表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
直毘国鬼切伝説  作者: 髪槍夜昼
第弐章
51/120

第五十一話 変生


降り続ける雨。


天は全て信乃に味方する。


村雨から放たれる魔力が周囲の水を支配し、力となる。


「喰い殺せ!」


信乃の叫びと共に、八つの首を持つ大蛇が鎌首をもたげる。


一匹でも優に人を呑み込む化物が八匹同時に襲い掛かった。


「くかかかかか! 面白い!」


それを迎え撃つ酒吞童子の手に槍は無い。


今はその全身から生える槍や剣が酒吞童子の得物だ。


「『鉄末火処てつまっかしょ』」


酒吞童子の体が赤く熱を持つ。


煮え滾る鉄のように赤い刃が迫る大蛇を纏めて貫いた。


「この程度の冷気で、儂の闘志を醒ますことが出来ると思ったか! 小僧!」


ジュウと音を立てて、水の大蛇は蒸発した。


蒸気のように白い煙を纏いながら、酒吞童子は凶悪な笑みを浮かべる。


「チッ!『豪雨ごうう』」


信乃は舌打ちをしつつ、地面に刀を走らせる。


足下の水を救い上げるような動作と共に、高波(・・)が出現した。


酒吞童子の背丈すら超えた、見上げる程の波。


普段ならこれほどの水を操れないが、周囲に水が満ちている状況だからこそ発動できる。


「無駄じゃ!」


しかし、どれだけの水量を相手にしても酒吞童子の余裕は崩れない。


赤く染まった熱鉄の前には、例え湖だろうと干上がる。


「これなら、どうだ!」


信乃もこの技がそのまま通じるとは思っていない。


高波が酒吞童子に触れる寸前、その中に刃を突き入れた。


「凍てつけ『銀竹』」


瞬間、見上げる程の波が余すことなく凍結した。


現れるのは氷の壁。


そして、そこから突き出る無数の氷柱が酒吞童子の全身を貫く。


「ぐ…ぬ…!」


白銀の刃が血で濡れる。


目の前で冷気に晒されたせいか、赤く染まっていた鉄も元の色に戻っていた。


「止めだ!『天泣』」


動きの止まった酒吞童子の心臓を狙い、神速の突きが放たれる。


どれだけ強大な存在に変貌しようと関係ない。


ここさえ突き砕けば、酒吞童子は倒せる。


「無駄じゃと言った!」


「な…!」


ギィンと鈍い音を立てて、信乃の刀は弾かれた。


地面から新たに突き出た槍に、その剣先を阻まれたのだ。


「くかか!『鉢頭摩処はちずましょ』」


その瞬間、信乃の足下から次々との刃が突き出る。


酒吞童子の司る地獄道『衆合・刀山剣樹』は地獄を作る力だ。


罪人に責め苦を与える刃を地上に具現化し、敵を貫く能力。


相手が百なら百通りの、千なら千通りの、地獄を作り上げる。


地獄の刃が出現する場所は、酒吞童子の体のみならず、その知覚出来る範囲全て。


信乃は無警戒に、酒吞童子の間合いに入り込んでしまったのだ。


「…くっ!」


縮地を持つ信乃でも、地面から突き出る刃を全て躱すことは出来ず、足から血を流す。


「その傷ついた足でコレを躱せるか?」


酒吞童子の全身から生える刃がその先端を信乃へ向ける。


「全身で浴びよ『一切根滅処いっさいこんめつしょ』」


信乃へ向けられていた刃が全て射出された。


降り注ぐのは、鉄の雨。


躱せないの判断した信乃は咄嗟に刀を使って弾く。


「お、おおおおおお!」


槍や剣を受ける度に、刀が悲鳴を上げる。


その刀身に亀裂が入っていく。


妖刀とは、妖力を含んだ刀。


尋常な手段では壊すことなど出来ないが、酒吞童子の放つ刃も妖力を帯びている。


だとすれば、残るのは純粋な強度のみ。


それは当然の結果だった。


「ッ…!」


妖刀『村雨』は遂に限界を迎え、砕け散った。


それに驚愕する間もなく、残る刃が全身を貫き、信乃の意識は闇に堕ちた。








「くかか! くかかかかかかかか! 妖刀が砕けたか!」


愉快で堪らないと言いたげに、酒吞童子は嗤った。


あの憎い刀を、この手で壊したと言う事実に狂喜する。


「そんな物を頼りにしているから死ぬことになるのだ! 己の力も信じられぬ、愚か者よ!」


血の池に沈む信乃を見下ろし、酒吞童子は嘲笑した。


そうだ。こんな物に頼るのは弱者だ。


あの時、天文道に唆された愚かな自分を思い出す。


その危険性も何も聞かされず、妖刀を取った結果、どうなったか。


