紅蓮のカイサ
「ねぇ、坊や。貴方のお父様の居場所、知りたい?」
赤いローブの女性は外を見つめながらワイングラスを手に取る。軽く揺らすとワインが光を反射して、僕が赤く染まる。
状況を理解するまでに数秒の時間を要した。
この女性は僕の父を知っているのか?
この女性は一体何者なんだ?
疑問は尽きない。
だが、今更父の居場所を知ったところで何になるというのか。追いかけるのか?ギルムを出るのか?
僕は決めたんだ。僕の手でミーナを養うと。
居場所を知ったところで、心に迷いが生まれるだけだ。僕の決意は、自分が思うよりもずっと固かった。
「何ボーッとしてるの新人君!…すみませんお客様!あはは!ごゆっくりどうぞ〜!」
ナタリアが後ろから勢いよく肩を組むと、赤ローブの女性に微笑み、僕を厨房まで引きずった。
「いたたた、強引ですよナタリアさん…!」
結局女性の問いかけには答えられなかった。
女性はまた外を見つめている。
「なに?あの女の人に一目惚れ?ヴァルくんはお目が高いねぇ〜」
「違いますって!!」
僕は両手を前に突き出した。
それを見てナタリアとキッチンにいるゴーンは笑った。
ゴーンはサラダを運んできて僕が持っていたトレイに乗せる。
「あの女はこの辺りではかなり有名なメイジ。巷では"紅蓮のカイサ"って呼ばれてる。いつも赤いローブを身にまとっていて、誰も人を寄せ付けない。関わらないらしい。だからナタリアも接客を嫌ったのさ。愛想悪いからな」
ゴーンがそう言うと、ナタリアは気まずそうな顔をしてそっぽを向いた。
「ご、ごめんね〜ヴァルくん!あはは、そんなつもりは、なかったんだ、よね〜」
言葉に詰まるナタリア、とても分かりやすい。貴族とか魔法を勉強出来る人って貧民をバカにしたり、見下したりする人達ばかりかと思っていたけれど、そんな事もないみたいだ。
「そうだったんですね。全然大丈夫ですよ。外を見たままでしたけど、そんなに酷い対応はされませんでした。あ、このサラダどの人ですか?」
「ああ、あっちの爺さんだ」
僕は、ゴーンが指を刺した先にいたお爺さんのテーブルに、そっとサラダを乗せた。
「…お待たせしました!」
そんな感じで、僕のアルバイト生活は幕を開けるのである。
ギルムの酒場には色々な人が来る。
お爺さんお婆さん、兵士や商人、メイジや富豪まで様々。お酒の席では身分関係なく、楽しそうにみんな話していた。まあ、たまに酔っ払って喧嘩が始まったりもするけれど、すぐ肩を組んで踊ってたりして、お酒って不思議だ。お酒は僕にはまだよく分からない。でも、酒場での仕事は思っていたよりもずっと、楽しいものだった。
1週間も働くと仕事も少しずつ慣れてきていた。
「ただいま〜」
「お帰りお兄ちゃん」
夜特有の虫の声が微かに聞こえる。
白いベットに飛び込むと仰向けで寝転がる。
家はミーナが掃除してくれたおかげでかなり綺麗だ。僕が仕事をしている間ミーナは、家でナタリアさんからもらった本を読んで勉強しているみたいだ。ミーナもなんだかんだで楽しそうにしている。
「今日の晩ご飯、テーブルに置いておいたから、好きな時に食べて。僕はもう疲れたよ」
ミーナはテーブルの上の袋を開ける。
「今日はオムライス!やったー!」
お金がないので、ミーナの分の食事は酒場からまかないとして貰ってくる。最初の給料日までは我慢だ。
ミーナは鼻歌を歌いながらオムライスを頬張っている。
僕達はなんて幸運なんだろうか。
こんな生活したくても出来ない人が沢山いる筈だ。僕がナタリアさんに拾われなかったら、今頃どうなっていたのだろう。
「お兄ちゃん、そう言えば明日給料日だね」
オムライスを飲み込むとミーナが口を開いた。そう、何を隠そう、明日が給料日、まだ働き始めて1週間しか経っていないから1週間分ではあるが、ちゃんとしたお金がもらえる日だ。
「そうだね。とりあえず、なんか必要なものあるか、明日考えておいて欲しいな」
僕はそう告げると、ミーナの返事を聞く前に眠りについてしまった。
-------
「あんたが俺を呼び出すなんて珍しいなカイサ」
俺は暗闇にそう告げるとそいつは現れた。
現れたと言うより、照らされた。
暗闇の中でスポットライトが当たる場所に座っている女。あいつがカイサ。
