あまりにも平凡な人生を送り、神に絶賛された男
「まずいぞ……とんでもないことになった……」
男はある産婦人科で生を受けた。
体重3220グラム。元気な赤ん坊であった。
公務員の父、スーパーでパートをする母からたっぷり愛情を受け、すくすくと成長する。
幼稚園では折り紙が好きになり、折り鶴を他の子よりも速く折れることが自慢だった。
演劇では桃太郎の鬼の一人を担当。画用紙で作った金棒を精一杯振るった。
……
男は小学校に入る。
給食では揚げパンとたまに出る鶏の唐揚げが特に好きだった。
ドッジボールでは投げるよりかわす方が得意で、いつも最後の方までコートに残っている常連だった。
勉強は国語が得意で、算数は苦手だ。
夏休みの自由研究では朝顔の観察日記やカブトムシの飼育日記といったものをよく提出した。
週刊少年ファインで連載していた『爆裂戦士ニトロ』が大好きで、主人公ニトロの必殺技をよく真似していた。
決してクラスの人気者というわけではなかったが、この小学校時代にできた友達のうち、三人ほどは生涯に渡って付き合いを持つことになる。
……
中学に入ると、男はソフトテニス部に入部した。
週に何度か校内のコートで汗を流したが、試合では市の大会で三回戦まで行くのがやっとというくらい。
しかし、充実したスポーツライフを送ることができた。
恋もした。
三つ編みがよく似合うクラスメイトの女の子。
ある日の放課後、思い切って告白したが、返事は「ごめんなさい」だった。
「いや、こっちこそごめんね。きちんと返事くれてありがとう」
気にしない風を装ったが、この日はヤケ酒ならぬヤケコーラを飲んだ。
学校の成績は中の上といったところ。やはり国語が得意で、数学は何とか平均点を取れるぐらい。
高校受験は近くの公立高校を志望し、無事合格することができた。
……
高校ではテニスは続けず、打って変わってパソコン部に入る。
校内のパソコン室で他の部員とゲームをやったり、時には本格的なプログラミングをやったりと緩さと真剣さが同居したような部だった。
この時パソコン部でタイピングの基礎を学んだことで、それは後々社会人になってからも役に立った。
高校三年生の時は『町を襲うスライム』なんていう、ドロドロのスライムが町で人を食べまくる動画を制作し、それを文化祭の展示品とした。
授業では文系を選択し、高校二年の半ばから予備校にも通い始める。
いよいよ大学受験。
男はかなり難度の高い大学を志望するが、受験直前にインフルエンザにかかってしまったこともあり、残念ながら不合格。他の滑り止めも落ちてしまう。
「僕はダメな奴だ……ごめんなさい……」
しかし、両親の励ましもあり、奮起。
一浪の末、第一志望には届かなかったが、第二志望の大学に合格した。
こうして男は大学生になった。
……
学部は経済学部に入学。
講義には休まず出席し、順調に単位を取得していく。
さらに再びテニスを始めようと、テニスサークルに所属。
いわゆる遊びを重視するサークルではなく、しっかり練習を行うサークルだったので、男のテニスの腕はかなり上達した。
とはいえその分、飲み会は体育会系なところがあり、無茶な飲み方をさせられることも多々あった。
アルバイトはファストフード店の店員を二年ほど経験。真面目な働きぶりは評価され、最終的にはサブリーダーに抜擢された。
就職活動では面接が苦手で友人たちより苦戦することとなる。
しかし、どうにか中堅どころの印刷機器メーカーから内定を貰うことができた。
卒業論文のテーマは『スマートフォンがもたらす21世紀の経済発展』であった。
……
男は就職し、営業部に配属された。
パソコンが得意ということで、年配社員から事務作業について頼りにされることが多かった。
一方で営業はあまり得意ではなく、営業成績という点では目立たない存在だった。
それでも勤務を続け、やがて一つ年下の女性と職場結婚。
子供は長女と長男の二人が生まれ、幸せな家庭を築く。
その後、男は際立って会社に貢献するエピソードこそないものの、半ば年功序列のような形で課長まで出世。
上からは押さえつけられ、下からは突き上げられ、の典型的な中間管理職になってしまったが、無事定年まで勤めあげる。
妻と子供たちから「お疲れ様」と言ってもらえた時は、男も涙を流す。
「ありがとう……」
