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§4

 こうして私はお祖母ちゃんと再会した。あの一夜は熱を帯びたようになった頭で、高窓から見える夜明けの明かりを認める事で明けた。

 その明け方まで、古くて埃の臭いと微かに黴臭いに包まれた日記を前にして、私はそれこそ高校受験以来、こんなに集中した事はない感じで読み進めた。でも、速読した訳じゃない。お祖母ちゃんは所々、フランス語と思える外国語で書いていて、意味が分からない個所が一杯あったから。取り敢えず最初は分からない場所はそのままにして読み進んだ。やがてお父さんが手渡した仏和辞典を片手に何ヶ所か訳したが、時間が掛るし細かいニュアンスが分からないので、後回しにした。


 日記は全部で10冊。ぜんぶ同じ装丁で、たぶん元々は真っ白な厚手の表紙に金箔押しで年号が入っている。一番古いのは『1954』で一番新しいのが『1966』、54から順に55、56と続き、60まで行くと61、62、65がなく、63、64で終わりとなっている。66は開いて見ると真っ白で、最後まで何かを書いた形跡もなにもなかった。それまでと同じ装丁の日記本を買ったけれど、66年は書き出す事はなかった、そしてお祖母ちゃんは日記を書くのを辞めた。そういうことなのだろうか?


 まずはざっと流してみよう、と私は考えた。これは日記で小説ではない。起承転結があって、プロローグからエピローグまで、順番に道が引かれた本とは違うのだから、走り飛ばしても構わないし、全体の流れを掴んで気になったところを重点的に読めばいいのでは?と考えたのだ。

 それは思ったほど良い考えではなかった。やっぱり途中で引っ掛かるところがあれば読み出してしまうし、1週間分読み飛ばすともう、お祖母ちゃんが何の話をしているのか分からなくなったりもした。結局最初から順序立てて読むしかない、と思った時には朝の方が近い時間になっていた。そして、その日から10日間、1日の睡眠時間が2時間程度の日が続く。友達のアキやリンちゃんは呆れたことだろう。授業中に爆睡していたし、話しながら意識が飛んでいたり、訳の分からない独り言を言うものだから。

 でも、最初に読み飛ばしをしてひとつだけ良かったのは、お祖母ちゃんがどんなペースで日記を付けていたのか分かった事と、この日記が全体を通しても『絵日記』だと分かった事だ。そう、私が日記を開いてまず驚いたのは、この、きちんと揃って横書きに記された文字と絵の存在だった。


 お祖母ちゃんは例外的に1ヶ月ほど書いていない時期があっても、後は殆ど1日置きか2日置きに書いていた。最初の2冊はほぼ毎日で、3冊目からそのペースとなると後は『58』までペースは崩れなかった(『59』以降はパターンが違うけれど、それは後で書くつもり)。1日分1ページは変わらない。これも例外があって、日記を離れて詩や絵を書いている部分では、長くて10ページくらいになるところもあった。

 

 若い頃のお祖母ちゃんの字は、歳を取ってからもそうだったけれど、とても丁寧で読みやすい。一字一字手を抜かず丁寧に書いてあり、それは感情が高ぶっているような内容の日でも殆ど変わらず、消したり訂正したりしてある箇所も、とても少ない。まるでお祖母ちゃんが作ったパンの様に完璧だ、と思った。

 大体が万年筆だろう、濃い青のインクで時折鉛筆で書いてある。下敷きを使っていて、筆圧で裏側(勿論、両面使っている)が窪んでいたりしない。それは所々に描かれている挿し絵やスケッチ(まるまる1ページ使ったものや見開き通しで描かれたものは、最早挿し絵とは呼べないだろう)のためだろう。下敷きがないと紙が凸凹して文字はまだしも絵は書き辛いし、裏移りして絵が汚れる。


 またまた脱線するけど、下敷きはどのようなものだったのか、と気にしていたら9冊目、『64』に書かれた最後のページにあった。

 それは次の『66』(正に私がこれを書いている本)が手付かずだったから本当のラストページだけど、最初にざっと捲っていた時にコトリと音を立て、落ちた。セルロイドというやつで薄くペラペラして、古いせいか割れやすい。ヒビとか割れ目がいっぱいあってそれをお祖母ちゃんだろう、セロハンテープや接着剤で繋いでいる。白い地に凱旋門とエッフェル塔が描かれていて、その絵は筆致からお祖母ちゃん作ではない事は直ぐに分かった。“パリ―1955”とあるから、お土産に作られ売られていたものではないか、と想像する。私は日記に劣らず、この下敷きも立派なお祖母ちゃんの形見だと思い、お父さんに断わって貰い受けた。

 実用と言う点から見ると継ぎ目が山になって、平らが命の下敷きとすれば失格だけど、形見って飾っとくだけじゃ意味がなく使ってあげないといけない、と何かの記事で読んだので、今もこれを書きながら使っている。特にこの日記に書くには、お祖母ちゃんと共にずっと一緒にページを進んでいったこの下敷きほどふさわしいものはないだろう。


