月夜に囁く その後で
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「……こういうことがありました」
限られた使用人たちだけが集められた公爵邸の一室。
ミーシャが昨日、件の部屋で盗み聞きした内容を報告すると使用人たちの反応は様々であった。
鼻血を出す者、ハンカチを噛んで悔しがる者、赤くなって卒倒する者、顔を伏せ近くのテーブルをバシバシと叩く者、最近屋敷内で流行っている呪いの藁人形を作成しようとそっと藁を取り出す者。
お嬢様の危機にすぐに踏み込めなかったことに関しては、エイデンに邪魔されたとミーシャは報告した。彼女は他の使用人たちから残念なものをみるような、生温かい視線を向けられていたことに気付かない。
「静かに」
侍女頭のマイラの一声でその場は元の静寂に包まれる。
「オスカーがとうとう動きましたか……。思うことは多々ありますが、お嬢様のお気持ちが1番大切です。ミーシャ、お嬢様は昨日嫌がっておいででなかった?」
「室内の状況を見たわけではないので……ただ、待ってと……。それに非常に混乱されているご様子でした」
「そうね」
マイラは少し考える素振りをみせ、何かを書き留めていた紙を無表情でぐしゃりと握りつぶす。その様子に使用人たちからは小さな悲鳴があがった。
「ひとまず……様子を見ましょう。お嬢様が嫌がったら、そしてオスカーが無理矢理お嬢様に迫るようであれば、躊躇わずにおやりなさい。私情は挟まないように。さぁ仕事を始めるわよ」
使用人たちの脳内で、おやりなさい=お殺りなさい、と瞬時に変換された。そしてそれぞれの持ち場へ散っていく。
太陽が高く上ったころ、天蓋付きの見るからに高級そうなベッドの上で少女が目を覚ます。
「うそ……ち、遅刻!!」
少女は窓の外を見た途端、慌ててベッドから飛び起きる。
「お嬢様、お疲れなんですから学園には行かなくても大丈夫です。ゆっくりお休みください。それに昨日で全て終わりましたから」
侍女のミーシャが紅茶を淹れていた。
「そう……昨日で……そうだったわね」
少女はまだ覚醒しきっていないが、学園に行って押し付けられた他人の仕事をしなくていいと分かると安心したように体の力を抜いた。
「もう少しお休みになられますか?」
「たくさん寝たから大丈夫よ」
少女は紅茶を飲み、またほっと息をついた。
昨日までのように張り詰めた悲し気な表情が見当たらないことにミーシャも安堵していた。
しかし、ソイツはすぐにやってきた。
少女が着替え終わったころ、まるで覗いていたかのようなタイミングで黒髪の執事が現れた。
「おはようございます。お嬢様。いえ、もうこんにちはの時間でしょうか。よく眠れましたか?」
いつも通り隙の無い笑顔を張り付け、オスカーは恭しく礼をした。
オスカーを見た瞬間、少女は昨日の出来事を思い出したのだろう、顔が朱に染まる。
俯いてしまった少女とオスカーの間にミーシャはさっさと割り込んだ。
頬を染めるお嬢様、めっちゃ可愛い!と鼻血がでそうだったが、私は出来る侍女!出来る子!と自分に暗示をかけまくって、見惚れることなく仕事をこなす。
「オスカーさん、なにか御用でしょうか?」
少女の視界にオスカーを入れないようにしながら、ミーシャも負けじと出来る侍女の笑顔を張り付けている。しかしチラチラと少女の初々しい表情を脳裏に焼き付けることも忘れない。
「ぼんくら元王子の親、いえ陛下がお嬢様にこれまでのことを謝罪したいと。しかし、旦那様がお断りされました。あのような仕打ちをされたお嬢様を王宮に呼びつけるとは何事か。謝罪したいならそっちからこいや、とおっしゃったそうです。ですので近日中に陛下が公爵邸に謝罪に見えるはずです。旦那様が招き入れるかどうかわかりませんが」
