第九十四話 友切
理由は何だろうか。
自分など眼中に無いと言わんばかりな道雪の鼻を明かしたかった?
それもある。
誰かと共に戦う楽しみをもっと味わいたかった?
それも少しはあるが、
…そうだな。何より、
命を救われた借りを、返したかったからか。
「『霹靂一声』」
雷霆が落ちる。
重傷を負った信乃の体では、それを躱すことは出来ない。
段々と迫ってくる死を感じながらも、信乃は真っ直ぐ道雪を睨みつけていた。
同じく重傷を負わされた頼光も動けない。
故に、
信乃を助けることが出来るのは、この場に一人しか居なかった。
「ッ!」
ドッと横から衝撃を感じ、信乃は目を見開く。
頭上から迫る雷霆から信乃を逃がすように、その体を突き飛ばしたのは…
「蝦夷!」
「…は」
笑みを浮かべた蝦夷だった。
先程とは立場が逆だ。
信乃が蝦夷を助けた時と同じように、蝦夷は体を張って信乃を助けた。
唯一違うのは、
雷霆の威力が先程よりも高く、蝦夷が逃げる時間は残されていなかったと言うこと。
「借りは、返したぜ…」
バチバチと鼓膜が破れるような轟音を聞きながら、蝦夷は呟く。
蝦夷にも自尊心がある。
信乃に借りを作ったまま死ぬなど、絶対に認めない。
借りを返せないまま死なれると、こっちが困る。
コレは、ただそれだけの話だ。
(まあ、少しばかり、返し過ぎてしまったかも知れねえ、な…)
蝦夷がそう自嘲気味に笑った時、雷霆が蝦夷の体に直撃した。
「蝦夷…お前…」
衝撃が収まった時、そこに蝦夷の姿は残っていなかった。
雷霆を受けた蝦夷の手足は消し飛び、炭化した頭蓋が転がっている。
原型すら留めず、蝦夷は死に絶えた。
『友切』と呼ばれた直毘衆の男は、その悪名を覆し、友を庇って命を落としたのだ。
「少々意外な展開だな。あの男は、もっと利己的な人間だと思っていたが」
道雪は蝦夷の遺体へ顔を向けながら、そう呟く。
「何かお前達の行動があの男の琴線に触れたのか? まあ、興味は無いが」
本当にどうでも良いように、道雪は顔を信乃の方へ向けた。
無意味な行動だと思っているのだろう。
例えここで庇っても、死ぬ順番が替わるだけだと。
誰も道雪には勝てない。誰も生き残れない。
蝦夷が命を懸けて庇った信乃さえ、次の瞬間には道雪に斬り捨てられるのだ。
「『式鬼招来』」
道雪が刀を振るおうとした時、その背後に巨大な影が現れた。
瞬時にそれを悟り、振り返る道雪。
「…む」
突然背後に現れた者の正体に気付き、道雪は僅かに声を漏らす。
それは鬼だった。
道雪を見下ろす程の背丈。
岩石のようにゴツゴツとした筋骨隆々の肉体。
長く白い髭を垂らし、赤く染まった目を道雪に向けている。
「ぐ、おおおおおおおおおおお!」
獣のように吠えると、悪鬼は手にした柱のような槍を振り下ろした。
咄嗟に退いた道雪の前方の地面が、音を立てて割れる。
「アレは…酒吞童子、か?」
信乃は悪鬼の名を呟いた。
突然現れたその鬼は、かつて戦った酒吞童子によく似ていた。
「長可?………いや、この妖力の感覚は、奴ではない」
道雪は信乃の言葉を否定する。
「だが、近い。この妖力は、本物の方か…」
本物。
酒吞童子を騙っていた長可ではなく、酒吞童子そのもの。
古の時代に生きた本物の鬼。
「信乃君。こっちに…!」
「頼光…」
頼光は妖刀の能力を発動させたまま、信乃を近くに呼び寄せた。
道雪に斬られた傷は深く、未だ地面を血で汚している。