 話を戻そう。お祖母ちゃんの絵は一目見た時から私は虜になった。うまいなんてレベルでなく、プロ並みの腕前だった。

 それもその筈、そもそもお祖母ちゃんがパリに留学したのは絵を勉強するためだった。それを知ったのは一冊目の日記と後日、お父さんに確認してから。私はそれまでお祖母ちゃんが絵が上手だったとは知らなかった。絵は飾っていたが、それはパン屋さんにありそうな花や風景の複製画で、もちろんお祖母ちゃんが描いたものではなかった。お祖母ちゃんは自分の画才を隠していたんだと思う。 


 お祖母ちゃんの生家は、昔の華族だったという。時代が時代なら伯爵令嬢とかいう感じだったのだろう、そう思うとお祖母ちゃんの品の良さは生まれ付きだったんだ、と納得出来る。

 でも、戦争が終って、貴族制度が日本からなくなって、お祖母ちゃんも普通の女の子になった。日記を読んでも分かるけれど、男勝りの行動派で、決めた事は押し通してでもやり遂げる、良く言えば勝ち気な時代の一歩も二歩も先に行く人だったようだ。しかしあの敗戦後の日本で、お祖母ちゃんのような人が生きて行くのは大変だったろう。


 絵が好きで上手だったお祖母ちゃんは、日本で高校を卒業した後、美術大学に進み、一年後、大学が募集した戦後初めての海外留学生に応募して見事、その権利を射止めた。お祖母ちゃんは両親を説得、漸く許されてパリにあった美術学校へ編入された。

 日記は正にパリに到着したその日から書かれていて、意気込みと軽い興奮が伝わってくる。

 

 絵は毎日ではないけれど様々な場所に描かれ、画材も鉛筆、万年筆、クロッキ、水彩と様々。一ヶ所だけ油で塗られたページすらある。それは後で話すことになる。一番多いのは鉛筆でのスケッチで、万年筆の線画もそれに継いで目立つ。内容も多彩で、窓辺から見た風景、草木や花、静物、虫や鳥、建物、何かの模写もある。

 そして人物。お祖母ちゃんが自分の周りの人物をスケッチしていなかったら、私はここまでお祖母ちゃんの日記にのめり込んだだろうか?

 写真は物事や人物を、後の人達にその人となりを伝え、容姿を明らかにするけれど、当事者が描いた人物画は、肖像とまでいかなくても、性格とか健康面とかそういった内面も見るものに知らせてくれる。特にお祖母ちゃんは人物画が得意の様で、はっとするほど鋭い眼力を持つ男性の顔とか、筋肉が浮き上がって見える上腕とか背中とか、身体のアップや部分をメモのようにスケッチしている。

 どこかでこれと同じようなものを見た記憶がある、と思っていたらダビンチが残したデッサンや図面だった。 あの下書きやアイデアの記述とお祖母ちゃんの日記には、奇妙に似た雰囲気がある。日記と絵とは関連があったり、なかったり、挿し絵のように描かれた静物や風景、花などは関連が乏しいことが多く、季節やその時々にお祖母ちゃんが使ったであろう日用品とかが描かれ、それらをまとめると、人気が出そうなイラスト図案集が一冊ものに出来そうだ。

 でも私が関心があって心も揺さ振られたのは、やっぱり関連あり、の方だ。

 それは人物であることが多い。多分日記に一番多く登場する、角張った顎と秀でた額が特徴の白人男性。まずはこのクロードとお祖母ちゃんの出会う、お祖母ちゃんがフランスに渡った54年8月から日記の話に入ろう。


 と、その前に・・・


 これからやっと日記に残されたお祖母ちゃんの若い日々、お祖母ちゃん言うところの『リラの季節とき』について書いて行くけれど、これを書くのは私の忘備録みたいなものだから、なるべく粗筋やレビューの様に簡単に書いていこうと思っている。

 だから万一、これを読む事になる人(それは、もしかしたら私の未来の子供や孫かも知れないけれど)は、お祖母ちゃんの日記帳自体残っていないのだから、前後関係や端折った部分が分からなくて歯痒かったりするだろう。そこは勘弁して貰いたい。

 お父さんと私が読んだら燃やして欲しい、と言っているお祖母ちゃんの遺志は守りたいし、それは日記をコピーしたり引用したりすることも含んでいる、と私は解釈する。日記の言葉や図絵は私の頭にしか残っていない、そうならないといけない、私は頑なにそう考えた。この文章だって本当は書いてはいけないものだと思う。

 でも私は何かしなくては、自分のこの気持ちを残さなくてはならないような、切羽詰まった感じを抱えて、突き動かされるようにこれを書いている。お祖母ちゃんは画才も文才もあったけれど、私は、絵は教科書やノートの隅にある落書き程度、文章は読んでの通り、ついでに音楽は、中学でクラリネットをかじったけれどものにならなかった。芸術の神様は私に微笑みはしなかったかも知れないけれど、そもそもこれは、芸術云々は関係のない話だ。


 とにかく、私は始めてしまった。決心が鈍らないように、わざわざお祖母ちゃんが手を付けなかった白紙で残された一冊に書き始めたことで、もう書き切るしかない。だから御託を並べるのはこのくらいにして、お祖母ちゃんの話を始めよう。


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