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§登場人物
* 現 代 *
野田 忍
私立女子高に通う十七歳。お祖母ちゃん(雅枝)の遺した日記を読む。
野田 雅枝
パン職人。かつてフランスのパリに絵画留学していた。
野田 晶
忍の父。建築設計士。
野田 日向子
忍の母。
ルーテル派教会の牧師
雅枝が通っていた教会の牧師。雅枝から日記を預かる。
小林 愛美
忍の同級生。皆からカミと呼ばれ一目おかれる。(『アイスランドポピーの神』主人公)
本多 雅人
雅枝の弟。
* 過 去 *
本多 雅枝
名門・本多家の長女。パリに留学する。
ルナール夫人
雅枝のアパルトメントの大家。戦争未亡人。
野田 三郎
調理人。パリで修業中。
クロード・ルフェーヴル
国立芸術大学生。三郎の友人。両親を戦争で亡くしている。
アンリ(・デュポン?)
雅枝の通う美術学校の同級生。インドシナ(ベトナム)生まれのフランス人。
アントワーヌ
雅枝の通う美術学校の同級生。母は舞台女優。
ジャン
雅枝の通う美術学校の同級生。フランス系カナダ人。
レイモン・ギエール
雅枝の通う美術学校の同級生。アルジェリア生まれのフランス人。
ニコラス・ルフェーヴル
クロードの義父。国民議会議員。
イレーヌ・ルフェーヴル
クロードの義母。貴族の末裔だが、パン作りの腕はプロ級。
ビクトル・ピザニ
『三羽の野鴨亭』オーナーシェフ。三郎を雇う。
マリアンヌ
三郎のガールフレンド。市場に勤める。
ジョージ
『三羽の野鴨亭』調理主任。ピザニの右腕のイギリス人。
フェリックス
『三羽の野鴨亭』のパン職人。雅枝の弟子。チャド出身。
ジョバンニ
『三羽の野鴨亭』の調理人。三郎の後継者。イタリア人。
本多家当主
雅枝の父。
今年もライラックの花が満開になった。
薄紫の淡いグラデーションが庭一面に咲き零れている。濃厚な甘い香りが窓辺に漂うと春も本番。毎年、桜が散り始めるとこの花がバトンタッチした様に蕾を開き出す。今日は陽差しが優しく、春風は温もりを伝えて、つい先日まで真冬のコートを着ていたのが嘘のようだ。
「シノブちゃん、そこのお盆を取って頂戴」
「はあい」
生地を延ばす作業台の横に積み重ねられていた中から一枚、木の四角いトレーを渡すと、お祖母ちゃんは手際よく、窯から取り出したバゲットをその上に積み上げて行く。花の匂いに負けず劣らず、焼きたてのパンの甘くて香ばしい匂いが部屋中にパッと広がる。
この瞬間が好きだ。私はお祖母ちゃんのフランスパンの大ファンだ。
お祖母ちゃんは1週間に一度、こうやってパンを焼く。お祖母ちゃんの家は、以前は本当にパン屋だったが10年前、腰を痛めたお祖母ちゃんは潔く店を閉めてしまった。しかし、私だけでなくお祖母ちゃんのパンにはファンが大勢いたから、無理しない程度に焼いてもらえないか、との声が上がって、お祖母ちゃんは毎週土曜日限定で店を開いていた。私は三年前の中二の夏から、こうして腰の悪いお祖母ちゃんを手伝っている。
お祖母ちゃんがパンを焼き始めて50年になるという。お祖母ちゃんは若いころフランスに住んでいたそうで、だからお祖母ちゃんの焼くバゲットやバタールは本場仕込みだ。皮はパリパリっと堅くて、中身はサクサク。口に含むとしっかり歯応えがあって、噛み締める毎にどんどん甘くなってとってもおいしい。でもお祖母ちゃんのパンには、よくあるモチモチっとした食感が無いので、以前に、
「おばあちゃんのパンはモチモチしてないんだ」
と聞いた事があるけれど、お祖母ちゃんは笑って、
「日本のパンはフランスパンじゃないから」
と言っていた。どうやら本場のフランスパンにはモチモチ感がないらしい。その言い方にちょっと胸を張った自信みたいなものがうかがえて、私はとても微笑ましく思った。私自身はパリに行った事なんかないし、高級なフレンチを食べた事もないから想像でしかないけれど、きっとそこらで売っているものよりお祖母ちゃんのパンの方がずっと本場に近いのだろう。すると疑問が湧いてくる。
「おばあちゃん。誰に教わったの?」
「うん?なあに?」
「パンだよ。一体誰に作り方教わったの?」
するとお祖母ちゃんは謎めいた笑みを浮かべると、
「忘れたわ」