俺は明かりに向けて歩きながらカイサに問いかけた。
「その趣味の悪い赤いローブはちゃんと洗ってるのかい?いつもそれを着ているじゃないか」
俺がそう告げるとカイサは舐めていた飴を俺に投げつけた。目にも留まらぬ速さで俺の頬をかすめた飴は俺の後ろにあったらしい壁に刺さった。俺の頬からスーッと血が流れているのが分かる。俺は右手を頬に当てると傷口は青白く光り傷口が塞がる。
「相変わらずヒール系は得意そうね。セイン」
カイサは俺の名を呼んだ。
マルキア地区管轄の富豪。俺がそう呼ばれるようになったのは最近だ。父が死んで俺が管轄になった。だが、まだ議会の奴らに比べたら若い俺は、実質なんの発言権も得られてはいない。
今の俺は生まれ故郷のマルキアでさえ、守れるかどうか。
「それで、何の用だカイサ。要件は短めに頼むよ。俺も暇じゃないんでね」
カイサはこの辺りでは有名なメイジだ。
それも良い方ではなく悪い方の。
炎を得意とする彼女の魔法はとても強力で、国から監視されている程の実力者。
彼女の魔力はメイジ100人分に匹敵すると言われている。ギルダー帝国が誇る人間兵器。そんなところだ。
議会でも彼女の話はよく出る。その強大な魔力を抑えられているか、人間関係、国への反逆心の有無、その他諸々。報告するのはだいたい俺の役目。カイサとは腐れ縁で幼い時から何だかんだ近くにいたからというのが理由だろう。
俺が見つめる先でカイサは新しい飴の袋を開けて口に咥える。赤いリップがライトを反射する。その艶やかな口元はゆっくりと開かれ、言葉を紡ぐ。
気づけばカイサの目は真っ直ぐ俺を見つめていた。
「私、この国を潰す事にしたの」
-------
「あの卓のおっさんはこのビーフで、隣のお嬢ちゃんがそこにあるサラダな。あと、ラストオーダーだから何か頼むか聞いておいてくれ」
鉄板に敷かれたミディアムに焼けている肉を僕のトレーに乗せると、ゴーンはキッチンに戻っていく。ナタリアは閉店間際なのもあって、知り合いのお客さんと楽しそうに席で話している。今日はお店が繁盛していたので何となく1日が早く感じた。暇だと遅い分、忙しいと早いのか。不思議なものだ。
「こちら、サラダと、ビーフのミディアムになります。ラストオーダーは何かございますか?」
何だかいい雰囲気の2人にラストオーダーを確認する。どうやら2人とも追加の注文は無いようだった。僕はトレーに開いた皿を乗せて手慣れた様子でキッチンへと運ぶ。
「ラストオーダーは無しか。じゃあ今日は終わりだな。お疲れ、ヴァル。あ、ちょっとまってな」
ゴーンは水道で手を軽く洗うと、タオルで素早く手を拭き、キッチンの奥にある事務所のような控え室に入っていく。数秒後に出て来たゴーンの手には封筒が握られていた。
「ヴァル、人手不足の中来てくれてありがとうな。助かるぜ。今月の分は少し少ないけれど、これからもよろしくな」
封筒を受け取ると金属と金属が擦れる音がする。お金だ。給料だ。
………やったああああああ!!!!
心の叫びを抑えつつ、ゴーンに返事をする。
「やったああああああ!!!!」
「ヴァル、心の声、ダダ漏れだぞ」
ゴーンが半笑いすると、物凄い爆発音が空気を一気に変えた。
ドゴーーーーーーーンという腹部に響くような低い音は、物凄い近い場所の爆発ではない事を意味していた。だが、近い場所ではないのにこの音の大きさ、只事ではない。
お客さん達がざわつき出す。
すると、お店の扉が勢いよく開いた。
「反乱だ!!!!街全体がやられるぞ!!!!早く町の外に避難しろ!!!」
見知らぬ男性が焦った様子で叫んだ。
その発言を聞いてお客さんが店外へ走り出す。
「お会計は先払いで良かったぜ。って、そんな事気にしてる場合じゃないな。おい、ヴァル、とりあえず逃げるが吉みたいだぞ」
ゴーンは入り口まで走り、扉に寄りかかる。
「ヴァルくん!!!ボーッとしてちゃダメ!!!あの爆発音は貧民が起こせるような爆発じゃない!!!」
ナタリアはゴーンの横で僕に呼びかける。
キッチンで立ち尽くす僕は足がすくんでいた。
貧民以外の反乱。あのレベルの爆発。メイジの反乱なのか?メイジは基本富豪生まれなはずだ。この国の制度に不満なんてあるのか……?
