第六十六話 道具
「これでもあなたには期待していたのでござるよ。頼光殿」
才蔵は二体の分身を従え、そう言った。
「あなたは十年前の戦いを生き残った。疑うまでも無くあなたは最強の直毘衆でござる」
紛れも無い称賛を送りながらも才蔵の目つきは冷めたままだ。
「ですが、あなたは堕落した」
「何だって…?」
「戦いを忘れ、大義を忘れ、ただ日々の安寧に溺れることを堕落以外の何と言う」
才蔵の言葉には、明らかな失望の色があった。
堕落、と才蔵は現在の頼光を称した。
まるで侮蔑するような目で頼光を睨む才蔵。
「何を根拠に…」
「あなたは大義の為なら、友を殺せるでござるか?」
反論しようとする声を遮り、才蔵は言った。
「あなたにとって大切な友………そうだな、信乃殿が良い」
「!」
「もし仮に、信乃殿の正体が鬼だったと陛下に告げられたとして、躊躇いなくその手で斬ることが出来るでござるか?」
「………」
頼光は腰に下げた自身の刀を見つめた。
もし才蔵の言うようなことが起きたとして、自分はどうするか。
「…まずは話を聞く。自分が納得するまで信乃君の話を聞き、和解の道が無いか探す」
少し考えた後、頼光が出した答えはそれだった。
誰かに言われただけで殺すほど、信乃と頼光の仲は浅くない。
本当に鬼だったとしても、殺し合う以外に道が無いか探すだろう。
「…反吐が出る」
その甘すぎる答えに、才蔵は嫌悪を浮かべて吐き捨てた。
主の感情に従ったのか、巨漢の分身が突然拳を振り下ろす。
「ぐっ…!」
「大義の為なら、友を殺すことも躊躇うな。あなた方は何人死のうと代わりはいるが、国が滅んでしまえば全て終わりだ」
「命より大義を優先するなんて、そんなのは人の道では…!」
「道雪殿は躊躇わなかった」
「ッ!」
分身の拳を受け止める頼光の顔に動揺が浮かぶ。
その光景は今でも覚えている。
度々衝突することもあったが、互いに実力を認め合っていた二人。
口にこそ出さなかったが、誰よりも友情を感じていた相手を道雪はその手で斬った。
その内心はどうあれ、妖刀に操られた友を殺すことに一切躊躇いは無かった。
他の元親衛隊もそうだ。
誰もが大義の為に身を捧げ、あの戦いで命を落とした。
ただ一人、頼光を除いて。
「だからあなたは陛下に信用されない! 殺せと言われた相手とも和解したいなんてほざく甘ったれに、与える任務なんてある筈がない!」
才蔵の怒りと共に、分身達の力が増していく。
頼光は妖力を纏わせた錫杖で何とか捌いているが、拳を受ける度にミシミシと嫌な音が響いた。
「…その点、天文道の連中はお利口で使い易くて助かる」
「使い易い…?」
「ええ。あの姉妹なんか特に」
現在の天文道は全て帝に忠誠を誓った下僕だが、初芽と局はその中でも特別だ。
実力が優れていると言うのもそうだが、何より狂信とも言える忠誠心を持つ。
「命を救われたことに恩を感じているようだが、端金で命を買われたことをよくそこまで喜べる物だ」
どこか憐れみすら感じているような口調で才蔵は言った。
「便利な道具だ。あの二人は」
「………」
ミシッと頼光の持つ杖が軋む音が響いた。
才蔵の言葉に惑わされていた頼光の眼に意志の光が宿り、才蔵を睨みつける。
「やっぱり、君の考えは理解できないよ」
頼光は静かに告げる。
理解できる訳がない。
あらゆる物を犠牲にして、大義の為だけに生き続ける。
そんなのは血の通った人間の生き方ではない。
才蔵の言うように、道雪は確かにそのように生きた。
だが、だからこそ頼光は同じ道を歩む気は無かった。
自己を犠牲にし続けるだけの人生。
その果てに、道雪は命を落とすことになったのだから。
「もう理解して貰う気も無い」
才蔵は手を動かす。
それを合図に、二体いた影分身がより大きな一つの影になる。
純粋な実力では才蔵は頼光の足下にも及ばない。
しかし、今の頼光は妖刀を抜くことが出来ず、動きも封じられている。
頼光が習得している妖術は基本的な身体強化と、人間には効かない邪鬼調伏の術。
距離を離し、影分身で攻撃する才蔵に対し、頼光は何も反撃することが出来ない。
「やれ」
主の声に従い、巨漢の分身は両腕を思い切り振り下ろした。
それを受け止めた頼光の足下に亀裂が走る。
(受け止めたか。しかし、そのまま体重をかけて押し潰す)
「ぐ…う…」
杖で拳を受ける頼光の腕や足から骨が軋む音が聞こえた。
反撃の手立てが無い以上、頼光はこのまま潰されるしか無い。
才蔵は勝利を確信し、布の下で笑みを浮かべた。
「ぐ、おおおおおおおお!」
「なっ…!」
頼光の雄叫びを聞き、才蔵は思わず声を上げた。
より一層巨大化した分身の足が、宙に浮いていた。
妖力を使って身体能力を最大まで強化した頼光は、巨漢の分身を上半身の力だけで投げ飛ばしたのだ。
(まさか、そこまで…)
妖刀に頼らずにそれほどの妖力を操れるのは、想定外だった。
だが、驚きはしたが状況は然程変わらない。
分身を自身の頭上に投げ飛ばす程の怪力を持つから、何だと言うのか。
その場から動けないことには変わりなく、才蔵が優位であることに変わりは…
(………頭上に?)
ハッとなり、才蔵は空を見上げ、次に頼光の方を向いた。
そこに、頼光の姿は無い。
「『神足』」
その声は、才蔵の背後から聞こえた。
「そうか、頭上に分身を投げたのは…」
「影を消す為、だよ」
そう、才蔵は最初に言っていた。
『影縫い』は、相手の肉体では無く、影を狙う術。
相手の影に苦無を突き立てることで影を縫い留める呪い。
ならば、その術の解き方は苦無を抜くか、影を消すこと。
だからこそ、頼光は自身より体が大きい分身を頭上に投げ、自身の影をその中に隠した。
それにより影縫いは効力を失い、頼光は自由の身となったのだ。
「詰みだよ。才蔵君」
「………は」
才蔵は突き付けられた杖の感触を背に感じながら、失笑を浮かべた。




