めでたしめでたし?
ちょっと短めです。
クーヴェルト助祭が姿を消してから半年が経ち、朝晩に肌寒さを覚える季節へと移り変わっていた。
もうこのまま戻ってこないのかと思い始めたその日の深夜。
神様への報告を済ませ眠りについたその時にいつか味わった身動きが取れない状態になり、あの冷たい手が現れると私の頬をゆるりと一撫でして消えた。
聖痕を発動させる間も無く消えたそれは、後にはまたあの黒い珠を残していた。
クーヴェルト助祭が戻ってきたのだ、と理解しベッドから出るとファレノに声をかけてから窓際へと移動し外を見回した。
いた!クーヴェルト助祭だ。
月明かりの中、木々の隙間からこちらを見上げる姿は酷く草臥れて見えたが、暗闇にも拘らず燃える様な赤い瞳が私を見詰めていた。
彼は暫くそうした後に手を僅かに誘うように振るうと闇へと踵を返して消えた。
私はファレノと目を合わすと寝静まった皆を起こさないように静かに外出着へと着替えると部屋を後にした。
司祭様はまた留守にしていたので呼びには行けない。代わりに神様へ緊急通信としてありったけの気合いを込めてお祈りしておいた。
準備はバッチリだ。報連相を身に付けた私は無敵なのだ。
草を揺らす音をたてクーヴェルト助祭が消えた方を目指して歩いていくと丘を少し越えた所で開けた場所が現れた。
木々の合間に現れたそれはいつからあったのか、もしかしたらこの一月で準備されたものだろうか。
夏の終わりにこの辺りに来た頃には無かったものだった。
「やあサニー久し振りだネ良い夜だ。髪は少し伸びたようですネ、よかったデス。所でファレノも見ていくのカイ?私たちの儀式ヲ」
いかにも上機嫌そうな声色で語られるそれにファレノは不機嫌そうにそれに答えた。
「お久し振りです、クーヴェルト助祭。どこぞでくたばったんじゃないかと期待していたのですがお元気そうで何よりです。
サニーを一人にしておくと何をされるかわかったものじゃないですから見張らせてもらいますよ。」
ファレノのがきれっきれである。
クーヴェルト助祭が立っている地面に目を向ければ、雲の切れ間から月明かりに照らされたそこには広範囲に緻密な魔方陣が描かれているのが見えた。
周囲は少し血生臭ささが漂っており人間は犠牲になっていないだろうが、代わりに何が使われたのかは考えたくなかった。
「さて、ではサニー、いえ○○はこちらへ。」
また、私の分からない言葉が出てきた。このタイミングで発されるということはもしかしたらそれは私の本当の名前なのかしら。
分からないし今はもうサニーなのだからいいか。
ファレノと繋いでいた手を離し、行ってくるねと伝えるとクーヴェルト助祭に示された場所へと向かった。
「凄いですネ。私こんな数の天使に囲まれた中で凝った術を発動させるのは初めてですヨ。少し緊張しますネ。あなた方!見るのは構いませんが、くれぐれも魔方陣を踏まないようにしてくださいネ。消し飛びますヨ。」
嘘か真か分からないことを喋る彼は始めますネと言い、赤い瞳を爛々と輝かせると、自分の核が埋まっているであろう場所へと手を伸ばし指先をそこへ埋めていった。
抉り出そうとでもしているのか、呆気に取られて凝視していると今度は魔方陣が輝きだした。よく聞けば彼は低い声で何事かを囁いていた。恐らく悪魔語だろうそれは囁き声にしか聞こえず何を言っているのかさっぱり分からない。
私は本当にここに立っているだけで良いのだろうかと思い始めた頃、○○と呼ばれた。
知らずに俯いていた顔を上げれば目の前にクーヴェルト助祭の顔があった。
彼の胸元は真っ赤に染まりその手には核であろうものが握られていた。
「さあ、村人の魂を解放しますヨ。代わりに○○の魂を少し分けてもらいマス。」
と言われた直後に彼の血にまみれた胸からいくつもいくつも光の珠が溢れだした。これ一つ一つが人間の魂だ。
飛び出したそれらは暫く丸い形をしていたが次第に形を人間のそれへと変えていった。
そして光の奔流がおさまると彼は苦しそうに核をあるべき場所へと戻していた。
私を支えにするようにして立っていた彼にそのまま覆い被され片手で顔を固定されると、血塗れの口で噛みつくように口を塞がれた。
あっと思う間もなく、一吸いで魂を一欠片持っていかれただろう事が分かった。
