第十七話 辺境伯令嬢がみる夢は
辺境伯令嬢視点
朝から邸内が騒がしく、私はその音で目を覚ました。そういえば今日は、このオジェ辺境伯領に若い騎士が五人増えるのだという。
そのお出迎えのために邸内がバタついているのかと、寝起きの頭で何気なく窓から外を見下ろすと、ちょうど馬に乗った騎士達が門の前に到着したところだった。
そして私は、その内の一人に強いときめきを感じてしまった。
「アレクヴェールです」
騎士がそれぞれ挨拶をしていく中で、最初に覚えたのはその人だった。
「私はここの当主であるベルナール・オジェだ。辺境伯位をたまわっている。そしてこの子は一人娘のニコラ」
「ニコラ・オジェでございます」
「今年で十六歳になる。アレクヴェールの一つ下か?」
「はい」
「歳も近いことだから、仲良くしてやってほしい。なかなか他領に行く機会もなくてな。王都からも遠く、遊び相手は騎士ばかりだったためか少々お転婆なんだが、剣も少しは扱える。時間があれば練習に付き合わせても良いだろうか?」
「もちろんです。我々も時間が空けば訓練させていただいても?」
「ああ。後で案内させよう」
ほとんどを父が話し、アレクヴェールは年齢に関する返事をしただけで、残りは五人の中でも一番年上そうな騎士が会話を繋げた。
アレクヴェールほど美しい騎士は見たことがない。顔の造りもそうだが、何より体付きが素晴らしい。辺境伯領ということで、必然的に争い事が他領よりも多い中で何人もの騎士を見てきたが、これほどまでの人物は初めてだった。
夢を見ているのだと思う。
恋、というものへの夢。
婚約者がいる身ながら、アレクヴェールを意識しない日はなかった。口数が多い方ではないし、表情もあまり変わらない。むしろ無愛想の方だ。
しかし訓練を見ていれば、彼は五人の中でも頭一つ以上、抜きん出ている。私も手合わせをお願いしたが、軽くかわされて彼に汗一つかかせずに終わってしまった。
この人がいいと思ってしまった。
けれど、私には婚約者がいる。幼い頃からの婚約関係にある彼に対して、恋をしているとは思っていない。しかし、家族に近い愛情はある。
伯爵家の次男である彼は、この辺境伯領の婿養子となるべく厳しい鍛錬を積んできてくれた。アレクヴェールには及ばないが、実力者であるし、父の信頼も厚い。
彼との婚約関係を疑問に思ったことはない。だけど、アレクヴェールに対してのときめきもまた、私の中には根付きつつある。
だから私は、勝手に思うだけにした。貴族ならば誰にだってあると思う。政略結婚なんて当たり前なのだから。
それにアレクヴェールは平民だ。どれだけ実力があっても、婿養子になど無理な話だ。心の中でだけ彼にときめくことを許してほしい。
彼ら五人の騎士は、ここ数年に渡り、この国と隣国を分かつ山に拠点をおく山賊を捕らえるために派遣されたそうだ。
これまでも何度か捕らえようと我が領の騎士団も作戦を立て実行したのだが、山賊達は巧みに姿をくらまし、捕らえられてもそれは立場が下の者ばかりだった。
結局はトカゲの尻尾切りで終わり、このままでは隣国への流通にも影響を与えるところまできてしまった。そこで父が国王に王家騎士団の派遣を依頼し、やってきたのがこの五人だったという。
たった五人……と最初は私も父も戸惑ったが、その実力を見て納得せざるを得なかった。
この作戦で中心となるのは間違いなくアレクヴェールだ。彼は騎士団の小隊一つ以上の活躍をするだろう。森の中での動きづらさを考えると、単身でこれだけの実力がある者がいるだけで、作戦の幅をもたせられる。
そして父と私にだけ、今回の作戦は伝えられた。半年から一年かけての計画で、辺境伯領地にいる者でこの話を知っているのはこの場にいる七人だけだとキツく口止めされた。
私は作戦に納得して頷きながらも、半年以上をアレクヴェールの近くにいられることにほのかに喜びを感じていた。
クララック商会から物資が届く日がやってきた。
来る頻度は月に二度程。当然、これも作戦の一つである。商会がわざわざ辺境伯家を訪れることで、山賊達の意識がこちらに向くことを狙っている。あからさまではないかと思うが、あからさまであればあるほど良いそうだ。