「え……そんな……陛下が……」
「お嬢様、良いのです。謝罪は当たり前です。というか遅すぎます、今さらです。ふざけんな!です」
狼狽える少女にミーシャは不敬発言を重ねる。
今度は驚きと申し訳なさで俯いてしまった少女にオスカーは自然に近づくと、跪きそっと少女の手を取る。
「お嬢様、ご安心ください。お望みであれば陛下でさえも私が追い払いましょう。ちなみに王家に請求する慰謝料はいかほどがよろしいですか?旦那様と奥様が現在、金額を算出なさっておいでですが、お嬢様のご希望も確認するようにと。ざっとこの金額は軽くいきます」
「そ、そんな……慰謝料なんて考えられないわ……」
手を取られてさらに真っ赤になった少女は、オスカーの示した金額を見て今度は青くなる。赤くなったり青くなったり忙しい。
「お嬢様はもっと怒って良いと思いますよ。この際、がっぽり王家から慰謝料をふんだくってお好きな方とご結婚されれば良いのです。もう王宮に行ってバカな元王子を支えるために勉強することも、学園でぼんくら元王子の尻ぬぐいをする必要もないのです。お嬢様のお心のままに」
オスカーは微笑みながら少女の手を自分の口元まで持ちあげ口付けた。
「お、オスカー……」
「はい、なんでしょう? カメリア様」
一度の口付けで終わるのかと思ったら、なんとオスカーは少女のか細い手首や白すぎる指先にも口付けを落とす。
さすがにミーシャもいきなり迫ると思っていなかったので、目の前の激甘な雰囲気を醸し出す執事を、誰!?という目で見ていた。
「んっ」
ちゅっと少女の細い指先をオスカーが口に含んでそっと離す。
「こうされるのはお嫌ですか? カメリア様?」
「わ、わからなっ……」
少女の目にはほんの少し涙が溜まり、頬は上気している。
うぎゃああ、お嬢様、超かわいい!とミーシャも唖然としながらもバッチリ記憶にとどめる。
「では、これはお嫌ですか? 昨日の続きです」
オスカーは身を乗り出すと、少女の唇に口付けた。しっかりと逃げれないように後頭部に手を添えている。
目の前で行われるお嬢様と裏表の酷すぎる執事のキスシーンにミーシャの思考は完全にフリーズした。
「んぅ……あぅ」
室内に水温が響く。ミーシャのフリーズはまだ解けない。
途中で唇がいったん離れるが、またすぐに重なる。
やがてオスカーが名残惜しそうに唇を離した。
「カメリア様……」
あんた誰!?と言いたくなるような激甘な声だ。普段の絶対零度の視線もどこへいったのかというくらいオスカーの纏う雰囲気は甘い。
「……オスカー……」
ぎゃああああ、お嬢様!そこでソイツの名前なんか呼んじゃダメ~!!
掠れた声でお嬢様に名前を呼ばれ、オスカーの目に怪しい光が灯るのを見て、ミーシャのフリーズはやっと解けた。
パシーン
手近にあったトレイをひっつかみ、執事の頭をはたくと大変良い音がした。
綺麗に隙なく着こなされた執事服の襟をつかんで少女から引きはがし、部屋の外に放り投げる。
たまたま通りかかった、先ほどの会議で一緒だった侍女達に必死に目で合図すると、侍女たちは親指を立てて任せろとばかりにオスカーをどこかに引き摺って行った。
「お嬢様!!大丈夫でしたか!!?」
少女は頬を上気させたままぼんやりとしている。
大変可愛い。思わずはぁはぁと息が荒くなりそうなのをなんとかミーシャはおさえる。これではあの変態と一緒ではないか。
「どうしましょう……嫌じゃなかったわ……」
「そんな!!お嬢様~!」
オスカーを追い出した部屋にはミーシャの絶叫が響いた。