3話 戦
「どうせ俺達を引っ張って行っても戦なんてしねぇんだから連れてくだけ無駄じゃねえか?」
テツとイシの二人は戦うつもりは無い。今回もなんとか戦場の正面を離れて何処かに隠れる腹積もりである。不安なのは邑から離れているので土地に詳しくないことだ。
「そうでもないらしいぞ。戦にもいろんなやり方があるってツチが言ってたな。」
今回の徴兵にはツチは隠して出さない事にした。もしもバレれば懲罰、最悪の場合は打ち首になるかもしれないが、ツチを戦場に出してしまうと戦人に戻ってしまう気がする。そうなれば前の軍閥領主の事も明るみになる訳で、その場合はきっと全員打ち首という同じ結果になるだろう。自分達のためにもツチのためにも彼は戦場に戻すべきじゃない。
「いろんなやり方?」
戦にはいくつかのやり方がある。戦人の数が同じくらいなら武辺の強い方が勝つだろうが、戦略次第では弱くても上手く策がハマることもあるそうだ。大体にして命の取り合いの場でどちらの個が強いかなんて戦人同士なら分からないのではないか。どちらも相当の修練を積んでいるのだから、生き残った方の武運の強かっただけだ。一方で、戦が始まる前に敵方の畑を荒らして兵糧を減らしたり糧道を断つ、予定の戦場に予め砦を築く等という方法もあるらしい。地の利があれば策も立てやすくなるだろう。
今回は数で圧倒して戦わずに相手を屈服させる気なのだろうとツチが語った。何しろ集められた人数が圧倒的に多いのである。
「大人数で向こうさんを囲んで戦になる前に諦めて降伏ように仕向けるんだと。」
出来るのか?そんな事とイシが返すがそんな事はテツも知らない。ただ、元戦人がそう言っていただけだ。しかし、一体どのくらいの数を集めたのか。テツ達の国の戦人、百姓はもとより河の下流にあたる彼等の本国からも、ものすごい人数が集められている。その数は全部で五万とも十万とも噂が飛び交う。
一方、相手方の数は分からないが、これから赴くその地は山脈が近いためにまとまった平野が無く、谷間毎に小さな集落が点在している。畑も山の斜面を器用に階段状に開拓しているところもあるらしい。集落それぞれに独立性も高いと聞く。圧倒的多勢で集落を囲めば戦わずして個別撃破も十分に可能かもしれない。
行軍が進み相手方の領地に踏み込んだところで、いつの間にか安易にも考えていたテツの目論見は大方全て崩れ去っていた。本人に戦う意思は無くても相手が逃してくれそうにない。谷あいの山道を進んでいた一行は突然現れた堀とその掘った土を積み上げたであろう、見上げるほどの土塁に行く手を阻まれていた。土塁の上では敵方が横一線になって矢をつがえている。先に進むためには一度堀底まで降りて、そこから土塁を駆け上がらなければならない。待っているのは弓矢や投石を受けての死だ。左右の側面の尾根にも同様に人が配置されている気配がある。後方はというと、主力の手前の先方隊五千人ほどが過ぎた辺りの隊列が襲撃を受けていた。分断の策だった。どうやら相手が何枚も上手である。あまり多くを引き込み過ぎると数で押し切られると踏んだのだろう。そして殲滅出来るとはじき出した数が五千だ。
(逃げられない。)テツは戸惑って周囲を見渡すばかりだ。戦人では無い彼がそうなるのは当然だった。テツやイシには分からない事だったが、実はこの戦に備えて辺り一体の山が大きな一つの砦として仕込まれていた。隘路には挟撃隊が配置され、山道自体も袋小路になった罠になっていた。尾根は堀切で仕切られて通れず、狭い窪地は上部からの投石をまともに受ける死地でしか無かった。一つの砦や陣地に攻撃を仕掛けると他の陣地からの後詰めを受けて背後を突かれる有様だった。
土塁の上から冷たく行軍を見下ろす漢がいる。
戦の支度は出来ている。国には大小併せて五十近い里があり、それぞれが離合集散を繰り返しながら小競り合いをしていた。小さな戦には馴れている。そもそも、まともな土地が少ないこの国の民は山の木々を切り倒して他国に売って生計を立てていた。しかし、それは表向きである。もう一つの顔、それは各国の民や戦人の中に行商や荷役、飛脚として入り込み、その国の情勢や先行きの話を仕入れ、その情報を他国に売るという生業である。当然、各地に散らばった同胞と情報の交換もするし、依頼された国を、より高額な報酬で裏切ったりもする。民の間に流れている噂を仕入れ、民の間に噂を流す事で国を動かす。我々が間者と呼ばれる所以だ。噂の正否を見極める目と耳を持つ事と、誰が得をする内容なのかを見極める力が求められる仕事だ。
平地の国が本国と分国を合わせて五万の軍勢を立ち上げて攻め寄せて来るとの知らせが届いた。それぞれの里で戦っていては一揉みにすり潰されてしまうだろう。今回は各地の里から戦える若者に二十人から五十人ずつ集まってもらった。国の内部は小競り合いを繰り返す内乱の状態だが、一つの約定があった。
