第十六話 決意の夜は二人で
シトリア視点
「俺は……行こうと思う」
こうなることは、分かっていた。
「俺から離れないでって言ったのに」
だから、そんなに泣きそうな顔をしないで。
「離れることを選んだ俺を、待っていてくれる?」
震える両腕で抱きしめられながら、私は静かに目を閉じる。
学園で第二学年に上がってしばらく経った頃、アレクが辺境伯領地に王家騎士団と共に向かうことが決まった。
フォルテスト殿下から直々に話があり、アレクの力を貸してほしいと頭を下げられたからだ。
そしてこれはまだ公式に発表されていないため内密にしておくようにといって教えられたのは、近々『騎士爵』が認められることになるという話だった。
この騎士爵とは、武勲をあげた騎士に授けられる称号の一つで、世襲権を持たないため一代限りではあるが、貴族と同等の地位を持つというものだった。
元々はフォルテスト殿下による提案で、ご自身が騎士団に所属する中で、爵位に関係なく実力のある者がもっと評価されるべきだと考えられたそうだ。
これはきっと、アレクのために動いてくれた結果だろう。身内以外で、アレクの実力をいち早く認めてくださったのは間違いなくフォルテスト殿下だから。
おまけのように話されたが、アレクには、ここで名を挙げれば副団長にも認められるぞ、ともおっしゃられていたために、アレクと私の婚約についても考えてくださってのことだ。
そのお気持ちはとても有難かった。ただ、辺境伯領地での計画は一年かけてのものだということで、学園は休学し、一年間を辺境伯の邸で過ごすことが条件だった。
それは出会ってから初めて、私達が離れ離れになることを決断せねばならないということでもあった。
きっとアレクは、話を聞いた時点で決めていたはずだ。でも私にどう言うかをすごく悩んでいたのだと思う。いつもアレクを見ている私が、切なげな瞳で見られていることに、気付かないはずがないのだから。
フォルテスト殿下からのお話があった三日後、夕食後にアレクが部屋に来て、騎士団への同行を決意したことを話してくれた。
震えながら、私を抱きしめて。
思い出すのは、初めて出会った時のこと。突然、私の目の前に現れたのは、細くて小さなアレクだった。
恐怖を前に動けなくなった私を守るようにして、その背にかばってくれた。
アレクの方が傷付いているのに、私を大切にしようとしてくれた。
私にとってアレクはあの頃から変わらない、私だけの英雄であり、誰にも譲れない宝物。
ずっとそばにいてくれた。
まっすぐに愛してくれた。
だから私は、世界一の幸せ者でいられた。
不安そうな声で私に問いかけたアレクに、私はきっぱりと否定の言葉を口にする。
「違うわ、アレク」
広くなった背中に両手を回して、ギュッと体を押し付ける。
全身でアレクを感じられるように。
「私達は離れてなんていないわ。だって、こんなにもあなたは私の心の中にいて、いつもいつも大好きだと思わせてくれるもの」
アレクの心音が聞こえて気持ちが落ち着く。抱きしめられる温もりは、最も安心感を与えてくれる場所。
「距離が離れていても、私はあなたを想うわ。アレクも、私のことを想ってくれる?」
私の問いかけには、息苦しくなるほどの強い抱擁で答えてくれた。
「リアを想わない日なんてない。毎日毎日、何をしてても、どんな時でも、俺はリアのことを考えてる」
もっと苦しくしてほしい。
だってそれが、今の私達に出来る精一杯なのだから。
「だったら何も不安じゃないわ。私の中にアレクはいて、アレクの中にも私がいるもの。きっと大丈夫……ううん、絶対に、大丈夫よ」
アレクが小さな声で大丈夫、と言って、私ももう一度同じ言葉を返す。しばらくそのまま無言で抱き合っていると、ふっと少しだけ腕が緩んだ。
リア、と呼ばれて顔を上げると、私への愛しさを全て詰めたような美しい双眸が、私だけを映し出していた。
「愛してる、リア。今すぐに結婚したい。リアを俺だけのものにしたい」
あまりにも真摯なプロポーズめいた言葉に、こんな時なのに笑わずには言われなかった。
「ふふ。私はあなただけのものだけど……そのために、行くのでしょう?」
「うん。ありがとう、俺のわがままを許してくれて」
「わがままなんかじゃないわ。アレクは私のために行ってくれるんだもの」
「そこは、俺たちのため、だろ?」
その言葉に、喉の奥が少し熱くなった。きゅっと下唇を噛めば、アレクの親指にやんわりとそれをとかれる。優しく撫でられる頬が熱い。
私は自分では気付かない内に、泣いてしまっていたようだ。
「……俺がいない間は、出来れば泣かないでほしい。涙が拭えない」
そう言いながら頬に瞼にキスをくれる。
「頑張るわ。でも……どうしても我慢出来なくなったら……」
続きは、アレクの唇に塞がれた。
枕に顔を埋めて泣くわ、と言おうとしたのに。それすらも許さないなんて傲慢な人だわ、とちょっと意地悪に考える。
「その時は呼んで。帰ってくる」
誰にもリアの涙を拭う権利は譲れない、なんて。
「それはだめよ。アレクは騎士団の一員なんだから。そんなことをしたら叔父様にしかられてしまうわ」
その言葉にアレクの眉間によった皺がおかしくて、つい笑ってしまう。アレクも力を抜いて微笑み、もう一度キスをくれる。
ゆっくりと、お互いの熱を分け合うように。それはとても優しくて、大事にされていると伝わってくる。
私もアレクの首に両腕を回して、一生懸命にそれに応える。
好きよ。大好き。愛してるわ。
「必ず、成功させて帰ってくるから」
「大きな怪我だけはしないでね」
「約束する。毎日、リアを想うよ」
「私もよ。毎日、アレクを想って……無事を祈るわ」
「手紙をくれる?」
「もちろんよ。でもお返事はいらないわ。その時間を体を休めることに使って」
「リアのことを考えて書く手紙より、楽しい時間はないよ」
「それでも、書かなくていいわ。寝ることが優先よ」
「……頑固だなぁ」
「大好きよ、アレク。帰ってきたら、頑固者の私をちゃんと責任を持ってもらってちょうだい」
「喜んで、としか言いようがないな。大好きだよ、リア。愛してる」
「私も……愛してるわ」
合間合間に言葉を紡ぐけれど、それでも唇も身体も長い間、離すことは出来なかった。