9 ようやく助けられました
俺は逃げ出した。
管理者から。
そして、セラたちから。
セラは俺を大事そうに手に包んでいたが、潰さないようにか、はたまた走っているからなのか。
包み込む手にできた隙間からするりと抜け出した。
ヴェントの風魔法の補助もあって、アクアを含めた三人はすごい速さで遠ざかっていく。
(抜け出したはいいものの、どうしよう。)
戦っているイグニスたちをバレないように回復する?
いや、おそらく管理者は俺の魔力を覚えている。近づいた時点でバレるだろう。
俺にできることは何だ…
精霊の回復と、
あとは、
(精霊を、集める。)
そういえば、セラたちの人型は低級精霊の集合体。
それ故にセラたちの魔力が感じ取りにくかった。
それを利用すればどうにかなるかもしれない。
(そうと決まれば、スキル『共鳴核』発動!!)
がさ。
がさがさ。
草陰から、木の根元から、
小さな気配が集まってくる。
数は少ない。
この森の大半は、すでにセラやイグニスたちの元だ。
それでも。
「……みんな。力を貸してくれ」
一匹、また一匹。
精霊たちがすり寄り、輪郭を作る。
腕。
脚。
重心。
(……懐かしいな)
手を握り、開く。
軽く跳ぶ。
問題なく動く。
――ただ一つ。
(……ちっちゃ)
出来上がったのは、どう見ても子どもの体だった。
数が足りないなら、仕方ない。
むしろ、その方が都合がいい。
気づかれないように近づくのが目的なのだから。
森の奥に進むにつれて、空気が変わった。
焦げた匂い。
大地に染み付いた魔力の残滓。
そして――
(……嘘だろ)
視界が開けた瞬間、俺は息を呑んだ。
倒れている。
姿は違っても、魔力の奥底に見覚えがある。
最初に見えたのは、口から何かを吐き出し、横たわっているテラだった。
手は地面に埋もれたまま。最後まで戦おうとしていたことが見て取れる。
その少し先。
紅い髪が地面に広がっている。
イグニス。
拳を握ったまま、倒れていた。
あの激しい光はそこにはない。
(…そんな)
そして一番奥。
雷の残滓がかろうじて空気に漂っている場所。
ルミナが前のめりに倒れていた。
――声が、遠い。
確かに、誰かが何かを言っているはずなのに、言葉として頭に入ってこない。
空気を震わせる音はある。
でも、それは意味を持たず、ただの雑音として弾かれていく。
(……やめろ)
胸の奥が、嫌な音を立てて軋んだ。
見えている光景だけが、異様なほど鮮明だ。
テラの指先。
土に沈みきれなかった掌。
無理やり魔力を引き上げた痕跡。
イグニスの拳。
血の代わりに零れ落ちた、赤い魔力の残り滓。
最後まで、殴る気だった姿勢。
そして――
ルミナ。
前に出たまま、倒れているその背中。
身体にはいくつものひび割れ。
(……俺は)
足が、勝手に動いていた。
「――そこの少年」
管理者が、何かを言っている。
制止か、警告か、あるいは命令か。
分からない。分かりたくもない。
音は、膜一枚隔てた向こう側にあるようだった。
俺の世界には、今、倒れている三人しかいない。
(間に合わなかった?)
その考えが浮かんだ瞬間、喉が詰まった。
(違う……まだだ)
震える指で、ルミナに近づく。
身体を仰向けにすると、胸元に大きな亀裂。
完全には崩れていないが、このまま放置すれば、確実に――。
「……」
名前を呼ぼうとして、声が出なかった。
代わりに、そっと、頬に触れる。
すり、と。
精霊に触れる時の、あの感覚。
祈るような、願うような、共鳴。
(頼む……)
次の瞬間。
――光が、溢れた。
雷の残滓が、逆流するように集まり、体温を取り戻す。
「……っ」
ルミナの指が、ぴくりと動いた。
同時に、背後で空気が裂ける。
殺気。
「――今のは……」
管理者の声。
はっきりと聞こえたのは、そこまでだった。
(来る!!)