翼を失ったときとは比べようのない程の苦しみと痛みに反射的に離れようともがき手を動かすも意味をなさず、そのままの形でもって魂を少しずつ吸われ続けた。
どこまで吸わせれば約束分が終わるのか、背中の聖痕も淡く光を放つ感覚はしているがクーヴェルト助祭に怯む様子はない。
鼻ごと口を塞がれているために息が出来ないで地上で溺れるように痙攣してきた頃に漸くそれから解放された。
地面に横倒しになり必死に空気を肺に送っていると、その横ではクーヴェルト助祭が苦悶の表情を浮かべ喉や胸をかきむしっていた。
魔方陣はまだ輝きを失ってはいない。まだなんらかの術を行使しているのだ。
時折噎せながらその様子を見ていれば、クーヴェルト助祭は唸り声を上げながら次第に縮みその姿を変え始めた。
黒かった髪が所々金色になり、黒と金の斑模様になっていくと同時に同色の毛が全身から生えてきた。
身体は縮み続け、魔方陣から光が消える頃には私の腕で抱えられるサイズの毛玉になっていた。
魔方陣が光を完全に失ってから直ぐに私の元に来てくれたファレノに身体を起こしてもらい顔中についたクーヴェルト助祭の血を拭ってもらうと二人で毛玉姿になった彼を観察した。
彼は微動だにせずそこに転がっている。これが本当にクーヴェルト助祭だったのか、実際に変化を見ていた私ですら幻覚を疑う程だったがファレノが冷静に聞いてきた。
「サニーがさ、前に教えてくれた瘴気を吸い込む前の黒い魔物の赤ちゃんと思ったって言っていた毛玉ってもしかしてこんなのだった?」
と、そう言えばこんな感じの毛玉だったなと思い出す。ただあの時と違ってカラーリングは派手になったが。
「うん、悪魔の姿になる前の、あの時は今よりもう少し小さくて真っ黒だったんだけどね、似てる」
「その悪魔がクーヴェルト助祭だったんだよな。てことは、きっと神聖な天使の魂に耐えきれなくて自滅したんじゃないか?」
悪魔にも魔物にも聖なるものは基本的に猛毒とも言える劇物だ。まして、核が魔物のそれで人間の肉を大量に圧縮コーティングした上で人間の魂を利用してある程度の生命維持をしていた彼だ。影響が無い筈はなく。
「し、死んじゃったのかな」
「多分な。サニーにとっては気の毒な所もあるかもしれないけれど、正直俺にとっては歓迎するべき事態だよ、これは」
沈黙が落ちる間に空がうっすらと白んできた。もう間もなく夜が明けるのだ。皆が目を覚ます前に部屋に戻らなければ。
吹き付ける風の冷たさに身を震わせながらもこのまなクーヴェルト助祭(毛玉)を放置していくわけにも行かず私はその亡骸を胸に抱えると孤児院へと向かい歩き始めた。
複雑な心境と疲労から話す気力もなく、丘の上まで戻ったところでファレノが亡骸を寄越すように言い、有り難くそれに従った。
朝日が徐々に大地を照らし始めるなか、横目で亡骸を見ながら歩く。
先程は気付かなかったが彼の身体は血の汚れで纏まった毛束が出来ており、歩く度に揺れていた。
それによく見ればこちらに顔を向けていたらしく、閉じられた目は大きめで小さな鼻に小さな口が絶妙なバランスで配置されていてきっと生きていれば可愛いく動いたに違いない。
先程抱えた時に気付いたがこの限りなく丸い身体には短い手足が付いていたのだ。
それと、登頂部付近には小さな三角の耳が対で付いていてその姿はまるで愛玩動物のそれだ。
何て言ったっけ、ポメポメ?っていう動物に似ているのかな
「サニー、さっきからもの凄く見てくるけど、気になる?」
「や、うん。不謹慎だけどこの見た目だと中身があの人だと分かってても可愛いなって思って。」
ファレノからの呆れた視線を甘んじて受け、そうこうしている内に孤児院へと到着した。
血の汚れを落とすために足早に裏庭に回ると井戸から水をくみ亡骸を洗うことにした。
井戸に桶を落として水を汲み上げ桶にある程度溜めていく。
この時期のしかも早朝の井戸の水は信じられないほど冷たくて、早く汚れが落ちる様にファレノが厨房に湯を沸かしに行った。
そうして暫しクーヴェルト助祭の亡骸と二人?きりになる。
亡骸を地面に直に置くのは憚られたので抱えたままで桶の横にしゃがむとお湯の到着を待つ。
主に血で汚れているのは胸元と顔で背中の方は比較的綺麗だったので何気なしに撫でてみると、案外手触りの良い毛質をしていた。
毛が絡むことなく指の間を滑るように通るのが心地好い。
