第五十三話 武人
死を恐れたことは無かった。
人間はいつか死ぬものだ。
帝の親衛隊として、多くの命を奪ってきた自分はそれをよく理解していた。
だから、もう長くないと伝えられた時も恐怖は感じなかった。
残りの人生をどう生きるかではなく、どう死ぬかを考えた。
戦いの中で生き続けたのだから、戦いの中で死にたい。
いつしか、そう思うようになった。
『………』
しかし、敵はあまりにも弱かった。
まともに戦いになればマシな方で、大抵の賊は槍の一振りで片が付いた。
親衛隊は確かに才能があるが、それでも本気を出せば相手にならない。
本気になった自分について来れるのは、
あのいけ好かない道雪だけだった。
規律だの忠義だのと五月蠅い男だが、実力だけは自分以上だと認めていた。
国に忠を尽くし、呆れる程に清廉潔白。
もし、自分が悪逆に堕ちることがあれば、
それを殺すのは奴だろう、とそう思った。
『………』
望んでいた形では無かったが、終わりは意外と早く訪れた。
鬼との戦いを控え、少し気が昂っていたのかも知れない。
怪しげな刀に手を出し、気が付くと全てが終わっていた。
致命傷を負って倒れる自分を見る、あの男の眼。
憐憫と後悔が宿ったあの眼だ。
あんな物は、勝者が浮かべて良い表情ではない。
せめて、この勝利を誇り、敵を倒したことに安堵していたらなら、未練を残すことも無かった。
まるで友を殺したことを嘆くような顔で見送られるなど、戦士としてこれほど屈辱的なことは無い。
認めない。
こんな最期、認めてなるものか。
『おはようございます。生まれ変わった気分はどうですか? 長可さん』
暗い闇の底から意識が浮上したと思ったら、自分は鬼へと転生していた。
人間で無くなったことは、どうでも良かった。
それよりも、あの惨めな結末を変えることが出来る喜びの方が大きかったからだ。
今度は鬼として、あの男と戦うのも面白い。
今度こそ、戦士として最期まで戦って見せる。
『ああ、申し上げにくいのですが…』
自分を蘇らせた男は、言い辛そうにそれを口にした。
信じ難い、事実を。
『死んだ、じゃと? あの男が…?』
有り得ない。
鬼との戦いがどれだけ激しい物だったのかは知らないが、あの道雪が負ける所など想像も出来ない。
誰かに殺されるなど、信じられなかった。
『馬鹿な! 奴が死ぬ筈がない! この儂がただの一度も勝利できなかった本物の英雄だぞ! 例え、どんな魑魅魍魎が相手でも、後れを取る筈が…!』
『それがですね。彼は―――』
『―――』
それは、失望だった。
己を倒した男が、自分より上だと認めた男が、
そんな下らない理由で命を落としただと。
『………』
かつて自分を殺した男はもうどこにも居ない。
ならば、もう自分に出来ることは一つしかない。
鬼として、思うままに振る舞う。
人を殺し、人を喰らい、悪逆のままに生き続ける。
英雄に滅ぼされる、その時まで。
『誰かこの儂を殺せる勇者は居ないのか! 悪鬼羅刹を倒さんとする英雄は!』
誰か、誰か応えてくれ。
誰か…
『ふう。良い運動になった』
氷像となった酒吞童子を前に、村雨丸はポキポキと骨を鳴らした。
激戦の後だと言うのに、少しも疲労した様子は無い。
「た、倒した…?」
『おう、終わったぞ。巻き込まれなくて良かったな、人間』
酒吞童子と村雨丸が戦ったことで周囲はすっかり荒れ果てている。
地面は凍り付き、建物には鉄の槍と氷柱が幾つも突き刺さっていた。
どこか大雑把に見える村雨丸の性格上、頼光が巻き込まれる可能性も十分にあった。
「僕の名前は頼光と言う。君は、村雨丸で良いのかな?」
『最近はその名前を使っている。人間、貴様もそう呼べ』
「………」
どうやら、頼光を名前で呼ぶ気は無いようだ。
『うん? 貴様、怪我をしているな。早く治療した方が良いぞ』
「え? あ、ああ、取り敢えず自前の妖力で応急処置は済ませたよ」
『我が凍らせて止血しても良いのだが、悪いが我は加減が苦手だ。貴様を凍死させかねん』
「は、はは、気持ちだけ受け取っておくよ」
信乃の口から信乃ではない声が出ることに違和感を感じながら、頼光は苦笑いを浮かべる。
態度は尊大だが、保有する力の割に話は通じそうな雰囲気だ。
妖刀に宿る怨念に乗っ取られたと言うので、今度はこちらに襲ってくるのではと警戒していた。
「ところで、そろそろ信乃君にその体を返してあげてくれないかな?」
『…そうしたいのは山々なのだが』
村雨丸は人間臭い仕草で頭を掻く。
『戻り方が分からん』
「え゛」
『まあ、心配せずとも、自然と元の状態には戻る筈だ』
呑気に刀の手入れをしながら、村雨丸はそんなことを言う。
信乃の妖刀は折れていた筈だが、いつの間にか元の形に直っている。
「信乃さん」
問い詰めたいことは沢山あるが何から言えば良いのか、と頼光が迷っていると声が聞こえた。
声の主は鈴鹿だった。
千代と二人で、周囲を見渡しながら信乃の下へ走ってくる。
「ああ、鈴鹿君。彼は…」
信乃では無い、と伝えようとした時、頼光は背筋が凍り付いた。
先程と同等、
否、酒吞童子と戦っていた時以上の殺気が村雨丸から噴き出す。
『貴様、鈴鹿か?』