本能が叫ぶ。
次の瞬間――
衝撃。
だが、それもまた俺に届かなかった。
光が、前に出る。
「――伏せて!!」
結界。
セラの魔力が、寸分の狂いなく展開され、攻撃を弾いた。
「……やっぱり、でしたか」
苦い声。
ヴェントの声が、わざと明るく響く。
「やっぱりねー!こうなると思ってた!それでこそご主人様!」
「こ、こわ……で、でも……間に合って……よかった……」
アクアの、か細い声。
アクアがルミナに触れると、体の亀裂がみるみる塞がっていく。
亀裂が塞がるたび、ルミナの魔力が安定していくのが分かる。
ひび割れていた輪郭が、元の形を思い出すように整えられていく。
「……アクアさん……?」
かすれた声。
それでも、確かに意識は戻っている。
「ひ、ひぃ……ごめんなさい……でも……触らないと……」
怯えながらも、アクアは手を離さない。
水の魔力が、静かに、しかし確実に流れ込んでいく。
――その瞬間。
再び、衝撃。
空気が叩き潰されるような圧が走り、結界全体が軋んだ。
「――っ!」
光の膜に、無数の亀裂が走る。
一枚、また一枚と、重ねた防御が削られていくのがはっきり分かる。
「結界も長く持ちません! 逃げますよ!」
セラの声が鋭く響いた。
次の瞬間、ヴェントの風が爆発的に吹き荒れる。
体が前へ、強引に引きずられるような加速。
「うわっ……!」
足が地面を捉える感覚すら曖昧になる。
「ほらほらー!落ちたら大変だから、ちゃんと掴まっててねー!」
軽い声と同時に、体がふわりと浮く。
「え、ちょ――!」
セラとアクアがヴェントに担がれる。
抵抗する間もない。
そして、俺も誰かに持ち上げられる。
「今は、走るより抱えた方が速いですわ」
ルミナだった。
雷の残滓を纏ったまま、俺とイグニス、テラをまとめて抱え込む。
無茶だ。明らかに無理をしている。
「ルミナ、まだ完全じゃ――」
「大丈夫ですわ」
即答だった。
「“逃げる”だけなら、これで足ります」
その言葉と同時に、ヴェントの風とルミナの雷が森を突き抜ける。
枝が弾け、葉が裂け、景色が流れる。
背後――
炎が、森を飲み込む。
イグニスが、最後の力で放った火が、追撃を拒む壁となる。
「……へへ……なんか気分がよくなったと思ったら……やっぱりご主人様が近くにいたのか…」
イグニスが、苦しそうに笑った。
「これで……追ってきたら……森、終わりだな……」
「ええ。管理者は“管理者”ですもの。戦っている最中、森に火が移らないように誘導してましたし。」
ルミナは視線を前に固定したまま答える。
「放置はできませんわ」
その通りだ。
追えば、森が灰になる。
鎮火すれば、こちらを見失う。
選択肢は一つしかない。
結界の軋む音が、遠ざかる。
管理者の気配も、次第に薄れていく。
やがて――
森の境界。
空気が、変わった。
重く、濃かった魔力が、ふっと軽くなる。
「……出た」
ヴェントが、どこか安心した声を出す。
次の瞬間、全員が地面に降ろされた。
膝が震える。
足が、ようやく“地面”を思い出す。
俺は、その場に座り込んだ。
生きている。
全員、ここにいる。
ルミナは、最後まで立っていたが――
「……ふぅ」
小さく息を吐いた瞬間、力が抜けた。
慌てて、俺が支える。
「無茶、しすぎだ」
「ふふ……ご主人様に、言われたくありませんわ」
そう言って、彼女は目を閉じた。
イグニスも、テラも、まだ完全ではない。
けれど、確実に“生きている”。
森は、遠ざかった。
だが、胸の奥に残る感覚が告げている。
――これは、終わりじゃない。
管理者は、生きている。
そして、俺たちも。
次に相見える時は、もう“逃げるだけ”では済まない。
それでも。
今だけは――
この逃走の成功を、噛みしめていたかった。




