第七話 仮面
「………」
町の市場にて、信乃はぼんやりと座り込んでいた。
目の前に置いてある敷物には、手製の笠が並べられている。
どうやら、笠売りをしているようだ。
信乃の目立つ容姿に惹かれて何人か足を止めているが、本人にあまりやる気はないようで、声を掛けることもなく空を見上げている。
(あの鬼は雑魚だった。長く生きていたようだが、それだけだ)
つい先ほど倒した胡蝶を思い出しながら、信乃は考える。
多くの人を喰らった為か、人に紛れる程度の知能はあったようだが、信乃にとっては雑魚に等しかった。
信乃でなくとも、多少の心得がある物なら簡単に滅ぼせる程度の餓鬼だ。
「!」
ぴくっと信乃の眉が動いた。
ピリピリとした痺れるような感覚を感じ、片手で耳を抑える。
『お疲れ様。元気しているかい、信乃君』
「頼光か」
頭の中に直接響くような声に、信乃は小声で答える。
「相変わらず、見事な腕だな。『天耳』で幾つも山を越えた先にいる相手と交信するなんて」
感心したように無言で何度も頷く信乃。
本来、天耳とは遠くの音を拾い集める術なのだ。
信乃も胡蝶の屋敷で結界に囚われた鈴鹿を探す際に使用したが、信乃はこの術があまり得意ではなかった。
それを応用して自身の声を送るなど、例え教えて貰っても出来る気がしない。
『適材適所さ。僕は君達ほど腰が軽くないからね。安全な所でコソコソと君達に指示を出せる術が性に合っているってだけの話さ』
「よく言うぜ、刀も抜かずに俺と対等に戦っておいて。お前、絶対前線向きだろう」
『かもね。まあ、都を護るって言う大事な仕事があるんだよ。僕には』
「帝や豪族共のご機嫌取りだろう? 都に鬼なんて、ここ最近出てないじゃねえか」
『それが仮にも隊長を務める僕の仕事なんだよ。はぁ、早く後継者見つけて引退したい』
ため息交じりに頼光はそう言った。
疲れ切った老人のような言い方だが、声自体はだいぶ若く聞こえる。
『それより仕事終わったなら、そろそろこっちに戻ってきて欲しいんだけど』
「いや、仕事はまだだ」
『うん? 君が手こずるなんて珍しいな』
顔は見えないが、本当に不思議そうに頼光は言った。
「手こずっている訳じゃねえよ。肝心の鬼共が隠れていて中々見つからねえだけだ」
『だから索敵の術も鍛えておけって、都に居た頃にアレほど言ったのに…』
「うるせえ」
親に叱られた悪童のように、信乃は顔を顰めた。
「つーか、この町は鬼が多すぎだろう。もう五匹は狩ったのに、まだ居るみたいだ」
うんざりしたように吐き捨てる信乃。
数日前にこの町に来てから、胡蝶以外にも四体の鬼を斬り殺している。
然程大きくもない田舎町にコレだけの鬼が集中するのは異常だ。
『確かにそれは妙だね。穢れから自然発生する餓鬼が、人の少ない町に幾つも生まれるとは考え辛い』
「…おい、まさかとは思うが」
『強い鬼は存在するだけで多くの穢れを生む。その町のどこかに、餓鬼以上の鬼がいる可能性はある』
「ッ」
ぶるり、と信乃は身体を震わせた。
それは恐怖ではない。
武者震い、そして怒りだ。
信乃が心から求めている鬼は、あんな雑魚ではない。
コソコソと人目を避けて卑しく人を喰らう餓鬼などではなく、
伝承に伝わる、人類の敵である悪鬼だ。
『ふむ。君だけでも大丈夫だとは思うが、万全を期したい。援軍を送るから君はしばらく身を隠し…』
「よし! そうと決まれば話は早え! 町中探し回って、この手でぶっ殺す!」
『ちょっ!? もしもーし! 話聞いてるー!? 君はしばらく待機だって!』
突然立ち上がった信乃は周囲の者に注目されることも気にせず、大声で叫ぶ。
その不穏な言葉に頼光は慌てて叫ぶが、信乃は聞いていない。
『ちょっとちょっと! 一応、僕は隊長だよ! 隊長命令には従った方が良いって!』
「話は終わりだ! 明日また連絡してくれ、その頃には鬼を仕留めておく!」
『あーもー! 何でいつもいつも僕の言うことを聞いてくれないのか!?』
それは頭を抱えているのが容易に想像できる叫び声だった。
「はい、コレでもう大丈夫ですよ」
同じ頃、鈴鹿はとある民家に清めの札を貼っていた。
鈴鹿お手製の厄除けを込めた札だ。
それを入口付近に貼ることで、邪気と厄を遠ざけることが出来る。
「ついでにお爺さんの腰も治しておきましたから」
「お、おお! 随分と楽になったよ、ありがとう」
「お大事に」
満面の笑みで感謝の声を上げる老人に、鈴鹿も笑みを浮かべて家を後にした。
家族を亡くした者の家には厄が溜まり易い。
一人暮らしなら尚更。
溜まった邪気や厄は、病と言う形になって家主を蝕む。
この老人の腰の病気も、それが原因だった。
鈴鹿の持つ呪術は、目に見えない厄を祓うことが出来る。
今までも世界各地を旅しながら、この力で人助けを続けてきた。
それで人が救えると信じていた。
今までは。
「………」
思い浮かべるのは、鬼と化した胡蝶。
人の穢れから生まれると言われる餓鬼。
あの存在が人を襲ったら、鈴鹿は何も出来ない。
鈴鹿の札など容易く引き千切り、老人の肉を喰らうだろう。
多少の穢れは祓えるかも知れないが、本当の化生の前では鈴鹿は無力だ。
(…あの人は)
妖刀を振るうあの男は、どうして鬼を斬ることを決めたのだろう。
讃えられず、認められず、それでも鬼と戦い続けるのは何故だろうか。
あの男のことを知れば、鈴鹿も鬼から人を護る力を得られるだろうか?
「…?」
その時、考え事をしていた鈴鹿は視線を感じて顔を上げた。
首を傾げながら視線を向けると、そこには小さな影があった。
カランコロンと大きめの下駄を鳴らして近付く影。
背が低く、5尺程しかない男。
髪は老人のように真っ白で、手足も細く、枯れ枝を思わせる。
何より特徴的なのは、顔に被った面だ。
小さな顔を隠すように、恐ろし気な般若の面を被っていた。
「こんにちは」
外見にそぐわぬ穏やかな声で、それは言った。