「え…?」
雰囲気が一変した村雨丸は、眼にも留まらぬ速度で鈴鹿に迫った。
その赤く染まった目に映るのは、怒りと戸惑いだ。
『何故だ! 何故、貴様がここに居る…!』
無意識の内に冷気すら放ちながら、問い詰める村雨丸。
困惑する鈴鹿を護るように、横から刀が伸びた。
「待ちなさい。あなたは誰? 信乃の姿をしているけど、アイツじゃないわね」
千代は鈴鹿を庇って前に出ながら、刀を村雨丸に突き付ける。
それを村雨丸は煩わしそうに見つめた。
『刃を収めよ、人間。今の我は少々気が立っている。そこを退け!』
「ッ」
退かないなら殺す、と目で語りながら村雨丸は叫ぶ。
放たれる妖力と殺気は本物だ。
村雨丸がその気になれば、一瞬で千代は地に沈むだろう。
「ま、待って下さい! ええと、状況がさっぱり分からないので! 私にも詳しく説明して下さーい!」
『………』
「あれ? ど、どうしました?」
突然大声を上げた鈴鹿に視線を向けたまま、村雨丸は動きを止めた。
何か信じられない物を見たように鈴鹿を見つめている。
顔に浮かぶ表情に、戸惑いが増えた様に見える。
『…違う。奴じゃない? だが、似すぎている。まさか…』
ぶつぶつと何か呟いたと思ったら、村雨丸は眼を閉じた。
放っていた妖力と殺気が消え失せる。
「…あの、もしもーし?」
全く動かなくなった村雨丸を心配そうに見つめる鈴鹿。
呼吸すら止まっているのではないか、と思うほどに静止した村雨丸に恐る恐る手を伸ばす。
「…死んじゃったんですか?」
「死んでねえよ、阿呆」
「うわッ!?」
パシッと伸ばした手を掴まれて鈴鹿は飛び上がる。
それを不機嫌そうに睨む眼は、鈴鹿のよく知る物だった。
「信乃さん、ですよね?」
「それ以外の何に見える」
「いやいや、先程までのあなたは何か変でしたよ?」
「…はぁ、分かっている。分かっているから、今は深く突っ込まないでくれ」
瞳の色が元に戻った信乃は、深いため息をついて言った。
どうやら、村雨丸となっていた時の記憶はちゃんとあるらしい。
村雨丸に対してあれだけ見栄を切ったのに、結局は酒吞童子を倒す為に彼の力を借りたことに自己嫌悪しているようだ。
「まあ、何にせよ。元に戻って良かった」
「ああ、そうだな」
頼光の言葉に、信乃は力なく頷く。
ちらり、と視線を氷像となった酒吞童子へ向ける。
自分の力では奴を倒すことは出来なかった。
村雨丸の力は強大だが、頼りにするのは危険だ。
今回はどうにか戻ったが、戻れない可能性も十分にあった。
「………」
強くならなければならない。
彼の力を借りずとも、鬼を倒せるように。
「………?」
ふと、奇妙な音を聞いて信乃は首を傾げた。
パキパキと言う何かが壊れるような軽い音。
それは、視線の先にある氷像から聞こえていた。
「…まさか」
嫌な予感が浮かんだ時、その氷像に亀裂が走った。
氷の牢獄を内側から砕き、現れたのは悪鬼羅刹。
「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…!」
「まだ、生きているのかよ…」
「当然じゃ。この儂が、儂が、あんな刀如きに…!」
槍を杖代わりにして立ち上がる酒吞童子は、既にボロボロだった。
肉体の半分は村雨丸の冷気で凍結し、足など今にも砕けてしまいそうだ。
「長可さん…」
「武人としての死を迎える。戦いの中で朽ち果てる! その為に儂は地獄より蘇ったのだ! こんな死に方では、死んでも死に切れんと言うもの!」
酒吞童子は震える手で槍を握る。
「構えろ、小僧! 今少し付き合って貰うぞ!」
「…ハッ」
信乃は複雑そうな表情で刀を構えた。
それを見て、酒吞童子は獰猛な笑みを浮かべる。
「行くぞ! 我流『人間無骨』」
「『天泣』」
両者の技は、ほぼ同時に放たれた。
速度では縮地を操る信乃が上。
筋力では怪力を誇る酒吞童子が上。
勝負は一瞬で決まる。
先に一撃を入れた方が勝ちだ。
「ハァ!」
酒吞童子は自身の足が砕けることも気にせず、全力の突きを放つ。
酒吞童子の槍と、信乃の足は同速。
ならば勝敗が決まるのは、その間合いの差。
信乃の刀と酒吞童子の槍では、槍の方が先に敵を貫く。
(貰った…!)
槍が、届く。
神速の突きが、信乃の心臓を穿つ。
その瞬間だった。
「な、に…?」
信乃の手に、刀が握られていなかった。
ならばどこへ行ったのかと思考した時、胸に感じる衝撃。
神速の突きは、あと一歩と言う所で止まり、体が崩れ落ちる。
「くかか…己の得物を、投げるじゃと…?」
そんなこと、生粋の武人である酒吞童子には思いも寄らなかった。
全く、最後まで武人らしく無い男だ。
「じゃが、まあよい」
意識が闇に沈んでいくのを感じながら、酒吞童子は晴れやかに笑った。
「闘争の果てに、自分を敗った勝者を讃えながら死ぬ。あの時と比べれば、幾分マシじゃ」
あの時のような後悔と悲愴に満ちた物ではない。
酒吞童子は、戦いの末に武人として敗北したのだ。
「見事なり」
その健闘を称え、酒吞童子は目を閉じる。
(ああ、死に場所としては、悪くないのう)
そう最後に思考し、その魂は再び地獄へと戻っていった。




