馬車の中で
ちょっとした小話です。
事業の引継ぎや教会関係者に効率の良い神聖力の運用方法の伝達、世話になった人々への挨拶など諸々を終えたヘスティアは、エストスへと戻るため馬車に揺られていた。
外装だけでなく、内装も豪華に誂えられた馬車の周りを、エストスでも指折りの近衛兵五十人が固めている。それだけ馬車の中にいるのが重要人物であることを示していた。
もちろん、ヘスティアもエストスにとっての重要人物に変わりはないが、同乗している人物が主な護衛対象なのは確かだった。
エストス国王太子ヘンドリック――見た目の美しさと纏う空気の雄々しさが共存する、どこか浮世離れしたこの男は周囲の女性を虜にして止まない。
しかし、王太子だからと言って単なる優男というわけでもない。剣の腕も魔法も使え、情勢を読む力もある。
国を背負って立つのに十分な素質を持った王太子、ただ――
「ヘスティア見違えたぞ。女らしく、美しくなった」
女性関係にだらしない。その一点が重大な不安要素だった。
先程から対面に座るヘスティアの体を値踏みするように、視線が上から下まで何度も往復している。確かにヘンドリックが最後に彼女の姿を目にした時と比較すると、大人の女性に近づいたことで可憐さと美しさが何とも絶妙なバランスで両立し、体付きも同じ年頃よりも魅力的なラインを描いている。その変わりようは、まさに蛹が蝶に羽化したかのようであった。
だが、例え記憶にある姿との違いに見惚れただけだとしても、彼女にとっては不快極まりないものであり、実際、ヘンドリックがヘスティアに向ける視線からは邪念を感じる。それでもヘスティアは微笑みを顔に張り付け、悪感情を表に出さないように努めた。
「恐れ入ります。殿下もご壮健そうで何よりです。それと、このたびは迅速な対応ありがとうございました」
「なに、当然のことだ。これは私が描いたのだからな」
恭しくヘスティアが頭を下げて礼を述べれば、ヘンドリックは尊大な態度で返事をした。
そこへ徐に伸びてきたヘンドリックの手が、ヘスティアの濃紺の髪を手に取って弄ぶ。
「宵闇の空を思わす髪色に輝く瞳は、まさしく夜空の星を思わせるな」
――クッサ! よくそんな気障なセリフが出てくるものだわ。
許可も取らず手に取ったヘスティアの髪を弄びながら、優美な笑みを浮かべて平然とそんな言葉を宣う。そんな彼に反吐が出る心地のヘスティアではあるが、「もったいないお言葉です」と、表面上は取り繕った。
――私があなたにそんなことされて喜ぶとでも思っているの? あなたも彼らと同じなんだからね。
ヘスティアの計画はまだ終わっていない。
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