4話 守
(何故ツチが死ねばならん)
戦に出た二人は生き長らえた、正確に言えば相手の温情で生かされたと言って良い。なのに、戦に出ていない屈強な漢が骸になっている。テツは受け入れられずにいた。
「ツチは鬼神の如き強さだったよ。」
ならば何故死んだと心に問うが、理由は分かっている。ツチはたった一人で戦に挑んだのだ。軍を相手に単騎では例え鬼神であっても勝てる道理はない。他の邑人を恨むつもりは無かった。留守に残った女子供の百姓に戦など出来るはずは無い。テツとイシにしてもただ戦場に在っただけだ。それでも幼い男の子などはツチに加勢せずに隠れていた事に後ろめたさを感じて、テツやイシ達のような戦に出た大人達と目が合うとつい顔をそむけて、目線で畑の石を数え始める。
ツチが守護神となって邑を守った。ツチ一人に軍を半壊させられた軍閥は略奪を諦めて退却に至った。立て直しが先だった。
こんな事の為に彼を邑に入れた訳ではない。己のやった事が一人の漢の命運を変えてしまったのか。ツチ自身は後悔をしていないであろう事は、その穏やかに眠る表情から感じ取れる。彼は最期まで百姓であることを捨てなかった。
邑を守らねばならない。
テツは混沌とした思考を必死に纏め上げようと大きく息を吸い込む。それはまるでツチの意志を全て己の身体に取り込もうとしているかの様な感覚だった。
ツチが守ったように、土で邑の守りを固めよう。テツの思考の片隅に戦ってきたばかりのあの土塁と堀を思い浮かべていた。
あの土塁を邑に巡らせる。
邑の周囲を堀で囲む。
邑を土盛りで守る。土盛りは土守だ。
その頃イシの思いは別のところにあった。やはり戦わねばならない。邑から富を奪おうとする輩がいるなら怯えて縮こまっていては蹂躙されるだけだ。駆逐は出来ないとしても、敵が手を焼き、諦めるくらいの事にならないと邑は擦り減るばかりだ。邑の男達を集めて防人となって守る。都にも進言してそれを認めてもらうしかない。警備兵を配置してくれればなお良い。
しかし、そんなイシの考えにテツは首を縦には振らなかった。そればかりか、今まで見たこともない形相で反対した。力と力のぶつかり合いで戦人に、にわか作りの邑の防人が対抗出来る筈もない。都の兵が邑に駐屯などしたらなおさら搾取が増すだけだ。必ず駐屯に掛かる銭を要求してくるはずだ。
しかし、それでもイシが頑なになったのはテツの提案に現実味を描けなかったからだった。邑を土塁で閉ざすだけで守れるとは思えない。せめて土塁で砦のように守りを固めてそれを武器に戦わなくては。そう、戦わなくては意味がないのだ。
「畑の世話をする時間が削られる。」
「前の戦の時にも言ったが、死んだら畑もできんぞ。」
テツにも抵抗するために戦う事の必要性は理解できた。理想を掲げても現実に相手はそんな事に同調しないのだから。しかし、子供達の目を戦人のそれにしたくは無い。そんな姿を見たくないし見せたくもない。それに俺達が戦いに身を投じてしまえば、蛮行を繰り返す軍閥と同類になってしまう気がして心が塞ぐ。イシにもそんな者になって欲しくない。だからこそ怒りをあらわにした。
イシは次第にテツと行動を共にしなくなっていった。邑人の中から独自に同志を募り防人を組織していった。その数は僅か二十ほどなので大したものでは無い。多少訓練を積んだところで戦人が二、三人いれば軽くあしらわれるだろう。しかも、更に悪いことに他の軍閥からは新たな軍閥として警戒と標的としても目を向けられた。ただでさえ前の戦に敗れてからというもの、周辺の軍閥は小競り合いを繰り返しているのだ。都からも防人を独自の防衛組織として認めてはもらえなかった。指揮系統から外れた軍事組織を許さなかったのだ。戦は戦人が担うものであり、防人は都の軍に編入することを余儀なくされた。邑の守りを目的にしていたイシは受け入れられず、邑からも飛び出して周辺に潜伏するに至った。これでは既に盗賊と変わらない。中央政権に属さない軍事組織を悪党というが、まさにそれだった。周辺の大小の軍閥も同じである。それぞれに理想やら理念やらを謳っているが、その実態はほとんどが盗賊でしかない。