騎士を五人増やすほど、その商会が運ぶ荷には価値があると思わせることが出来れば良し。そこまで思われなくても、商会が頻繁に来ることで周りへの意識が減らせられれば良し。
ということで、今日がまさにその日だった。
商会が持ってくるものは様々だ。騎士の剣や防具関連のものもあれば、私のドレスや、邸の調度品などもある。そのどれもが確かに一級品で、作戦でなくても来てくれて良かったと思うこともあるほど。
その商会を束ねるクララック家のご令嬢であるミシェル様が今回は商人に同行してきた。彼女はアレクヴェールと学園でのご学友ということで、二人だけでも話をしていた。
その様子を横目で見ていたら、彼女がアレクヴェールへ束になった手紙を渡した。その手紙を受け取った瞬間、普段は微笑み程度のアレクヴェールが、なんと歯を見せて笑ったのだ。
ご令嬢に何度もお礼を言い、それはそれは大切そうに手紙を手に持っていた。その後はまたいつも通りの彼だったが、帰り際にミシェル様が彼にまた何かを渡したかと思えば、彼は自分がつけていた髪紐をほどき、それをハンカチに包んで彼女へと渡す。ミシェル様は大きく頷き、そのハンカチを大切そうにしまわれていた。その間も二人は笑顔だった。
正直に言えば、ミシェル様が羨ましかった。彼に気兼ねなく話しかけられて、手紙を渡せて、笑顔を向けられる。
でもあの手紙はミシェル様からではなさそうだった。宛名を見た瞬間のアレクヴェールの幸せそうな目……あの目はミシェル様ではなく、手紙の差出人にあてられたものであったように思う。
果たしてあれは誰からのものだったのだろう……
いつか聞いてみたいけれど、それを聞くのが少し恐かった。
一方通行な想いが砕かれる日は、すぐそこにきていると認めたくなかったから。
翌日、アレクヴェールの髪紐がいつもの赤紫色のものではなくなっていた。そんなところに気付くなんて、もうどうしようもないなと心の中で苦笑する。
しかしどうしても気になったので、夕方にすれ違った時に尋ねてみることにした。
「恋人からのプレゼントです」
あまりにもまっすぐ、私の淡い恋心を打ち砕いたアレクヴェールは、恋人を思い出したのかとても優しい顔つきをしていた。
辺境伯家に彼が来てから、私には向けられたことのない表情だった。
「……もしかして、昨日……」
「はい。商会に同行されてきたミシェル様が預かってきてくれました」
いつもアレクヴェールとの会話は一言二言で終わるのに、こんな時には饒舌なのかと、そんなところにもショックを受けている自分がいた。
「……クララックのご令嬢とは、仲が良いの?」
「私よりも恋人の方が先に声をかけて仲良くなりました。私は恋人の従者をしておりますので、気にかけていただいております」
アレクヴェールの言葉に引っかかりを覚え、止せばいいのに踏み込んだことを聞いてしまう。
「恋人の従者……? まさかあなたの恋人は、貴族の方なの?」
「そうです。ファルマージャン侯爵家はご存知ですか?」
「ええ、もちろん。国内でも有名な薬学の家系ね」
言わずとしれた名家中の名家だ。その影響力は公爵にも匹敵すると言われてまでいるほど。
「本来、私は王家騎士団ではなく、ファルマージャン家の従者をさせていただいております。恋人はそのファルマージャン家のお方です」
開いた口が塞がらないとは、このことか。
私は婚約者がいるにしろ、アレクヴェールと自分のことは貴族と平民だからと最初から諦めていた。
なのに彼らは、伝統ある侯爵家のご令嬢と従者であるのに、ここまで堂々と恋人と宣言してしまっている。
「いつかニコラ様にもご紹介出来れば。その時には婚約者となっていられるといいのですが」
最初から私の想いは憧れに過ぎなかったのか。
そう思えるほどに、彼等の間に揺るぎない愛を感じて私はそっと笑った。
「そうね。王都に行く際は是非」
あぁ、婚約者様。どうか夢を見ていた私を許してください。
私はもう一度自分を見つめ直すべく、アレクヴェールに分かれを告げ、自室へと戻った。