第十二話 御者のかわいい妹と弟
御者ジャック視点
ファルマージャン家の御者となってもう何年経ったか。
元々、剣を振るより馬に乗っている方が好きで、家族に促されるままに王家騎士団に入団してからも騎士団の馬小屋に入り浸って、馬の世話や掃除をしていた。
「失礼。君がジャックか? 最近、馬の世話は主に君がしていると聞いたのだが」
入口近くでせっせと馬にブラシをかけていたら、聞き覚えのある太い声に呼びかけられて手を止める。
「はい……主に、俺が……」
そこにいたのは若手から怪物だと恐れられているサンディ副団長の親友であり、元騎士団のマクシムさんだった。
子供の頃に怪我をしていた肘の古傷が悪化したことで退団したそうだが、現役を引退してからニ年ほどになるのに、体格の良さは何ら変わらない。立派な胸板に立派な腕っぷしのお方だが、髪も瞳もほんわかとしたミルクティーを連想させる色をしているからか、不思議と威圧感はそれほど感じられない人だ。
逆に俺のような紺色だったら、恐そうと思われるだろうなと勝手に想像したりした。
でもこの人めちゃくちゃ強いんだよな。だってあの副団長と渡り合ってて、何なら次期団長候補とまで言われていたらしい。
騎士団を辞めるときも、副団長を止められるのはこの人しかいないと、全員が泣いて引き止めたという伝説まである。
時折指導に来ては慕う後輩を増やして帰っていく、と先輩が憧れ混じりに話していたぐらい、騎士団内でも有名な人だ。
そんな人がなぜここに、と思えば、マクシムさんは俺が手入れし終わった馬を一撫でして、
「俺がいた頃より、馬の状態がずっといい。君が熱心に世話をしてくれているからなんだな。こんな馬に乗れるなど、今の連中は恵まれている。もし君が良ければ、気晴らしに稽古に顔を出してくれ。君の剣技を見てみたい」
と、俺の肩に手をおいてそのまま俺を連れ出すこともなく馬小屋からいなくなった。
残された俺は、開いた口が塞がらないというか、状況を理解するのに時間を要するというか。
まぁ、なんと言うか。
「俺、時々は真面目に稽古に行こうかな」
などと、ブラシをかけながら呟いていた。
だってさっきあの人が撫でた馬、ここにいる馬達の中でいっちばん強いけど気位が高く、騎士団内でも撫でられる人は限られている。
それをさらっと撫でて、なんなら馬は自ら近付いてすらいた。
そんな人の言うことだ。すんなりと受け入れられるだろ。
単純なもんだ、人間なんて。
マクシムさんが来ている日だけ稽古を真面目にやるようになった俺は、副団長からは常に渋い顔で見られていた。
「ジャック、お前、本気でやればそこそこ上に行くだろう? お前の馬への情熱を少しは稽古にも向けられたらいいんだがな。しかし、そうすると馬の質が下がるのもな……」
なんて隣でぼやかれたことは何度もある。その後で必ずといっていいほど、
「マクシムはな、俺の大事な大事なお姫様の従者をしているんだ。本当は俺がやりたいが、さすがに弟の家で働くわけにもいかん。希望と現実は異なることが多いというが、俺はお前の気持ちがよく分かるよ」
から始まり、姪であるリア様の自慢話に発展する。
適当に相槌を打っていればいいので楽だったが、一度リア様を間違えて呼び捨てにしたら烈火の如く怒られた。何でこんな人が副団長なんかやってるんだろ、と何度も思ったが、まぁ強いのは確かだし、強制もしてこないから居心地は悪くなかった。
そんなこんなで入団からニ年経ったある日、なんとマクシムさんの働く家が御者を探しているとの噂を聞きつけた。
これだ! と思った。
噂を聞いた翌々日、指導に来たマクシムさんを捕まえて、是非俺を御者にしてくださいと頼み込んだ。
マクシムさんは苦笑しながら、実は俺に声をかけようとしてくれていたこと、その交渉のために副団長に話をしに来たことを教えてくれた。
俺はすぐさま退団届を出し、親には『騎士団辞める』との一報だけ入れてファルマージャン家に住み込みで働くこととなった。親からは引き止める手紙が届いていたが、もう辞めた後なのでとりあえず謝罪文だけは送っておいた。
ファルマージャン家は俺にとって楽園だった。
旦那様であるプラート・ファルマージャン侯爵様は、サンディ副団長の弟とは思えないほど穏やかな性格をされている。初めて挨拶させていただいた時は、見た目は似ているのに性格が真逆なので驚いたものだ。
