真夜中の廊下
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ブチリ
ブチリ
ブチリ
静かな部屋に不似合いな音が響く。
ミーシャが力をこめすぎて何度も刺繍糸をダメにしている音だ。
なぜ刺繍糸かというとお嬢様であるカメリアに請われて一緒にハンカチに刺繍をしているからだ。
しかし目の前の少女は1枚のハンカチにえっらい時間をかけて刺繍をしたと思えば、次のハンカチを手に取ったまではいいものの、ずっと物憂げにため息をついている。
ミーシャが力をこめすぎている原因はあれだ、腹黒執事ことオスカーのせいだ。
あの執事は、こちらが呼んでもいないのに、無理やりにでも用事を作って午前中あるいは午後の早い時間に少女に会いに来ていた。
しかし、今日はなかなか姿を現さない。
少女もちらちらと扉に目を向けては、はぁとため息を小さく吐く。2枚目のハンカチの刺繍は全く進んでいない。
「あの執事……押してダメなら引いてみろ、の戦法でも取っているのかしら……」
少女に聞こえないようにミーシャは小さく口にする。小声だっだのと少女の気がそぞろなせいで少全く反応はなかった。
そういえば、あの忌々しい執事を見ないのは昨日奥様に呼ばれてからだ。
ミーシャはなんとなくオスカーが来ない理由がわかった。おそらく、あのボンクラ元王子関係だろう。
「お嬢様、お疲れですか? 休憩にされますか?」
ミーシャはオスカーが来ない理由が分かったため、刺繍糸を千切るのをやめて少女に問いかけた。針をへし折らなくて良かったと思う。
「え? ああ。うん。そうね。そうしましょうか」
少女はまだぼんやりしながら答える。
「仕事が立て込んでいるのでしょう」
ミーシャはひとまず机の上を片付けながら言う。主語を言わないのがポイントだ。
「そう……よね……」
少女はまたも物憂げにため息をつく。完全に恋煩いのようだ。
ミーシャは誰がとは言っていないのに少女はそれを気にしない。それどころではないのだろう。
「お嬢様、せっかく張り切って刺繍されるのですからもう何枚か頑張りましょう。お次は名前の刺繍でもされますか? 貰った者も喜びますよ」
「ええ……そうね」
少女は頬を赤らめて微笑んだ。
「遅くなってしまいましたね。エイデン、ご苦労様です」
「相変わらず人遣いが荒いですよ。まぁスカッとしたからいいですけど」
すっかり人々が寝入った頃、公爵邸に2人の人影が戻ってきた。
「報告はしておきますので、あなたはもう休みなさい」
「ありがとうございます」
暗闇に紛れて戻ってきたのはオスカーとエイデンだ。身なりを整えながらオスカーが促すと、エイデンは使用人の部屋がある方向に踵を返した。
オスカーは慣れた屋敷の中を静かに歩き、カメリアの部屋がある廊下にさしかかったところで歩みを止めた。
「おや、まだお休みでなかったのですか。また誰かを呪うのですか?」
真夜中の廊下に立つ人影に気付いてもオスカーは全く動揺していない。
「呪うならあなたね。そんなことより今日の首尾が気になったのよ」
暗がりから声を潜めて現れたのはミーシャだ。手にはしっかり藁人形が握られている。
オスカーはそれを見てすっと目を細めた。
「荷物を2つほど運んできました。炭鉱まで」
2つと聞いてミーシャは眉を顰める。
「ふぅん。アレも一緒だったのね」
「ステファノ様は命乞いをされまして。それでさらに奥様のお怒りを買いましたのでボンクラ元王子と一緒に炭鉱送りになりました。せめて、自ら炭鉱に行くと言われれば結果は違ったと思いますが」
「王子の側近として侍っていたのに都合が悪くなったら命乞いするからよ。まだ公爵位を継いでもないのに、お嬢様のことをバカにした言動もあったし、学園でも偉そうな態度だったようだし、元々素質がなかったのよ」
「ふふ。そうかもしれませんね」
オスカーが小さく笑うと、2人の間につかの間の沈黙が落ちた。
「お嬢様のご様子はどうでしたか?」
オスカーの問いには答えずにミーシャはため息を吐く。
「そんなに気になるなら明日朝一で会いに来たらいいじゃない。どうせ用もないのに来るんだから」
「もちろん、そのつもりですよ」
「お嬢様を今度泣かせたらトレーじゃなくてナイフにするから」
「手厳しいですね。肝に銘じておきますよ。まぁ別の意味でなかすかもしれませんが」
「変態、ロリコン、腹黒」
「おや、6歳差なんて貴族社会では小さいものですよ。20歳差のある方に嫁ぐこともあるのですから。それにお嬢様には年上がお似合いです。同い年なのにあんなに幼いボンクラ元王子などよりも」
「自分でお似合いとか言うな。気持ち悪い」
「なんとでも。お嬢様のお心次第ですから。そうそう、明日は陛下が来そうだと情報が入りましたから。よろしくお願いしますよ」
「げ。よくもノコノコと今頃来れるものね。あんたより神経図太いんじゃないの? 旦那様のご指示は?」
「さらっと嫌味を混ぜてきますね。旦那様のご指示は明日メイド長から話がありますが、追い返す方向です。旦那様が先頭に立ってやるそうです。どうやら他の王子の婚約者にお嬢様を据えようとしているようですね」
「そうこなくっちゃ。陛下を追い返す機会なんて人生でなかなかないわ。というかあんなことがあったのにまだ王家の婚約者に据えたいわけ? いくらお嬢様が優秀で聡明でお美しくてもありえないわ。うっかり汚れた水をぶっかけたいわ」
「旦那様が阻止しますよ。あなたもかなり神経が図太いですよ」
「お嬢様を傷つけたんだからそのくらいやっても罰は当たらないわ」
「そこは……そこだけはあなたと意見が合いますね」
侍女と執事は真夜中の廊下で悪い笑みを浮かべた。