そんな事より、ミーナ。ミーナを助けないと。
「ゴーンさん!ナタリアさん!ミーナと合流したいのでまずは家に…………!!!」
僕がそう言いかけた時、店の入り口付近に大きな衝撃が走った。凄まじい爆発音が耳を貫く。両腕で顔を隠すと爆風を防いだ。
目を開けると辺り一面が燃えている。
メイジの反乱。何で。何で今なんだ。
入り口にナタリアとゴーンの影はない。
「ナタリアさん!!!ゴーンさん!!!」
……クソ!!!!
僕がミーナを守らなくちゃ。
もう、ミーナを置き去りには出来ない。
俺までどこかに行ってしまったら、ミーナは……。
僕は足を前に出した。
すると、轟々と燃え盛る視界の中央に見覚えのある人影。
あれは、そう。"紅蓮のカイサ"
カイサは僕にゆっくりと近づく。
いつもと雰囲気が全く違う。
今日の赤いローブはいつもよりずっと多くの殺気を纏っていた。
その圧に飲まれた僕は、出した足が完全に固まった。カイサは一歩ずつ僕に近づく。
「あら、ヴァルくん。ごめんね。こんなことに巻き込んじゃって。本当なら貴方も焼かないといけないんだけど、貴方が選んでくれたワインは美味しかったわ。今回は特別に助けてあげる」
カイサは口も開けない僕の額に人差し指で触れると僕は泡のようなものに包まれた。
泡は宙に少しづつ浮いていく。
「ヴァルくんに手を出すなああああ!!!」
左の方から聞き覚えのある声。ナタリアさん。生きていたのか!
ナタリアは高速で移動し、カイサへ突っ込んだ。ナタリアの飛び蹴りを左手で受け止めるカイサ。左手を捻りながら口を開く。
「誰あんた。彼の知り合い?」
ナタリアは左手を振り解き、飛び蹴りをやめ体制を立て直すとカイサを指差した。
「はぁ!?あんた失礼ね!私もここの酒場の店員よ」
ナタリアもメイジではある様だが、相手は如何にも強そうなカイサ。部が悪そうではある。それにしてもこの泡、いくら叩いても壊れない。強化ガラスの様な固さだ。
「まぁ誰でもいいわ。じゃあねヴァルくん。貴方は何も知らずに幸せに生きて頂戴」
カイサは僕の方を向いてそう言うと、僕を包んでいた泡は割れた。すると物凄い浮遊感を感じて、僕は意識を失った。
-------
「あれ、ここは……」
目を開けると、そこは見た事がない光景だった。周りには木、木、木。森の様な場所の中にいた。メリーラ地区にはこんな大きな森はない。ましてや首都ギルムにも。僕は何処かに飛ばされたのか?はたまた、夢?幻覚?
「大丈夫?君」
ふと背後から声がしたので驚いて振り返ると、僕と同い年くらいの女の子が立っていた。だが、服はとても質素で髪も無造作に縛ってあるだけだ。
「…す、すみません、ここは何処ですか?」
僕がそう問うと、彼女は少し引いた表情で答えた。
「旅人さんですか……?ここはザオル地区の末端のカブラの森ですが……」
ザオル地区……。僕が住んでいたメリーラ地区の真反対、対角線ににある地区。ザオル。
森が地区の大半を占めていて、動物関係の食料調達や、木材調達等はザオルが担っていると聞いたことがある。
転移魔法で僕は飛ばされた。
そう考えるのが合理的だ。
全てが上手くいっていたのに、何て僕は不幸なんだ。何て僕は……。
僕は出かけた涙をグッとこらえた。
ギルムに戻ろう。
カイサさんは僕を助けたつもりなのかも知れない。ただ、ミーナを置いて何処かに行くつもりはない。ミーナ、無事でいてくれ……。
僕はポケットに入っていた封筒を取り出すと強く握りしめた。
この給料はミーナの為に使うって決めたんだ。
「良ければ、近くの街まで案内してくれませんか?」
僕は、力強く一歩を踏み出した。