都が防人を独立組織として認めなかったのはもう一つ理由があった。いまや国中に知れ渡る事となったツチの武勇も影響していたのだ。邑はツチの存在を隠していたが、その百姓が戦に出ないどころか、邑を襲った軍閥をたった一人で半壊させたのだ。都の領主はその事を理解出来ずにいたし、警戒していた。邑に強く大きな戦力があるのかを疑った。邑としてもツチがどんな存在か言えるはずもなかった。前の軍閥に所属していた戦人などと言えば隠していた責を問われて何人かの首と胴が切り離されてしまう。ただ単に、昔から特異な才があったということにしておくしかなかった。例え都の領主が納得しなくてもそれ以外の事は無いとした。
そのような経緯もあってテツが考えていた土守についてもその目的を都の警戒心から逸らす必要があった。幸いにも、テツが元々副産物として考えていた使い方があった。邑の周辺に雨季の雨を貯める溜池を作る、としたのだ。池を掘る時に『仕方なく』土を池の側に積み上げた事にするのだ。イシが若い男達を引き連れて邑から離れてしまったために、溜池作りの作業は遅々として進まなかったのは避けられなかった。働き手が少ないのだ。それでもなんとか一年をかけて邑の周囲に総構え堀が出来上がった時には都の戦人が血相を変えて怒鳴り込んできたが、そこで改めて邑が潰えれば年貢も途絶える事を強く説いて伏せた。
テツは出来たばかりの土塁の上に立っていつの間にかイシの姿を探す。流石に視界に入るような近場にはその一団は見当たらない。ふと、何故自分はこんなにも戦をすることを拒んでいるのだろうかと思いを巡らせた。ツチにしろイシにしろ、みんな邑のために戦いに身を投じている。俺は何をやっているのだ?何がしたいのだといった疑問が沸き立つと身体の内から心が崩れるような感覚に陥る。それはまるで風にえぐられる砂の楼閣のようだ。戦を拒むのはただの俺のわがままなのか。理想だけを掲げて現実を見ていないのか。俺の考えは無意味なのか?
そんな思いとは裏腹に溜池は畑には非常に役に立った。時期が来て雨が続いた時には邑の近くに水を貯めるという、大きな効果を発揮して河に水を汲みに行く回数は大幅に減らせる。その分は他の野良仕事に充てられる。水の使用料という名目の年貢が減ることは無かったがそれでも生活が楽になった事に変わりない。土塁も堀と合わさってそれなりに効果を発揮した。出入り口が限られているおかげで邑の中を馬に乗ったまま駆ける事が難しくなったのだ。更に邑の入り口には木戸を設けた。軍閥が狼藉を働こうとしても一定の時間稼ぎは出来た。その間に都に助けを求められる。都までは百姓でも駆ければ一刻(二時間)程で辿り着く。都も自分の領地を荒らされて黙っていることは出来ない。都からの戻りは騎馬ならその半分の時間もあれば十分だ。それまで持ち堪えられれば略奪者の背後を突く事が出来る。結局は小さな邑は都の軍力に頼るほかない。それが前の軍閥だろうが他国の戦人だろうが後詰めを頼まなければ生きていけないのだから仕方がない。
ただ、テツとしては邑に戦人が駐屯するのは認めたく無かった。幸いにも不便な邑に好んで留まる事を望む戦人はいない。しかし、この国を支配している領主がテツの提案を受け入れてくれるだろうか。いや、そもそも話を聞いてくれるのかも疑問だ。
領主が会ってくれる筈もない。テツは役人に会うために都に足を運んだ。とにかく権力がある者に話をしてその力に頼るほか無い。役人の駐留する館に向かう道すがら、テツは街を眺めながらゆっくりと歩く。道の脇には河から引き込んだ用水路があり、街の住人の生活用水になっている。もちろん使用料を租税として納めているのだ。水路から水を汲む子供がいる。生活排水は家の裏にある浸透枡に流すと徐々に土に染み込んでいく。水路は野菜を冷やすのにも使われている。網の中に野菜を入れて水路に浸けて紐で縛っておけば良い。生で食べられる野菜は程よく冷やせば旨味を増す。夏なら格別に美味い。テツは水路を眺める。人々の話し込む声や子供の笑い声が聞こえる。
ふとテツは我に帰る。
「・・・これ、だ。」
もう、役人はどうでも良かった。どうせこれから話を聞いてくれる約束を取り付けにに行くところなのだから、現時点で先方とは何も約束をしていない。ただ、お願いの手紙を渡すだけだ。運が良ければ改めて呼び出されて、何日後かに話を聞いてくれるだけのことだ。
今、会う必要があるのは領主でも役人でもない。
テツは向かう先を変えた。
会う必要があるのは役人や領主じゃない。今、行くべきは前の戦相手のところだ。そう思い込んだら既にじっとしては居られなくなった。
(今すぐだ!)