実はこの質問は初めてじゃない。もう何度も繰り返し聞いている。その都度、お祖母ちゃんはこうやってはぐらかしてしまう。私が子供のころに同じ質問をした時は気付かなかったけれど、お祖母ちゃんはこの質問をすると、必ず何処か遠くを見るような目付きになって笑みを浮かべる。
忘れてしまったね。覚えてないなぁ。さあ、誰だったか・・・その時々、答えは様々だけど、決まってにっこりとほほ笑んでいる。元々穏やかな人で、お日様みたいにポカポカしている印象があるけれど、この時の笑顔は飛び切りだ。
実は、これについてはヒントがあった。
お祖母ちゃん家のパン焼き窯の上、煤けて薄茶色に変色した漆喰の壁に、古い額に入った写真が飾ってある。大きさは四つ切とか言う普通より少し大きめのサイズで白黒写真だけど、壁に負けずにセピアに変色しているので相当古いものだと分かる。下から見上げると四、五人の男女がエッフェル塔をバックに記念撮影したものだ、とまでは分かるけれど細かいところまでは分からなかった。私がまだ小さかった頃は尚更で、写真の存在に気付いたのも三、四年前。身長が窯の口を超えて、上の壁面が背伸びしなくても見えるようになってからだった。
一度、どうしても気になって、お祖母ちゃんが近所へ買い物に行っている最中、裏庭から脚立を持ち出して窯の上から写真を外し、繁々と眺めて見た事がある。やはりエッフェル塔が背景にそびえ、並木道のオープンカフェの前、5人の人物が肩を寄せ合うように並んでいた。みんな十代から二十代前半くらいで、白人の男性二人と女性一人、日本人の男女二人という顔ぶれだった。その内、日本人の女の子は正しくお祖母ちゃんで、長い黒髪が白いブラウスの肩に流れ、横顔がはっとするくらい美しい。時代はお祖母ちゃんがフランスにいた五十年程前だろう。あの戦争が終わって一段落付いたころ。お祖母ちゃんは二十歳前後のはずだ。この中にパンの秘密も隠されていそうな気がした。
日本人の男性の方は写真でしか見たことのないお祖父ちゃんのようで、ではこの時から付き合っていたのか、と思ったが、よく見るとそうでもなさそうだった。何故なら、写真ではお祖母ちゃんは白人男性の一人に肩を抱かれていて、彼女は顔をその男性の胸に半分埋めて、眼だけカメラの方を見つめている。また、お祖父ちゃんと思しき男性は白人の女の子と手を繋ぎ、おどけて首を傾げている。これではどう見てもお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの関係は、仲の良い2組のカップルの片割れ同士にしか見えない。
お祖父ちゃんは三十歳の若さで、私のお父さんをお祖母ちゃんが産んだ直後に亡くなったそうだから、お祖母ちゃんと結婚したのはこの写真を撮影した時からそんなに離れてはいないはずだった。これは私にとってすごい謎になりそうだったが、なんだかお祖母ちゃんに聞けそうな話題ではなく、私は写真を元通りに掛け直すと、脚立を元の場所に返し、欲求不満を抱えながらも帰って来たお祖母ちゃんにお帰り、と笑顔を向けたのだった。
お祖母ちゃん家の写真の謎は、最初に見た時から私にとってお祖母ちゃん最大の謎、何時かは解かねばならないもののように思っていた。でも直接本人に尋ねる勇気もなく(だって何時でも笑顔を絶やさない老婦人に、配偶者ではない昔の男の話など、どうやって切り出せば聞けるのだろう?)お父さんに聞くのもアレだったので、これは永遠の謎だと一人合点して、それでも幾通りもの妄想を逞しく成長させたりして、私の大好きなお祖母ちゃんはますますミステリアスな存在になっていった。
今も写真は窯の上に見える。永遠に二十歳前後の恋人たち(?)が私を見つめ返している。私は焼きたてのバゲットを頬張りながら、お店の棚にパンを山盛りにしたトレーを運んでいた。そしてせっせとパンをトレーに並べるお祖母ちゃんの後姿を眺めていた。
・・・あの暖かな五月最後の土曜日、お祖母ちゃんが最後にパンを焼いた日の事は、ずっと私の記憶に残るだろう。あの穏やかな陽差しを浴びて、咲き誇るライラックの、まるで香水のような咽返るような甘い香りと、焼きたてのパンから漂う、思わず唾が出そうな甘い薫りは、言うなれば私の思春期のハイライトのようなものだ。
今から思えば、あの平和で幸せな一日から僅か三日で、私の世界はすっかり変わってしまったのだった。