「おすすめの料理は、創業以来の人気メニューの五目麺ですよ」
私の隣に座った歩実さんは目で厨房の方を差した。私も少し遅れて、紙の短冊で作られたメニュー表を見ると、そこには何度かの価格改定を行った跡がある、九五〇円の『五目メン』と、麺がカタカナで書かれたメニューの短冊を見つけた。
「それがおすすめなら、五目麺で」
私は半ば夢遊病患者のような口調で、自分が口にするメニューを決めた。作るのはあの顔の無い店主だろうか。もしそうなら、目も口も存在しない人間に昔ながらの料理が作れるのだろうか。
「それじゃあ、注文をお願いします」
手を上げたのは信一郎さんだった。するとどこからか恰幅の良い、この店のおかみさんらしき女性が現れて私たちのテーブルにやって来た。おかみさんにはしっかりと顔があり、店の常連客の事をちゃんと知っているような自信に満ちていた。
「五目麺二つとチャーシュー麺が一つ、それにチャーハンを一つで」
「はい」
おかみさんは素っ気ない様子で注文を承ると、厨房に立つ顔の無い主人に私たちの注文を伝えた。注文を受けた主人の表情は憮然とした職人の表情なのか、それとも笑顔に満ちた物なのかさえ分からなかった。
「勇将はここのチャーハンがすごく好きなんだよな」
突然、信一郎さんが自慢するように勇将くんについて語り出した。チャーハンが好きだなんて、子どもらしいと言えば子どもらしかった。
「そうなんですね」
「まだラーメンを一杯ちゃんと食べられないというのもありますけれどね」
信一郎さんは保護者目線のコメントを付け加えた。確かに小学校に上がる前の子どもには、大人用のラーメン一杯は多すぎるし、食べるのに時間が掛かりすぎるかもしれない。
「お父さんは、何時ここでラーメンを食べるようになったの?」
「小学校に上がる頃だな」
信一郎さんは勇将くんの何気ない質問に、父親らしい返事をした。この二人に顔があれば、私は微笑ましい親子のひと時、小さな幸せとして記憶していい文章にしたかもしれない。だが顔がない二人の親子のやり取りは、それが笑顔に満ちた物なのか、悲しみを隠した偽りの物なのかも分からなかった。
最初に勇将くんが食べるチャーハンが提供され、その後信一郎さんのチャーシュー麺、歩実さんと私の五目麺が提供された。




