薔薇を手に囁いて
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「でも……本当にオスカーだから嫌じゃなかったのかしら?」
少女は上気した頬にそっと片手を当てる。目はまだ潤んでおり、その仕草は一層悩まし気に見える。
ミーシャが正気を取り戻した頃には少女はすっかり考え込んでいた。
「お嬢様?」
「ミーシャ、あのね……あなたはオスカーと、もしああいうことするなら……その……もしなんだけど……どう感じる?」
「あんな奴とそんなことをするなど想像するだけで吐き気がします。いえ吐きます」
「そう……。やっぱり私がおかしいのかしら……」
「お嬢様?」
「私は一応形だけでも昨日までアルベルト殿下の婚約者だったのに……他の方と口付けをして嫌じゃないなんて……そんなこと、はしたないわ……」
あのボンクラ元王子の名前はアルベルト。名前と顔立ちだけは立派だ。顔立ちの良さの半分でも頭の良さに回せれば少女は苦労しなかったのに。
「お嬢様、ボンクラのことは捨て置きください。あのエリーとかいう平民の生徒とあちらは公衆の面前でよろしくやっていたのです」
「……それとも私が寂しいだけでオスカーじゃなくても良かったのかしら……。嫌だわ。オスカーはそれを分かって慰めてくれたのかしら」
あらぬ方向に曲解をし始めた少女にミーシャは慌てる。
少女は身内と限られた使用人以外の異性に免疫がない。つまり恋愛偏差値は限りなく0に近い。そして元婚約者は最低の浮気王子。しかも婚約者がいなくなった少女を間近で狙ってるのが限られた使用人の中の腹黒執事。状況は詰んでいる。
「お嬢様、落ち着いてください。そうですね……ではあのボンクラ王子と同じことをしたいと思いますか?」
ミーシャの問いに少女は眉間にシワを寄せて小さく首を振る。
眉間に寄ったシワさえも綺麗だわ!とミーシャは斜め上の感動に震えた。
「お嬢様、それが答えでございますよ。でも、ゆっくりでいいと思います。陛下が来ても追い返しますが、これからも少々事後処理で慌ただしいので。お嬢様の心を早急に決める必要はないのです。急いで決めたところで後悔と迷いしか生みません。このミーシャも微力ではありますが、お嬢様とともに悩みますので」
ミーシャは少女の目線の高さに合わせてかがむと安心させるように微笑む。ミーシャの言葉に少女もまた緩やかに笑みを浮かべた。
「ねぇねぇ、お嬢様とオスカーさん、くっついた?」
「やかましい。誰が私のお嬢様をあんな奴に易々と渡すか」
「いや、ミーシャのじゃないでしょ」
ミーシャがお嬢様の昼食を取りに厨房に向かっていると、後ろからエイデンが話しかけてきた。
「オスカーさん、機嫌が悪いと俺に八つ当たりしてくるんだよ」
「へぇー」
「さっきも八つ当たりされたしさ。なんかあった?」
「ふーん」
ミーシャはエイデンの相手をしているどころではない。
あの野郎、私の目の前で私のお嬢様の美しい手首と細い白い指先と赤く色づいた唇を奪いやがった!などとはもちろん言わない。しかし思い出してみるとあと10回くらい殴っても良かった。そう思いながらミーシャは拳を握りしめて厨房へずんずん歩く。相手にされていないにも関わらずエイデンも付いていく。
すれ違った使用人たちは生温かい視線を2人に投げかけるが、やはりミーシャは全く気付かないのであった。
「オスカーさん、お嬢様から大至急100メートル距離を取って下さい」
ミーシャが食事を持って戻ると、先ほど追い出したはずのオスカーが少女に薔薇を差し出している。たっぷり30秒ほど、薔薇を差し出されて照れるお嬢様にミーシャは釘付けになった後、警告のセリフを放った。
「では失礼いたします。カメリア様、顔色が昨日より良いですね。しっかりお食べになって下さい。そうそう、言いそびれておりましたが……今日もとても、とてもお美しい」
オスカーはおもむろに少女の髪を一房掬いあげて口付けると、ミーシャに向かってにやりと笑って出て行った。
ミーシャは運んでいたのが少女の食事でなければ、ぶちまけていただろう。
「ミーシャ、花瓶を用意してくれる?」
頬を染め、はにかみながらそう言ってくる少女にミーシャは食事をセッティングしてすぐ花瓶を用意した。
オスカーが差し出した薔薇は、公爵夫人のお気に入りの薔薇でもあった。しかも公爵夫人の許可がなければ摘み取ってはいけない。
あの有能なオスカーの事だ。奥様に上手いこと言って薔薇を摘み取る許可を取ってきたのだろう。
ミーシャはそれが分かっていたからこそ、オスカーの手から薔薇を叩き落とすのを我慢した。
侍女頭のマイラは私情を挟むなと言っていたが……ミーシャはキスシーンを見せつけられた時点でマイラの発言を頭からすっかりとばしていた。