表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄の意思  作者: 七梨権兵衛
2/5

2話 土

 日照りが続き、雨は一向に降る気配を見せないが、それでも河の水は減る様子もない。山脈に多くの雨や雪が降って、その水分を何十年分も大地に蓄えているからだとも伝わる。一説には百年を超えるとも言われるが、本当のところは誰にも分からない。もしもそうならば今、河を流れている水は百年も前のものと言うことになる。この水は百年前のこの邑の事を見たのだろうか。


 水の少ないこの国では大量の水を必要とする米は希少で高価なものだった。元々は水辺の雑草である稲だから、こんなに乾いた土地で育てるのは無理がある。その希少価値の高さは米ときんが同じ重さで取引されている事でも分かる。当然軍閥領主は米を欲しがったし、それは新しい領主になっても同じことだった。その一方で人々の主食となるのは乾燥した土地でも育てやすい麦や芋だった。邑人の口に米が入る事はまず無いと言ってよかった。


 ツチはよく働いてくれた。これまで戦人として鍛練してきた事もあり、彼の体躯は屈強の漢そのものだった。『ツチ』とは百姓に成った元戦人にテツが名付けた新たな名だ。彼は邑に来る際に戦人としての自分は死んだと言った。ならば、新しく生まれた名が必要だろうと考えてやった。ツチは一度大地に還った死人という意味を含ませたものだ。勿論、百姓として土と共に活きる意味を込めた名だった。古い戦人としての名はもう必要ない。


「米を食ったことはあるか?」

唐突にツチが切り出す。あれは本当に美味い。ツチは戦人の頃に何度か米を褒美として食べた事がある。炊いた時の香りと甘味、他の穀物とは違う旨味が忘れられない。

 テツ達邑人が米を食べられる筈は無かった。米だけは種籾を残して全て軍閥に持って行かれた。もしも、残ったとしても、重さで金と同じ価値があるのだ。他の食べ物などと交換した方が邑の助けになる。そのまま米を食べるという発想は百姓には無い。邑人が腹いっぱい米を食べるなどとは国家予算を食い尽くすようなものだ。

「百姓が食うもんじゃねえ。」

「この土地の一帯に米や麦、野菜が育ったら国が豊かになるな。」

イシの言葉に応えずに発したツチの言いたい事はわかる。ただ、痩せ細った農地と少ない水しかないこの邑ではそんな事は夢物語でしか無かったが、そんな夢物語を話すツチの表情は明るい。以前に食べた、炊いた米の味でも思い出しているのだろうか。


(もう少し麦と芋を増やそう。)

テツはそう考えていた。働き手が増えた分、上手く作業を手分けすれば畑を増やしても世話の手が行き届きそうだ。ツチという元戦人は覚悟を決めたら一心にそれに向き合う漢だった。だから野良仕事を覚える事でさえ真剣であり、飲み込みも早い。今の彼にとっての野良仕事は戦の鍛練と何も変わらない。

「麦畑を増やそうと思う。ツチの分だ。」

農作業が分からないツチは戸惑った顔を見せる。作物を育てるには作物をよく知らなければならないが、彼にはその経験が皆無なのだから当然といえばその通りだ。

「他の仕事の合間に俺達と一緒に一年掛けて畑を覚えてくれればいい。」

増やす畑の世話をする分、ツチには俺達の仕事も少しやってもらうとも付け足した。


 しばらく考えるような仕草をテツが続けていた。邑の働き手達がそんな彼の様子を眺めている。テツの考えを推測しようとする者もいれば、ただ姿を見つめているだけの者もいた。

「土を育てたいな。」

「こいつなら大丈夫だ。仕事の覚えも早い。」

「いや、ツチじゃなくて畑の土だ。」

土を育てる。この発想を理解出来た者は邑の百姓の中でもごく僅かしか居なかった。ただ、百姓ならば豊作の翌年は不作になったり、新たに耕した畑も最初のうちは良く育った作物が年を経て徐々に育ちが悪くなったりと畑が痩せていく様子は経験していた。水だけで作物が育たないのは分かってるが、どうせ領主に搾取されるという思いが、良い作物を育てようという気持ちを削いでいたのが事実だった。