20代で会社に就職してからの数十年の苦労が報われた瞬間だったといえよう。
……
定年を迎えた男は、自宅で静かに余生を送る。
妻とはちょくちょく外出し、何日もかけるような旅行は難しいが、日帰り旅行などを楽しむ。
時折、息子と娘が連れてくる孫たちとの交流がなによりの生きがいである。
しかし、70代を迎えたあたりから体が思うように動かなくなり、病院によく通う日々が続く。
ある日、心臓発作を起こし、男は倒れる。
一時は体調が回復し、見舞いに来た家族とも会話することができたが、突如容態が急変。
そのまま静かに帰らぬ人となった。
享年78歳。大きな功績こそないものの、彼は自分の人生を立派に生き抜いたのだった。
***
男はあの世に来ていた。
死者の列に並んでおり、この列は天国行きとなった者たちの列だ。
そして列の前には光り輝く扉があり、その前には白い衣をまとった老人がいる。
扉は天国への入り口で、老人は神である。
天国に行ける人間は、扉に入る寸前に神と一言二言会話ができるという。
「野球に生涯を捧げた人生であったな」
「はい、プロにはなれませんでしたが、天国でも野球を楽しみたいです」
「おぬしのボランティア精神は本当に素晴らしかった」
「ありがとうございます……!」
「プラモを10000体作る、いやはや大したものだ」
「アハハ、それしかやることがなかったもので……」
男は聞きながら、羨ましく思う。
そういえば自分には、神様から褒めてもらえるような突出した部分がないなぁ、と。
思えば徹底して平凡な人生だった。
ゴールまで走り切ったけど、もう少し何か刺激が欲しかったな、と思わないでもない。
しかし、刺激を求めなかったことが自分らしさなのだろうな、とも思う。
程なくして、男の番になる。
神は穏やかな眼差しで告げる。
「おぬしも立派に人生をやり遂げたな」
男は苦笑いする。
「はい。これといって功績のない人生でしたけど……」
すると、神は――
「そんなことはない。もしかすると、人類史上最も功績があるのはおぬしかもしれんぞ。よくやった。胸を張るがよい」
「……へ?」
男はきょとんとするが、会話はここまで。
きっとリップサービスだったのだろうと思いつつ、扉に向かって歩き出す。
神はその背中を、目を細めて見守った。
実は――
『まずいぞ……とんでもないことになった……』
男は歴史上最高、いや最悪といっていい“悪”の才能を持って生まれてしまった。
もちろん、神が意図したわけではなく、新たな人間を世に送り出す過程で砂漠から一粒の砂を見つけるほどの確率で発生する“バグ”が起こってしまったのだ。
もし、男が悪の道に走れば、それは確実に成就してしまうほどの異常な才能であった。
例えば、男が盗みを志したら、世界的な大泥棒になれただろう。
人を騙したいと思えば、全人類を騙すペテン師にもなれただろう。
カンニングをしようとすれば、既存の試験体制を根こそぎひっくり返すような仕掛けを作れる。
サイバーテロを起こしたくてパソコンを習えば、どんなセキュリティでも突破できる最強のハッカーになれる。
人を殺したいと心に決めれば、必ず成功し、しかも絶対に逮捕されない方法を簡単に思いつける。
犯罪組織を作ろうと企んだら、いかなる大国もひれ伏させる組織が完成してしまう。
破滅願望を抱いて人類を滅ぼしたいと願うなら、それも男にとっては容易かった。
もしも「神以上の存在となって、永久に全宇宙を支配したい」という欲望を抱いたとすれば、それすら――
神が気づいた時には、男は赤子として生を受けていた。
そして、一度生み出した生命に直接手を下すのは、神にすら絶対許されぬこと。
もはや、世界の運命は男に委ねられた状態であり、神はそれを見守るしかなかった。
だが、男は人生の途上で幾度となくあった“悪の才能に目覚めるチャンス”をことごとく生かさなかった。
自分に降りかかったトラブルには全て、“悪”という手段に頼らず立ち向かっていった。
80年近く生き、その余りある才能に比べてあまりにも平凡な生涯を終える。
神はほんのわずかに笑んで、扉の中に消える男を見送った。
(天国で安らかに暮らすがよい……。神ですら敵わぬ悪の才能を持ちながら、その才能を生かすことなく平凡を貫いた男よ)
完
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