「………」


妖刀に宿る怨念に自我を支配され、気が付いた時には全てが終わっていた。


覚えているのは、致命傷を負って地に伏した己。


それを悲し気に見下ろす道雪の眼。


認めない。


あんな最期を、認められる筈が無い。


だから長可は酒吞童子となった。


人の身を捨て、鬼となった。


全てはあの惨めな最期を変える為に。


「長可さん…あなた、は…!」


「まだ動けたのか」


血を吐きながら叫ぶ頼光を酒吞童子は退屈そうに見る。


背に受けた槍は内臓を貫き、頼光の体を貫通している。


動くだけでも激痛が走る重傷を負いながら、頼光は意識を保って酒吞童子を睨んだ。


「あなたは、信乃君を…!」


「それ以上動くな。命を縮めるぞ」


酔いが醒めたように酒吞童子は吐き捨てた。


「あの小僧を仕留めたことで、儂の溜飲も下がった。今日はもう、鈴鹿山に凱旋するとしよう」


暗に見逃すと言っているのだ。


当然ながら、頼光に対して情が湧いた訳ではない。


どうせ戦うのなら万全の状態で戦いたいと言う個人的な思惑からだ。


「ふざ、けるな…!」


ギリッと頼光は歯を食い縛る。


「また僕一人、生き恥を晒せと言うのか! 僕はまた、何も護れないと言うのか!」


頼光の心に宿る傷。


かつての戦いの中で、たった一人生き残ってしまった罪悪感。


今度こそは、と育て上げた我が子同然の信乃を手に掛けられ、思考が怒りに染まる。


傷口から血を流しながらも、頼光は立ち上がった。


「儂の知ったことではない………が、武人として生き恥を晒したくないと言う思いは理解しよう」


酒吞童子は地面から生やした槍を取る。


「その命、貰い受けよう」


満身創痍の頼光にこの槍は躱せない。


万全の頼光と戦えないことを残念に思いながらも、酒吞童子は槍を振るう。


その時だった。


「…?」


酒吞童子が訝し気に首を傾げる。


手にした一本の槍。


その表面が白く染まったのだ。


(コレは、霜か? 急にどうして…)


何の前触れもなく、周囲を異様な冷気が包み込んだ。


水溜りに氷が張っている。


雨水に濡れた酒吞童子の体も、僅かに凍り付いていた。


『地獄。地獄ねえ』


凍えるような冷たい声が聞こえた。


雨が、男を避けている。


白い霧を纏ったそれ(・・)は、先程までそこに居た男ではない。


「小僧。貴様、何故生きて…」


信乃の身に突き刺さっていた刃は、全て凍結してバラバラに砕けていた。


その傷口から流れていた血すらも、凍り付いて止まっている。


『この程度か?』


「何じゃと?」


『この程度が、貴様の考える地獄かと聞いているのだ。答えろ』


無限の刃と、貫かれて死に絶える人々。


地上の地獄とも言える風景を見ながらも、それはこの程度(・・・・)と評価する。


『随分と浅い地獄だ。生前は、余程善行を積んだと見える』


男に蔑む意図はない。


傲慢ながらも、むしろ称賛していた。


本当の地獄を知らない程、恵まれていると評価した。


「貴様は、何じゃ? 不快じゃ。意味は分からんが、ただ見ているだけで不愉快じゃ!」


『そう言うなよ、酒吞童子(・・・・)。我と貴様の仲ではないか』


「知らぬ。貴様など、儂は知らぬ! 儂の視界から消えよ、亡者め!」


感情のままに酒吞童子は槍を振るった。


何故だか分からないが、胸騒ぎがした。


この酒吞童子の心臓(・・)が騒ぐ。


ぞくぞく、と背筋に走る感情を振り払うように酒吞童子は渾身の突きを放った。


『おいおい。何だ、それは?』


「な、に…?」


酒吞童子は己の眼を疑う。


渾身の力を込めて放った槍が、男に触れる寸前に砕け散ったのだ。


『本当は分かっているのだろう? こんな物は我に通じない。全て無駄だ。貴様は我に勝てない』


「き、貴様は、何者だ!」


目の前に立つ何かを睨みながら、酒吞童子は叫ぶ。


芯まで凍てつき、粉々になった槍の残骸を握る手が震える。


『我か? 最近は取り敢えず村雨丸と、そう名乗っている』


そう言って村雨丸は信乃と同じ顔で笑った。


ぞくぞく、と背筋を走る感情。


酒吞童子が久しく忘れていたその感情の名は、


恐怖、だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