「どうせ年貢で半分持っていかれる。」

収穫が増えれば残る半分も増えるだろうという考えを邑の皆に理解してもらうには時間が掛かった。皆、搾取される事に疲弊しているのだ。


「なんで土を育てようと思った?」

イシが湧いた疑問を率直にぶつける。

「ツチの表情を見て、な。食い物が腹を満たすだけじゃなくて、本当に美味いものなら気持ちが明るくなんるんじゃないかと思っただけだ。」


 戦人にとっての戦場のように、百姓にとっては畑が戦いの場なのかも知れないと、考えを巡らせたが、それは口には出さなかった。百姓にとって必要なのは戦いではない。畑仕事は作物との対話なのだ。


 テツは以前、戦に徴兵されて他国の森の中を歩いた事がある。森は畑のように人の手が掛かっていないにも関わらず、木々が勢いよく天に枝を延ばしていた。あれは何なのだろうとずっと考えていたが、その中で少しだけ判ったことがあった。足元がふかふかしていて、積もった枯葉の中に手を差し込むとほんのりと温かかったし、湿り気もある。森の中には獣もいるだろうから、雨やら獣の糞尿やら、もしかしたらそれらの死骸なんかもこの森の土に埋もれているかも知れない。枯葉だって木々の生命いのちだ。こんな森の木々を育むような生命を染み込ませた土が畑にあれば、作物はどれくらい育つのだろうと思いを馳せた。


 思い付いた事は全部やってみよう。テツは自分の畑の一部に穴を掘り、使えなくなった藁細工や狩りで得た獣の革の端材やら木の実の殻、枯れ草などの言わば生命の切れ端を集めてその穴に放り込んだ。ただ、藁や籾殻は炊事の火を起こすのにも使うのでそう多くは集まらない。時には家畜の糞も入れる事もある。そうした穴をいくつか作り、時間を掛けて土に戻す事で生命の養分を宿した土になると考えたのだ。森は百年を掛けてあの大地を作るのだ。焦ってはいけない。

 


 五年が過ぎた頃からテツの畑は他と比べて作物の育ちに差が見えるようになってきた。穴の中で生命の染み込んだ土を作り、それを畑に撒いて土を育てていたのが、ようやく実りを見せ始めていた。邑の者達もその違いに気が付いて関心を持ち始める。テツはそうした仲間達に惜しげもなく土作りを教えていった。畑が実って嬉しくない百姓などいない。相変わらず、収穫の半分は年貢として持っていかれる事になんの変わりもないが、それでも以前よりも邑は明るさを増していた。

 テツが土作りを始めて五年が経つが、その間に大きな戦が無かった事も幸いした。周辺の地域には前の領主を始め、いくつかの武装した野盗の群れが存在し、勢力争いを繰り広げていた。しかし、今の領主は支配地域や邑に危害を加えない限り、それらの野盗を駆逐する事は無かった。もとより、現領主はこの地域に侵攻して実行支配する異国人だ。そして、本国から任命されてここに居るに過ぎない。忘れた訳ではないが、邑とこの地域は五年前の戦に敗れて従属しているのだ。いずれにせよ、彼等が大きく動かなかったことが、テツに土作りの時間を与えた。


 しかし、状況はあまりにも突然動き出す。邑に突然、徴兵の命令が下ったのである。彼等はやはり好戦的な民族だった。目的は領土拡大である。支配する土地を広げ、その土地を恩賞として戦人達に分け与える。そうすることで領主と戦人の主従関係が成り立っている。土地の支配を保証され、功績があれば更に土地を与えることでその評価を表わす。当然領土は足りなくなるが、新たな支配地を増やす事で補うのである。領主は与え続ける事で領主としての地位を保っていた。仮に戦人が全員の反乱を起こせばどんなに武勇がある者でも多勢に無勢となってしまうだろう。


結局はただの欲か。


その欲の為に百姓は借り出されていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