奥様のリゼット様はまさに才色兼備なお方だ。薬学の研究職もしなければならない旦那様が、領地経営に関しては奥様に頼りっぱなしだといつも奥様にお礼を言っている。領民からの信頼の厚さは、奥様の活躍があってこそだろう。
そしてその子供達であるゼルシオ様とリア様も、まだ子供ながらご両親譲りの博識さで大人びた印象を受けたが、笑うととても可愛らしかった。
「君には歳の離れた兄として、言葉遣いやマナーなど気にせずに、子供達が悪いことをしたら叱ってあげてほしい」
と旦那様から頼まれた時は驚いたが、二人共良い子で怒ったことなど一度もない。
特に俺がこの家ですごいと思っているところは、旦那様が俺達のことを使用人とは呼ばないところだ。
これは旦那様自身が料理や洗濯などが出来ず、助けてくれている人達のことを『使用』なんて言葉では呼びたくない、とのことだ。それが奥様や子供達にも受け継がれていて、恐らく他の貴族の家より邸全体の雰囲気が良いし、仕えている俺達も全員、少しでも旦那様達を助けられるように最善を尽くして働いている。
そして俺がファルマージャン家の一員となって半月後、今度はリア様が薄汚れた子供……アレクヴェールを連れて帰ってきた。
マクシムさんもその場にいて、当時の話を聞いた俺は我が耳を疑った。
まさかあんな細腕で、野犬二匹を追い返せるほどの強さがあるなんて想像がつかなかった。でもリア様に近付いたらものすごい睨んできたので、なんだこいつ、とは思った。
従者として育てるということだったが、その強さを見込んで騎士としても鍛えるつもりだ、というのはマクシムさんがその日のうちに教えてくれた。だからジャックもアレクを気にかけてくれと言われ、もちろんです、と返しておいた。
本当に四六時中、リア様にくっついているアレクだったが、さすがにリア様の入浴の間は一緒にはいられない。ということで、俺が従者達用の風呂へと連れて行き、一緒に入ることとなった。
見れば見るほどほっそい体だったが、触ってみれば必要な筋肉は確かにある。いや、無駄な肉が全て削げ落ちて、必要最低限のもののみ残ったようなかんじだった。
「洗い方とこの辺の使うものは覚えろよ。すぐに自分でやってもらうようになるからな」
無言で頷いたアレクだが、不満そうな顔をして俺を見ている。
「何だ? リア様と離されて不満か?」
また無言で首を振る。
「こればっかりは仕方ないだろ。お前はとりあえず自分で出来ることを増やせ。そうしたらリア様に褒めてもらえるんじゃないか?」
こくりと頷いて試行錯誤しながら体を洗う少年に、こいつを動かすならリア様だな、と確信した。
そしてその数年後。あの副団長とアレクが決闘したとの話は俺の中では完全に笑いのネタだ。まさかあの副団長に正面から挑むやつがいるとは。
騎士団の元同期達と話す機会があって聞いてみれば、あの日のことは騎士団の中でも伝説となっているらしい。
マクシムさんに続いて、この家には騎士団の伝説級が二人もいるとは。愉快でしかないわな。
「ジャック、今度の休みにクララック商会が開く市場に行きたいんだ。馬を出してほしい」
馬小屋で掃除をしていたところ、マクシムさんとの稽古を終えたアレクに尋ねられた。そういえば最近、クララック子爵家のご令嬢と友人になったのだとリア様が喜んでいたから、その子から情報を仕入れたのだろう。
「おーそんなんあるって言ってたな。リア様もか?」
「うん。あと、聞いた話によると、有名な職人から取り寄せた馬用のグッズも並ぶらしい」
「なんだと!?」
クララック商会のものはとにかく質がいい。かと言って値段も高すぎずよく抑えられている。その商会が有名な職人、というのであれば間違いなく良い品だ。
「俺も行く。それぞれ馬で行くぞ」
「馬車じゃないのか?」
「そんなに大きなものは買わないだろ? 人が混み合うから馬車は動きが取りづらい」
「なるほど」
「リア様に馬に乗れる服で来るように言っておいてくれ。旦那様には俺から話をしとく」
「分かった。ありがとう」
素直に頭を下げるアレクに、おう、と返事をして掃除を再開する。アレクは何も言わず掃除道具を持ち出して、俺がまだ手を出していない場所を掃除し始めた。
副団長には悪いが、俺は素直でかわいい妹弟を応援している。当日は二人きりの時間を作ってやろうと、おせっかいにも兄貴分は画策するのだった。