episode23 役者は揃った
ヘイゼルに左頬を殴りつけられた私は床に倒れ込む。
実のところ、この程度は私にとって何でもない。これまで、もっとやばい魔物と戦ってきた私には、守られているだけの努力嫌いでロクに鍛えてもいないヘイゼルのパンチなんて何にもこたえないし、こたえるわけが無い。
でも、今後を考えて演技も必要だから、さもあれに殴られて倒れたように見せる。
あっ、歯とか骨は大丈夫。不穏な空気を感じたから、神聖力で守ったので。あれの安い自尊心を損なわないように調整するのも、私にはお手の物なのだ。
「ヘスティア様!」
リネットが殴られて倒れた私に駆け寄って来る。
私は彼女に「大丈夫よ」と告げた。私の言葉にリネットはもっと表情を歪めてしまった。何だか殴られた私よりも辛そうな顔をしている。本当に大丈夫だから心配しないでほしい。
「はっ! 下賤な者同士は畜生のように傷を舐め合うのがお似合いだな」
私は激昂してヘイゼルに食って掛かろうとしたリネットを制した。
これ以上は彼女の身が危ない。それにここでこんなのに構っていても時間の無駄だし。
「連れて行け!」
指示を出し、こちらに背を向けたヘイゼルの背を命じられた衛兵が睨んだ後、彼は鎖を引きながらも、私を気遣う様にゆっくりと立たせてくれた。
こんなに気遣いのできる方が、あれの下につかなければいけないなんて不憫で仕方ない。思えば、彼は他と違って私を嘲笑することも、蔑んだ目を向けることはしなかった。
――うん。おいおい便宜を図ろう。誠実そうだし、リネットと相性が良さそうだけど。
表は殴られたことが衝撃的だったと見せながらも、中ではそんなことを考えていた私の目に、鎖を引く衛兵を凄い形相で睨みつけるリネットの姿が入った。
――ああ……リネット。私を慕ってくれるのは嬉しいのだけど、彼はそんなんじゃないから。
こっちの私の計画は前途多難かもしれない。
部屋から出ると、ユレイアが待ち構えていた。私の腫れた頬と枷を見て「いい気味よ」と、勝ち誇った笑みを浮かべるが、ヘイゼルが私に遅れて出てきたのを見て表情を一転させると、甘えるような声音で彼に媚びる。ヘイゼルも満更ではないようで、「不届き者に罰をくれてやったぞ!」と、得意気だ。
二人は周りの目も気にせず、べったりと体を寄せ合い、鎖を引かれて歩く私に罵詈雑言を吐きかける。そんな私に向ける周りの目は同情的なものがほとんどだ。
これこそが私の狙い。
短絡思考な二人であれば、先のことを考えもせずに勝手に自分たちの立場を悪くしてくれると踏んでいた。
そのために今回はあえて殴られて腫れた頬を治癒しない。これも周りからの同情を買うのに効果覿面だ。腫れた私の顔をこちらに視線を向ける皆が、痛々しそうな目で見ている。
――順調ね。
私の後ろを歩き、優越感に浸る二人は気付かないだろう。この行いが確実に自分たちの首を絞め、破滅へと一歩、また一歩と進んでいることに。
愚かな彼らは気付かない。その身に結果が返ってくるその時まで。
王城から出れば、門の前にたくさんの人だかりができている。私が街の中央広場に引き立てられることを、事前にイサイアスたちが広めてくれていた。ただ、私が思っていたよりも多くの人が集まっていて、民衆からは空気が揺らぐような怒気が漂っている。しかも、兵をはじめとする王城関係者には鋭い視線を向けていた。特に私の鎖を持つ彼への視線には殺意さえも感じられる。彼は命令に仕方なく従っているだけなので気の毒でこの上ない。
「皆の者、よくぞ集まった! これより聖女を騙り、王族に危害を加えた悪逆の徒を中央広場にて処刑する!」
私自身、この場に押し掛けた者たちの空気に圧され気味だというのに、この王太子は意に介することも無く、平然と民衆に向けて宣った。ある意味、豪胆とも言える。パンチはへなちょこだけど、精神は心臓に毛が生えているのかと思うほどに逞しい。
まあ、空気が読めないだけなんだろうけど。
「ふざけるなー!!」
沈黙が少しの間、流れた後、民衆から怒号が響き渡った。
それも一人二人ではない。この場に集まった誰もが、言葉は違えど、口々に王家を非難している。
「聖女様を処刑だと!? 俺たちが困ってる時に助けてくれたのは聖女様だ! 王家は何もしてくれなかったじゃないか!」
「そうよ! 子どもが流行病で苦しんだ時も、助けてくれたのは聖女様だったわ!」
「俺の故郷の村の問題を解決してくれたのも聖女様だ! 王家の騎士や兵はなんの役にも立たなかったけどな!」
私を処刑しようとする王家を非難する声は熱量を上げていき、言葉の奔流が濁流の如き勢いを持ってヘイゼルたちに叩きつけられている。さすがの彼も民衆の勢いに押され、やっと自分の立ち位置を理解したのか、顔を蒼くして口を引き結んでいた。
今でこそ民衆に慕われているが、この国に来た当初は彼らももれなく私に侮蔑の視線と嘲笑をくれたものだ。実に現金だとは思うけど、力を持たない彼らを鑑みれば仕方の無いことなのかもしれない。
許すかと問われると、微妙なところだけど、別に私が直接手を下さなくても、これからこの国は混迷を深めることになり、民衆も漏れなく苦労することになる。
それはともかく、そろそろ彼が来る頃だろうとは思うけど、早く来てくれないかな。このままだと暴動に発展しかねない。
「随分な騒ぎだな」
暴徒になりかけている民衆の背後からよく通る凛とした声が響く。威厳に満ちたその声を聞いた民衆からは怒号が止み、人垣が左右に割れて道が出来上がった。
その先には金髪を風に靡かせ、白を基調に精微な意匠が施された服を纏い、貴公子然とした青年が立っていた。
エストス国の王太子――『ヘンドリック』
彼こそが策を完遂するために必要な最後のカードである。
――役者は揃った。
私は何年かぶりに見る彼の姿を目にし、この国の現王家の終焉を確信した。
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