第三話 いつもの二人
シトリア視点
「お待たせ、リア」
普段から家族や友人から呼ばれている愛称なのに、彼に呼ばれるだけでどうしてこんなにも素晴らしい響きに感じるのだろう。
長い脚をスイスイと動かしながらも、足音の立たないその所作は見事だと心の中で我が従者--アレクヴェールを褒める。
こんなことは彼の中では当たり前のことだから、私も特に口に出したりはしない。私さえ分かっていればいいことだ。
「アレクもあちらの方も、どこも怪我はしていない?」
階段から落ちかけた女子学生を助けに行って帰ってきたとは思えないほど、彼の見た目に変化は何もない。アレクの能力を考えれば無事なのは分かっていても、やはり安堵する自分はいる。
アレクは私の宝物。
従者として騎士として、そして恋人としても私を護り、支え、ともに生きていくと約束してくれた人。
彼は生まれながらにとても強い人だった。しかし、そこから更に努力を重ねたアレクの強さは、相当なものになった。
そんなアレクは、私の問いに至極当然のように頷いた。
「大丈夫だよ。さっきの人も、どこも怪我をしてないと言っていたし、見た限りでは怪我もなかった」
二人とも無事で何よりね、と一安心したところで、アレクから腕を引かれて彼の胸元へもたれかかるような態勢になった。
「アレク?」
「……リア、抱きしめてもいい?」
どこも痛くないのにどうしたのかしらと、見える範囲で彼の全身に目をやるが、やはり変わったところはどこも見当たらなかった。
「どうしたの、いきなり」
「リアの温もりが消えたからさみしいなと思って」
返ってきた答えは何とも可愛らしいもので、思わず吹き出してしまった。
「なぁに、それ。甘えん坊みたい」
くすくすと笑いながら私よりも頭一つ以上高い位置にある顔を下から覗き込めば、拗ねたように唇を尖らせている。
これは本気で申し出ているようだし、その顔はとても可愛いけれど。
「もう少し我慢して」
「もう少しってどれくらい?」
間髪入れずに問いかけられ、思わずその頬へと手を伸ばす。
「馬車に乗り込むまでよ」
私の答えに尖っていた唇は引っ込み、すっと目を細めながらも口角がにやりと上がる。頬に置いた手も取られて、指先に軽く口付けられた。
「馬車では抱きしめてもいいのか?」
蕩けるような目尻に愛おしさが止まらなくなりそうだ。
私の恋人はこんなにも素敵なのだと自慢して回りたいほどかっこいい。
「ええ。さっきのアレク、とてもかっこよかったもの」
二人で馬車へと向かう廊下で、少し先にある階段を歩いていた女子学生が最初の一段を踏み外し、態勢を崩した。
私が、あ、と思った時にはアレクは既に駆け出していて、ご令嬢を抱えて危なげなく階下に降り立っていた。
きっと助けられた方も、アレクに見惚れたでしょうね。
人助けに嫉妬はしないけれど、温もりが消えて寂しいのはあなただけではないのよ、と伝えたい。
「今すぐにでも俺は抱きしめたいけど、やっぱりだめ?」
「そうやって私に夢中なあなたを見るのが好きだから、馬車まで我慢するわ。それに、学園内では主と従者であるようにお父様からも言われているでしょう?」
するりと腕を絡ませて悪戯げに微笑めば、アレクは大きく息を吐き出した。
「はぁー……旦那様は裏切れない……」
私が掴んでいない方の手で顔を覆って大袈裟にため息をつくアレク。本当に憂いているようだから、なんだが可笑しい。
アレク、と声をかければ顔から手が外され、優しい眼差しで私を見つめてくれる。
「早く馬車まで連れていってくれないと。私だって我慢しているのよ」
覗き込むように言えば、にっこりと笑ったアレクから、了解、と返事をされてふわりと体が浮く。
アレクが急いで移動したい時によく取られる格好だ。横抱きにされたのでアレクの首へと自然と腕を回す。
「ちょっと急ぐから、しっかり捕まってて」
言いながら歩き出したアレクの一歩は大きくて軽やかだ。まるで私など重さに含まれていないかのよう。
「日に日にたくましくなるわね」
「あんまり鍛えると制服のサイズが変わりそうだからなぁ。旦那様に悪いから気をつけないと」
「あら。お父様なら、既に今より二サイズ大きいものまでは買ったと言っていたわよ?」
「さすが。精進します」
まだまだ父には敵わない私達は、手を取り合って大きくなるのだろう。それがすごく楽しみだ。