第九十七話 転生
「信乃さん。意識が戻って…!」
眼を覚ました信乃の視界に最初に入ったのは、安堵の表情を浮かべた鈴鹿だった。
「お前の方こそ。もう大丈夫なのか?」
「はい、私は大丈夫。信乃さんも元気になったようで何よりです」
ニッコリと笑みを浮かべて鈴鹿は言った。
それを見ながら、信乃は記憶を振り返る。
意識を失う最後の記憶は、命辛々都へ辿り着いた時。
体の調子から推測するに、数日は時間が経っているだろう。
「頼光はどうした?」
「…まだ、戻っていません」
「…そうか」
頼光は信乃を先に逃がし、一人あの場に残った。
最悪の予想が頭に浮かぶが、口に出すことは躊躇われた。
「他に何か変わったことは?」
「いえ、今は鬼の襲撃に備えて都の防備を固めている所で…」
言いかけて鈴鹿はふと思い出したように、信乃の顔を見る。
「…そう言えば、夢を見たんです」
「夢?」
「はい。鬼が人々を襲い、それを一人の女性が倒す御伽噺のような夢」
やや不安そうな表情で鈴鹿は言葉を続けた。
「その鬼の戦い方が、えと…何となく、信乃さんの戦い方に似ていて…」
たかが夢、と言うには妙に現実感の伴う感覚。
信心深い鈴鹿は、それが何か意味のある物では無いか、と思ったのだ。
「それは…」
信乃もまた、その話には奇妙な物を感じた。
信乃と同じ能力を持った鬼。
その正体は恐らく、
『我も話に交ぜよ』
唐突に信乃の頭の中に声が響いた。
「悪路? お前、その状態でも会話出来たのか」
『当然よ。以前にも一度声を投げかけたことがあっただろう?』
そう言えば、と信乃は酒吞童子と再戦した時のことを思い出す。
あの時も確か、悪路は内側から語り掛けてきた。
今まで積極的に行わなかっただけで、会話はいつでも出来たのか。
『それより、我の声は貴様にしか聞こえんから、そこの娘が首を傾げているぞ』
「あ? そうなのか?」
『村雨を娘にも握らせよ。ああ、鞘に入れたままで良い。抜身を持たせると面倒なのでな』
言われるままに信乃は鞘に収めた村雨を鈴鹿に触れさせる。
『コレで貴様にも声が届くか。久しぶりだな』
「え…」
『我は悪路。古代の鬼にして、村雨に潜む怨霊にして、信乃の前世である』
「え? え?」
「おい、全部一度に言うな。混乱しているぞ」
ますます首を傾げる鈴鹿に息を吐きながら信乃が言う。
この尊大な鬼は、本当に自分の調子で話を進めるから困る。
人の心が分からない…まあ、鬼なのだから当然だが。
『娘。貴様が見たのは過去の記憶だ。かつてこの我が人間に滅ぼされた記録だ』
「どういう意味だ? まさか、鈴鹿も前世が鬼だったとか言わねえよな?」
『勿論違う。我が思うに、この娘は…』
どこか複雑な心境を滲ませながら、悪路は言う。
『我を殺した人間。鬼を滅ぼし、人の時代を築いた女の転生者だ』
「人の時代を築いた…ってことは」
伝承に出てくる最初に直毘国を築いた帝。
御伽噺に出てくるような人類の英雄。
「わ、私が…?」
『名詮自性と言ってな。名は本質を、本質は名を表す。鈴鹿と言う名も、あの女と同じ名だ』
偶然、では無いのだろう。
因果、或いは業と言う物の働きで、鈴鹿は前世と同じ名、同じ姿を得て転生を果たした。
平凡な村娘に過ぎなかった鈴鹿に類い稀な妖力が宿っていたのもそれが理由だ。
記憶は無くとも、鈴鹿の魂は前世のことを覚えていた。
「じゃあ、鈴鹿の体にもお前みたいな前世の魂が残っているのか?」
『いや、それは無いな。鬼と人では魂の強度が異なる。僅かな名残はあるかも知れんが、明確な自我は欠片も無い』
そもそも鬼の中でも特に強い自我を持つ悪路でさえ、当初は殆ど自我が残っていなかったのだ。
どれだけ強い力を持っていても、ただの人間である『鈴鹿』が耐えられる筈がない。
「………」
『心配せずとも、そこの娘に危害を加える気は無い』
無言になった信乃の不安を読んだように、悪路は告げた。
それはもう済んだ話だ。
例え鈴鹿が、悪路の仇敵の転生者だろうと、本人ではない。
「えと、悪路さん?」
おずおずと鈴鹿が口を開き、鞘に収まった村雨を見つめる。
「悪路さんは、本物の鬼、なんですよね?」
『そうだ』
「では、あの霊鬼六道を、あなたは知っているんですか?」
『ううむ…』
鈴鹿の質問に悪路は困ったように唸った。
何と返すべきか、と言葉を濁らせる。
『奴らは確かに我が同胞達だが、偽者だ』
酒吞童子。鬼童丸。橋姫。鬼子母神。金剛。
全てかつて悪路と共に生きた鬼達だ。
だが、それは彼らではない。
『強制的に転生者を作っているような雰囲気だ。とは言え、完全ではない。村雨を手にする前の信乃のように鬼の自我は薄い』
死した鬼の力だけを抽出するような術だ。
正直なところ、見ていて気分の良い物ではない。
あんな出来の悪い偽者が同胞の名を騙る姿を見れば、凍結させたくなる。
「果心居士は?」
『奴か。奴のことは良く分からん。天邪鬼などと言う鬼を我は知らぬし、使っている術も訳分からん』
かつて鬼を統べる王だった悪路でも、記憶にない名前。
どこぞの無名の魑魅魍魎かと思えば、酒吞童子にも匹敵する妖術を操る霊鬼。
(炎の妖術…まさか、な)
一瞬、頭に一つの名が浮かんだが、悪路はすぐにそれを振り払った。
『どちらにせよ、奴はもう死んだ。ならば残る鬼に集中するべきだろう』
「道雪か…」
信乃の顔に苦い物が浮かぶ。
鬼となった元英雄。
頼光と蝦夷、信乃の三人でも歯が立たなかった怪物。
彼について知ることは多くない。
せめて、もっと頼光から聞いておけば…
「ああ、ここに居たか」
その時、男の声が聞こえた。
思わず視線を向け、信乃は動きを止める。
「お、前…」
「ふふ…みんな、元気そうで良かった」
そう言って控えめに笑みを浮かべる男。
戦いでボロボロになった衣服をそのままに、全身に包帯を巻いたその姿は…
「頼光…!」
行方不明となっていた頼光だった。
「………」
鈴鹿山。
魑魅魍魎が闊歩する地獄にも、例外は存在する。
餓鬼達が寄り付かない美しい花畑。
人は無く、獣すらいないこの場所に、佇む者が居た。
「世界は時が経つ程に醜くなっていくが、この花の美しさだけは何も変わらない」
それは、道雪に斬り殺された筈の鬼。
果心居士と言う名を持った、修羅道の霊鬼。
「この香りに包まれていれば、再生中の肉の痛みも忘れられそうです」
道雪に斬られた痛みに耐えつつ、果心居士は花を愛でる。
「あなたも、そうは思いませんか?」
果心居士は、そう問いかける。
視線を向けた先には、
「………」
無言で果心居士を睨む蝦夷の姿があった。