「なるほどな。童子切の能力は、斬り殺した鬼を使役すること。であるなら…」
「………」
「先ず真っ先に酒吞童子を使役できなければおかしい」
妖刀とは、怪異を斬ったことで妖力を得た刀であるが故に。
童子切とは、その名の通り酒吞童子を斬った刀なのだ。
その記憶は頼光には無いが、刀はその経験を覚えている。
「潰せ!『酒吞童子』」
「おおおおお!」
狂ったように叫びながら酒吞童子は槍を振るう。
道雪はそれを受けることは考えず、最低限の動きで回避に徹する。
その怪力と妖力を警戒しているのか、道雪は防戦一方だった。
「信乃君。撤退だ」
道雪の意識が酒吞童子にしか向いていないことを確認し、頼光は呟いた。
「な…」
「僕らが戦い始めた時に、僕ら以外の者達は撤退させている。君も退くんだ」
苦虫を嚙み潰したような顔で頼光は信乃の目を見た。
「蝦夷君は死んだ。君と僕も重傷を負っている。今は戦えているが、酒吞童子も長くは持たない」
頼光は指揮官として冷静に、冷徹に、判断を下す。
信乃も頼光も血を流し過ぎた。
あの酒吞童子も、見た目だけだ。
頼光の妖力で、古の鬼を完全な状態で使役できる筈も無い。
外見こそ強大な鬼に見えるが、実力は先程まで頼光が使役していた鬼達とそう変わらない。
今は道雪が警戒しているから戦いになっているだけだ。
気付かれれば、一瞬で道雪に斬り捨てられてしまう。
「だから行くんだ。山を下りて都へ急げ!」
「お前は、お前はどうするんだよ…!」
信乃の目に動揺が宿る。
誰かを囮にして鬼から逃げる。
その行為は、信乃の心を酷く揺らした。
「大丈夫。実はとっておきの奥の手が一つあるんだ。でも、コレは周囲を巻き込んでしまう」
「………本当だな?」
「ああ、本当さ。僕が君に嘘をついたことがあったかい?」
「…信じるぞ。頼光」
不安そうな表情のまま、信乃は地面を蹴った。
直毘衆最速の名は伊達ではない。
斬られた傷口から未だ血を流しながらも、速度は衰えることなく去っていった。
「…さて、どうするかな」
信乃の気配が完全に消えた時、酒吞童子の体が真っ二つに両断された。
「見掛け倒しだったな。それが狙いか?」
土塊へと戻っていく酒吞童子の残骸を踏み締め、道雪は呟く。
もうこれ以上足止めは出来ない。
だが、今逃げても道雪には追い付かれる。
「仕方ない。『奥の手』を見せてあげようか」
どのみち殺されるなら、と頼光は刀を構える。
頼光が信乃に語った言葉に嘘は無い。
頼光の『奥の手』は、本当にある。
しかし、それは自爆技。
自身の命を度外視した決死の一撃。
「………」
正直なところ、弱った命を振り絞った所で道雪を倒せるとは思わない。
それでも多少なりとも道雪は傷を負う筈だ。
少なくとも、信乃を追う余力は残らない筈だ。
「何をしようとしているかは知らんが、すぐに儂が―――」
言いかけて、道雪の動きが止まった。
まだ頼光は何もしていない。
にも拘わらず、何やら苦し気に顔を歪め、胸を抑えていた。
「ぎ…ぐ…! おのれ、果心居士…め…まだ、何か術を…!」
「!」
状況は分からないが、何やら果心居士の置き土産があったようだ。
恐らく、鎧とは別の安全装置。
裏切り防止の為に組み込んだ術だろう。
(今のうちに…!)
頼光は地面を蹴り、道雪に背を向ける。
「ぐ…! 逃がすか!『霹靂一声』」
左腕で胸を抑えながら、逆の腕で太鼓を殴りつける道雪。
その音は天に届き、落雷が降り注ぐ。
「ッ!」
雷鳴が周囲一帯に轟いた。




