第八十三話 凶報
紅鏡にて、果心居士の強襲を受けた。
命辛々都へ戻った局達からもたらされた凶報は、皆に衝撃を与えた。
一番重傷を負っていた鈴鹿は治療を施され、すぐに救援が向かわされた。
「ッ…!」
選ばれたのは、直毘衆最速の信乃だった。
息一つ乱さず走る信乃の顔には焦燥が浮かんでいた。
鈴鹿達を逃がす為、たった一人残った千代。
霊鬼六道の二体を相手に、生き残れる筈が無い。
本来なら数刻は掛かる道を半刻で走り抜け、信乃は紅鏡へ辿り着いた。
しかし、それでも全て遅すぎた。
「…くそッ」
そこにあったのは、焼け焦げた遺体。
顔も性別も、何も分からない焦げた炭の塊。
だが、その傍らに落ちていた物は、妖刀だった。
三日月宗近。
無惨にも破壊されているが、間違いなく千代の刀だ。
「―――ッ」
コレは当然の結果だ。
生きている筈がない、と頭では理解していた。
きっと一人ここへ残った千代自身も、そう考えていたことだろう。
自分が殺されることも理解した上で、鈴鹿達の命を優先したのだ。
「千代君は…」
少し遅れて辿り着いた頼光が尋ねる。
その言葉に、信乃は視線で千代の遺体を示した。
「…そう、か」
「馬鹿な奴だ。他人の為に、命を落とすなんて、さ」
信乃は表情のない顔で、千代の遺体を見つめる。
直毘衆とは思えないくらい、甘さの抜けない奴だった。
自分では冷血なつもりだったのかも知れないが、誰よりも情の深い女だった。
女は弱く、情が深い。
「…だから女は嫌いなんだよ」
天文道の妖術も交えた治療の結果、鈴鹿は一命を取り留めた。
今は未だ眠っているが、意識も数日で戻るようだ。
直毘衆でも天文道でも無い一般人にしては、妙に傷の治りが早いことに担当した術師は首を傾げたが、理由は分からなかった。
金剛の一撃を受けた局も回復し、今は帝へ報告に向かっている。
「………」
千代の遺体と妖刀は持ち帰られ、略式ながらすぐに葬儀が行われた。
二度鬼を退け、勢いに乗っていた所に届いた凶報に、多くの人が嘆き悲しんだ。
「…千代君」
頼光は千代の納められた棺を見つめ、一人呟く。
千代と最も付き合いが長いのは、頼光だった。
まだ道雪が生きていた頃からの仲であり、彼が死んだ後は父や兄のように面倒を見ていた。
頼光は道雪の死に責任を感じていた。
だからこそ、父を失った千代のことを特に気に掛けていた。
(…気に掛けていた、か。笑わせる)
自嘲するように頼光は苦笑いを浮かべる。
必ず護ると道雪の墓前に誓っておきながら、このざまだ。
考えが甘すぎた。
鬼を何体も殺しておきながら、自分の仲間は殺されないとでも思っていたのか。
コレは人と鬼の戦争だ。
明日には自分が、友人が、家族が、死ぬかもしれない。
そんなことは、十年前に分かっていた筈なのに。
「…金剛、か」
局達の報告では、果心居士は別の鬼を連れていたらしい。
全身甲冑に身を包んだ鎧武者の鬼。
卓越した技量もそうだが、何より強力な雷の妖術を操る鬼だと。
(雷…)
その言葉に、頼光の脳裏に一人の男が過ぎる。
しかし、すぐに頭を振ってそれを否定した。
彼の筈がない。
例え果心居士が死人を蘇らせるとしても、彼だけはそれに応じる筈がない。
彼が人に剣を向けることなど有り得ない。
鬼に成り果てることなど、在る筈が無いのだから。
「やれやれ、ようやく帰って来れましたか」
「………」
「お疲れさまでした、金剛さん。後は好きにして良いですよ」
鈴鹿山へ戻った果心居士は、笑みを浮かべながら金剛へ告げる。
金剛は兜に覆われた頭を軽く動かし、ゆっくりと歩いて行った。
「………」
果心居士はそれを観察するように目を細める。
(今回は奴の動作確認も含めていたが、問題は無いようだな)
命令には問題なく従い、使用する上で何の不都合も無い。
敢えて言うなら、額の傷で僅かに知性が戻ったことだが、それでも大きな問題とは言えない。
むしろ、僅かでも知性が戻った分、前よりも本来の実力を発揮できる筈だ。
あまり使いたくない駒だったが、他に手が無ければ仕方がない。
これからは奴も使っていく必要がある。
「…チッ」
果心居士は自分の腕を見て、舌打ちをした。
まるで陶器のように白い皮膚が、ボロボロとひび割れていた。
(もう長くは持たない。アレを手に入れるのが先か、俺の器が限界を迎えるのが先か…)
果心居士は忌々しそうに、都の方向を睨んだ。