『他国からの脅威には全体で当たる』
五万の敵に対して集められたのは千五百程の戦士と、それと同じ数の馬だ。馬に乗った騎士は徒の兵、十人程の戦力にもなるが、山育ちの馬はその戦力を更に数倍も引き上げる。平地の馬に比べて小振りではあるが、急な斜面をものともしない機動力は山戦では大きな武器になるのである。
(これだけでも十分に戦になるが、)
敵に対して山を砦として仕掛けを用意できた事で更に楽になった。一番の弱点といえば、分断した行軍の更に後ろの主力を食い止める役目の隊がきつい点だが、集めたのは敵と違って全員が若い戦士だ。それに五万の敵と言えど、山道で先頭だけに当たれば人数の差は無いに等しい。前線の戦士を次々と入れ替えれば疲れも軽減されるだろう。迂回した兵の相手は他の山岳部隊に任せておけば良い。
「願わくば早々に諦めて撤退してくれれば良いがな。」
「それはどうでしょう。向こうも準備してきていますし、何の成果も無いまますんなり帰るとも思えませんが。」
ならば先方の五千に犠牲になってもらって戦の無駄を知ってもらうしかないのか。やはり少々気が重い。
「あまり優しいと付け込まれますよ。」
仕方ないか。
「逃げる敵は放っておけ! 向かって来る奴は切り捨てよ!」
「戦果は皆、等しくする。敵の刀剣、財は置き捨てにせよ!」
「財は置き捨てじゃ!掛かれぃ!」
弓隊の長の号令のもと、一斉に矢が放たれる。脆い壁の表面が剥がれるように敵の兵が倒れていく。戦う意思が無い者は最初から来なければ良い。可哀想なのは強制的に連れて来られた百姓のような自由の無い者達だ。せめて彼等が怯えてうずくまってくれる事を願わずにいられない。
テツ達が相手方の猛攻を受けている頃、邑にも異変が起きていた。前の軍閥領主が出兵の隙きを突いて挙兵したのだ。火事場泥棒の様なやり口に批判が集まるところだが、前領主の執念が周囲の反対を黙らせた。さすがに留守とはいえ、都には守備兵が残っているので容易に攻め取ることは出来ない。しかし、離れた邑であればそれは遥かに簡単な策だった。邑に残っているのは女子供ばかりである。あとはせいぜい年寄りだ。
邑を蹂躙して家々を焼き払う前領主の軍勢の前に一人の戦人が立ちはだかっていた。
「お前は誰の味方か?」
「・・・。」
「お前を長い間重用してきたのは誰か?」
「お前は何故、儂の行く道に立ち塞がる。」
「このやり口、間違っております。」
ツチが応える。邑に残っていた百姓のツチが前領主の前に仁王立ちで抵抗していた。手には鍬を構えている。前領主から見れば今の邑など略奪の対象に過ぎず、それを必死に守ろうとする目の前の男の思惑が理解出来ないのだ。しかもその男はかつて自分の側で命令に従っていた者だ。
「鍬は畑仕事で使うもので人を殺めるための道具ではありません。」
「そうだな。そんなもので儂は倒せん。」
例え武器の利に差があろうとツチはそうそう負ける気はしなかった。百姓に身を墜としてから武の修練は積んでいなかったが、身に染み込んだものはそう消えるものではない。
畑に生えてしまった草を抜く時は根から引っこ抜く、だったか。前領主の軍閥の兵は凡そ百五十ほど。実りの少ないここの畑にこれ程の草が生えるとは思わなかった。なんとか五十くらいなら刈り取れると思うが、問題は御領主付きのあの二人か。ツチの顔には何故か笑みが見えた。
あくまでも百姓として戦う。畑と邑を守る為だ。ツチは戦人としても群を抜いて強かった。しかし、相手は百五十である。
「囲んで押し包んでしまえ。他の百姓は恐るるに足らん。」
その言葉に御領主は後ろへと促して兵達が応える。
一刻(約二時間)の後
二人が畏怖の表情でツチを見る。その足元には四十を越える屍が横たわる。その場では使い物にならない怪我を負わされた者は更に五十を越えた。本人はもう百姓になったと言うが、どこの世に屍で足の踏み場を無くす百姓がいるものか。鍬の柄を武器に暴れ回った百姓がようやく動きを止めた時、そこにいるのは鬼の化身だった。だが、その鬼もようやく最後の刻を迎えるだろう。
「狩りをするなら獲物の頭である儂を狙うべきであったな。」
「根切りなどと百姓の発想をするから戦の要所を逃すのだ。まあ、こ奴がそれを覚えていたなら儂は危なかったがの。」
前領主が「仕留めよ」と指示を出すのとツチが鍬の柄を鋭く投げるのがほぼ同時だった。
犬槍(射ぬ槍)か!!
戦人の一人は自分の主人に投げ付けられた槍(柄)をようやくのところで払い除け、もう一人がツチに斬り込む。ツチの手にはもはや何も無い。ツチの脇腹が大きく斬り付けられるが、構わずに半身を返して首から頭を抱え込み、ぐるりと捻りが入る。
「ッ!」
(瀕死の状態でなお、相打ちがせいぜいなのか?!)
「・・・流石、戦頭・・・。」
「俺は、百姓のツチだ。」
ツチの微笑みは優しく、共に逝く戦人を包み込んだ。