episode04 今はいつも通りに
あの愉快な騒動の影響により、私をどこかの有力貴族の養子にするという話は、いったん保留になった。
それも当然だろう。
あんなことが限られた人間とはいえ、有力貴族の前に晒されたのだから。
私としてはどこかの養子になれなくても、一向に構わない。
むしろ余計なしがらみも無いし、かえって同情を誘えるというもの。
これからを考えると、あの短絡王太子には感謝してもいいかも知れない。
かなり、結構、少し、ちょびっとだけ……いや、やっぱりやだ。これまでに受けた数々の行いを考えると、とても感謝する気になれないし、したくない。
顔を治す前に一発入れとけばよかった。
そんな私は聖女のために用意された服に身を包んで教会を目指していた。
修道服に似ているが、白を基調としたこれは清楚さに満ち、着る者を勝手に無垢な存在に思わせてくれるありがたい代物。
これのおかげで何もしていなくても、私の聖女然とした雰囲気が保たれていると言っても過言ではない。
養子の話が保留になっても、私の聖女としての公務が無くなるわけではない。
お偉いさんたちはいけ好かないのばかりだけど、私自身、民の事は嫌いじゃない。むしろ好きな部類に入ると思う。
この国に来た初めの頃は、王侯貴族だけでなく、民衆も私を白い目で見ていたけど、公務で彼らと接してきた今では聖女として慕ってくれている。
何ともちょろ……純粋な心なのか。
――昔を思い返すと、表情を保つのが辛いわ。
教会に向かう中、過去を振り返ったヘスティアは、その心の内が顔に出ないように必死に堪えていた。
ちょっと油断すると、顔がにやけてしまいそうになる。
顔にいつもと同じ聖女然とした微笑の仮面を張り付けたまま、周りに聞こえない程度の大きさで小さく笑い声を漏らした。
「はい。終わりましたよ」
「おお。傷も痛みも無くなりました。聖女様、ありがとうございます」
「お礼は必要ありませんよ。私は皆さんが健やかなだけで十分ですから」
私は戦いで負傷した騎士を癒していた。
この世界では人を脅かす魔物が存在する。
力の無い民を守るのは騎士の務めであり、彼らの傷を癒したり、土地を活性化させたり、魔物の侵入を防いだりするのが聖女の務めなのだ。
ただ、騎士が戦うよりも、私が現地に赴いて魔物にえいっとやれば、あっという間に駆除できるのだけど、基本的にはやらない。そんなに聖女の力は安売りしない。そんなことばかりしていては、私に対する有難みが薄れてしまうというものだ。
そんなわけで今日も私はめんど……やりがいのある公務に従事している。
人から求められるのだから、聖女として無視するわけにはいかない。
私の本心はともかくとして、いつものように慈愛に満ちた微笑を浮かべながら、対応していると、治療を終えた一人の騎士から熱い視線を向けられた。
しかも、右手を(勝手に)両手で(暑苦しく)握られて。
「聖女よ! あなたの慈愛、心に染み渡ります!」
そんな芝居かかった台詞を大仰な仕草で私に伝えるのは、この国の騎士でも結構な有望株な人物だ。
私と王太子の婚約なんて水面下で事が進んでいたから、周りが知るはずもない。
そのため、私は以前からこの騎士に熱烈なアプローチを受け続けている。
正直に言うと迷惑極まりない。
むさいし。
暑苦しいし。
何より臭い。
生理的に彼の体臭が受け付けられない。
「過分なお言葉、ありがとうございます」
私はそっと手を引く。本当なら素早く引きたいというか握らせたくも無いのだが、立場というものがある。
だから、可能な限り、私の本心が露呈しないよう気を払いつつ、不自然に見えないように頑張る。そう、私は頑張った。
顔も引き攣ってないか心配だったが、今は一刻も早くこの場を離れたい。
臭くて堪らないから。
踵を返してその場から離れる私の背中に、「好きだ」なんて言葉が投げかけられた気がしたけど、聞こえなかった振りをして、私はさっさと立ち去った。
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