「お待たせ、お湯を持ってきたぞ。布もあるからサニーも汚れを落とすと良いよ。」
ありがとう、と言い立ち上がったとき桶に足を引っ掛けてしまい亡骸を水の中に落としてしまった。
その途端、叫び声と共に亡骸が桶から飛び出してきた。
「冷たいデス!何事ですカ!?」
丸く膨らんでいた身体はその容積を減らし、みすぼらしく濡れ滴りながら憤慨の様子で状況確認でもしているのか辺りを見回している。
ファレノと私は呆然とその様子を見ていると、自然とクーヴェルト助祭と目が合った。
すると取り乱していたのが嘘のように平常に戻った様子でクーヴェルト助祭は呟いた。
「ああ、そういう事ですカ。思いの外サニーの魂の純度が高かったようですネ。」
そう言うとクーヴェルト助祭は少し萎んだ丸い頭で自身を見える範囲で観察すると納得したかの様に頷き再びこちらに視線を寄越した。
「とりあえず寒いので、そちらお湯デスよね?もらってもいいですカ?」
それから桶の水にお湯を足し良い温度になったところでクーヴェルト助祭を一通り洗うと私も顔や髪の汚れを軽く流してから部屋へと戻ることにした。
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「あ、お前ら朝からどこに行って…」
部屋に入った途端ベックに見付かり突っ掛かられたが、私の手元に派手なポメポメが抱かれているのに気付きそちらに目が釘付けになっていた。
「サニーおはよぉ!わあポメポメだぁ可愛いねぇ。面白い色ぉ」
「本当だ、変わった毛色の子だね。まるで神様と悪魔の間の子みたいだ」
クーヴェルト助祭を床に降ろすとオリバーは少し距離を置いて観察を始めた。撫でたりしたいだろうに勝手に触らない辺りお利口さんである。
「日が登る前、鳴き声に気付いてサニーと院の外に見に行ったらこいつがいたんだ。」
「そうなんだ、気付かなかったよ。院長先生が帰って来たらこの子の扱いをどうするか決めなきゃね」
マーディンの言葉に心臓が跳ねたが、ファレノが咄嗟に嘘を付いてその場をやり過ごす事が出来た。
しかし本当にこれからどうしよう。早く院長先生に戻ってきて欲しい、切実に。
その場にいるメンバーで話し合い孤児院の他の子達に見付かると大騒ぎになるだろうからと、院長先生が帰って来るまではこの部屋でこっそり飼うことにした。
その後朝食を交代で食べに行き、その日の予定を擦り合わせてクーさんと名付けられたクーヴェルト助祭のお世話順を決めた。
本当はお世話などするまでも無いのだが、何せ中身がクーヴェルト助祭なのだから。でもルームメイトにそんな事が言えるわけも無いので順番を決めることになったのだ。
決してオリバーのお世話したい光線に屈した訳ではない。
そう言えば意外なことにベックはポメポメが苦手らしくなるべく視界に入れたくないと言いベッドに引きこもってしまったのだ。
クーヴェルト助祭は寝る時になると私のベッドの枕元で勝手に丸くなって眠っていた。
この姿だと本当に可愛いので拒めなくて辛い。
こうしてどうにか三日が過ぎた頃お待ちかねのヴィンセント院長先生が帰って来た。
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「という訳で、こちらがクーヴェルト助祭です。」
孤児院に顔を出した院長先生を捕まえて事情を話して時間を作ってもらったのが昨日の話。
そして本日昼前に司祭館の方へクーヴェルト助祭を籠に入れて運び、説明して実際に見てもらったところだ。
司祭様は眉間を揉むような仕草をして溜め息を付いていた。
「僕が出張から教会に帰って来る度に某かの問題が起きているのはどういうことなのかな?これも神の試練だと言うのでしょうかね、ははは。」
「すみませんネェ、ヴィンセント司祭。私もこんな姿になるとは、まあ可能性としてはあったのですガ。
私の事は帰郷の道中で死んだことにでもしておいて下サイ。ご面倒をおかけしてスミマセン。」
司祭館のリビングにあった青い一人掛け用ソファに座った私の上に堂々と座る丸い身体。
身体の大きさに似つかわしくないバリトンボイスで喋るポメポメは何とも異様で司祭様を困惑させている要因の一つでもあった。
「司祭様。教会としてはどうされますか、この毛色の、動物とも魔物とも取れる姿のものを。」
「そうだね、処分とまではいかないだろうけれど監視対象にはなるだろうね。何か事件を起こしたら即座に殺処分になるだろう。」
ファレノと司祭様が話しているのを聞いて、微妙な立場になるのだと思った。
しかし野性動物ではないのだ。会話が通じるのでどうにか穏便にすませられる筈だ。
いや、会話が通じる時点で限りなく魔物判定されてしまうのか?逆に神獣判定されたら笑えるけど。
「ところでクーヴェルト助祭。貴方が元は悪魔だったというのは聞いていますが、その姿でも何か魔法や魔術といったものは行使出来るのですか?」
「ああ、そういえば試したことは無かったですネ。」
そう言うとクーヴェルト助祭は私の上から飛び降り短い手足を軽快に動かしてキッチンの流し台へと飛び乗った。
何をする気でいるのか皆が見守っていると、クーヴェルト助祭が二言呟くとその視線の先に小さな青白い炎が現れた。
おお、と声が上がる。
「今のは魔法ですがどうやら使える様ですネ。実は人間の身体の時には使えなかったのですガ。動物形態の方が力を出しやすい気がしマス。
魔術の方は、媒体や道具があれば使えると思いマス。」
それなら前から気になっていたあの深夜に現れた冷たい手は何だったのかと聞けば、それは魔術デス。と答えが帰って来た。
「黒い珠が残っていたでショウ?あれに術式を込めて私と感覚を繋いでいたのデス。そして術が終われば力を失い消えマス。何かと使えて便利何ですヨ」
「全く、修道院まで出て助祭になったというのに貴方という人は一体何をしているんですか。」
「今はもう必要ありませんけどネ。サニーとは毎晩一緒に寝る仲になりましタシ。夫婦にはなれませんでしたがこれはこれで良いものデス。」
流し台から再び私の膝の上に移動してきて胸を張るクーヴェルト助祭は満足げに語った。
確かに一緒には寝てるけどさ。
「魔法や魔術が使えるのは不安要素ではありますが、修道院時代からここに来る迄に人に危害は加えていない事と、サニー経由で神も監視をされているという事を併せて考えて、孤児院で貴方が暮らす上で他の子供達の前では喋らない、魔法、魔術は使わないという事を徹底して守れるならば許可します。勿論街中でもそれを徹底して下さい。
それと、あとで首輪を作りますのでそちらを着用してください。所有者ありと野良を見分けるための物ですので、プライドが傷付こうが何だろうが嫌でも外さないようにして下さい。」
「サニーの側に居るために必要な事ならば守りまショウ。
それより私はワンと鳴けば良いのですかネ?それともキャンの方が良いですカ?サニーはどちらがお好きですカ?」
「わ、ありがとうございます!司祭様。
クーヴェルト助祭、じゃなくてクーさん、ポメポメはだいたいキャンと鳴くそうですのでキャンでお願いします。声が高いと尚良いですが、厳しいならあまり鳴かないと言うのも一つの手です」
「なあサニー、あんまりその見た目にほだされないようにな。もう遅いだろうけど…はぁ…不安だ。
去勢しておいた方が安全だろうけど、まさかポメポメの姿でどうこうは、ないよな?流石に」
ファレノが何かよく分からないことを呟いている。でもそんなに不安がるだなんて
「そっか、ファレノはもうすぐ修道院の方に行っちゃうんだったね。さみしくなるなぁ」
「そうだね、もう十二歳になるし。四の月から修道院に行けることになって、それは嬉しかったんだけど今は何だか複雑な気持ちだよ。」
私の膝の上を見ながら眉を寄せるファレノは小さな頃から聖職者になることを目標にしていて、その為の実績作りで奉仕活動が出来る歳になってから私が来るまで司祭様に付いて村を回り治癒の祈りを病気の村人等困っている人達に施していたのだ。
この度その活動が認められ孤児院から修道院への移動が叶ったのだった。
「ファレノ、何も不安になど思うことはありませんヨ。変な輩からは私がサニーを守りマス。あなたは勉強に励みなさサイ。」
「はっはっは、クーヴェルト助祭がそれを言いますか。しかしファレノ、聖職者を目指すなら心配事を抱えていると足を引っ張りかねない。折り合いを付けることも必要だよ。
一年経てば修道者として孤児院への手伝いも出来るようになる。頑張りなさい。」
「はい、司祭様。」
等と会話がありファレノは決意を新たにしたようだった。私も心配をかけないように気を付けよう。
こうしてクーヴェルト助祭の一件は終結を迎えた。




