第四十三話 勧誘
「死亡確認っと」
鬼に荒らされたある村にて、蝦夷はどうでも良さそうに呟いた。
その前には、盛り上がった土と突き立てられた墓標がある。
墓標に刻まれた名前は、蝦夷の同僚である直毘衆の物だ。
先日の虐殺の際、鬼と戦って討死したらしい。
「彼は、命の恩人です。彼が戦ってくれなければ、我々は誰一人生き残れなかった」
そう答えるのは、この村の村長だった。
確かに、村は破壊され尽くしているが、生き残った者も十数名ほどいる。
「ふーん。まあ、アンタらのことはどうでも良い。それよりも…」
「何ですか?」
「『刀』はどこにある?」
蝦夷は墓を一瞥した後、生き残った村人達の顔を見渡した。
そう、刀だ。
蝦夷が帝より与えられた仕事は、直毘衆に勅命を伝えること。
そしてもう一つが、直毘衆が死んでいた場合、その妖刀を回収すること。
彼らの持つ刀は、代えの利かない貴重品だ。
使い手に多少の素質を求めるが、相性が合えば誰でも新たな戦力になり得る刀。
今の状況では、一つとして欠けて欲しくない物だった。
「それが、申し上げにくいのですが…」
「こ、壊されてしまったのです。あの恐ろしい鬼によって…」
「………」
恐る恐る告げる村人達を蝦夷は無言で見つめる。
やがて、何かに気付いたようにその口元に笑みが浮かんだ。
「くく! おいおい、笑わせんなよ! こんな寂れた村でくたばった英雄様は、自分の刀すら護れなかったって言うのかよ!」
「ウウウウ…」
「くははは! そうだな! これほど馬鹿らしいこともねえよなぁ、八房!」
唸る愛犬の頭を撫でながら、蝦夷は嘲笑する。
この村の恩人である男の死を、無様であると嗤う。
「あ、あんた! 我々の恩人に向かってなんてことを…!」
怒りに顔を歪めて拳を握る村人達。
そんな姿さえ、蝦夷にとっては滑稽な物にしか見えない。
「くはは! ははははははは! コレが嗤わずにいられるかよー! 命を懸けて村を護った英雄様は、その助けた者達に唾を吐かれたんだからな!」
「ッ! あんた、何を言って…?」
「…アンタ達なんだろー? 英雄様の遺体に手を出し、刀を盗んだのは?」
スッと蝦夷の顔から笑みが消える。
否、最初から笑ってなどいなかった。
嘲笑するように口元を吊り上げながらも、その眼だけは冷淡に村人達を見つめていた。
「な、な、な…」
「この俺に嘘は通じねえぞ。アンタらは命の恩人の骸に汚い手で触れ、金目の物を残らず剥ぎ取った。はっはっは! こんなクズ共を救おうとして死ぬなんて、流石の俺でも同情しちまうなー」
段々と青褪めていく村人達。
その反応が答えだった。
自分を護って死んだ者からも盗みを働く恩知らず共。
汚物を見るような目で、蝦夷は村人達を睨む。
「し、仕方がないだろう! この村を見ろ! 雨を凌ぐ屋根すら残っていない!」
「少しでも金を得る必要があったんだ! もう死んだのだから、彼には必要ないだろう!」
「そうよ! 死んでしまった彼より、生きている私達が…」
「だ、大体、直毘衆のくせに、俺達の村をちゃんと護ってくれないのが悪いんだ!」
「………………」
醜い言い訳を続ける村人達を見た蝦夷の脳裏に、いつかの光景が過ぎる。
かつて、直毘衆と言う役目にまだ理想を抱いていた時代。
人々を鬼から護れば、こんな自分も少しはまともな人間になれるのではないか、と夢見ていた頃。
人間に化けた鬼を斬り殺した自分に向けられる目。
本性を表した鬼から助けてやったと言うのに、自分を化物扱いする者達。
普段は忌み嫌うくせに、都合の良い時だけ縋ろうとする身勝手な人間。
「――――うるせえ、黙れ」
「ヒッ! な、何を…!」
「あ、あああああ!? や、やめて! 助けて…!」
特別な何かが欲しかった訳じゃなかった。
鬼を憎んでいた訳じゃない。
成りたい目標があった訳じゃない。
敢えて言うなら『名声』が欲しかった。
十年前に都を護った頼光のように、誰かから認められたかった。
たったそれだけを求めて直毘衆になった蝦夷は、それ故に心が脆く、忌み嫌われ、蔑まれる日々の中で荒んでしまった。
「これだから人間は嫌いなんだよ」
「わん!」
「…ああ、そうだな。信じられるのはお前達だけだ」
八房の言葉を理解し、返り血に塗れた蝦夷は頷く。
人間と違い、こいつらは嘘をつかない。
自分を偽らない。
昔から、蝦夷の理解者は彼らだけだった。
「あはは。コレは、凄いな」
パチパチと拍手する音が聞こえた。
鬼に破壊された瓦礫の上に、男が立っている。
老人のように真っ白な髪に、枯れ木のように細い手足。
カランコロンと下駄を鳴らし、蝦夷に近寄るのは仮面を被った小男。
「…誰だ?」
「はじめまして、私は海若。『修羅道の霊鬼』を宿す者です」
丁寧に頭を下げながら、海若は言った。
蝦夷は警戒心を強め、手に妖刀を握る。
「鬼が、何の用だ?」
「いや、隠れて見ているつもりだったのですが、つい声を掛けてしまいました」
まるで旧友に接するように好意的に、海若は両手を広げた。
「私達、友達になれると思いませんか?」
「はあ?」
こいつは何を言っている、と蝦夷は訝し気な表情を浮かべる。
鬼と友達になる直毘衆なんて聞いたことが無い。
「見ていたんですよ。あなたの人間に対する憎悪! 何の躊躇いもなく刀を振るう殺意! 実に気に入ったよ! あなた、きっと良い鬼になりますよ!」
「………」
興奮した様子の海若を蝦夷は冷めた目で睨む。
何か企んでいるようだが、蝦夷に『嘘』は通じない。
(『他心』)
鈍く光る黄色の眼が海若を射抜く。
予備動作は一切ない。
卓越した蝦夷の『他心』は、本人にすら気付かれずに心を盗み取る。
その筈だった。
「む。この感覚は…『他心』と言うやつですか?」
しかし、目の前の鬼にその常識は通じなかった。
「私の心は覗けませんよ」
声と共に、海若は自身に掛けられた術を解呪した。
蝦夷の視線は海若に向けられたままだが、その心は靄が掛かったように見えない。
(俺の他心を弾いた、だと? こんなことは初めてだ…!)
蝦夷以上に三明に精通した頼光であっても、蝦夷の他心から逃れられないのだ。
それが破られたことに、蝦夷の警戒心が上がる。
「面倒な腹の探り合いはやめましょうよ。私は、あなたと手を組みたい。ただそれだけですよ」
「………」
「あなただって人間が憎いんでしょう? 我々の側に着くなら、好きなだけ人間を殺せますよ? あの醜い嘘吐き達が嘆き! 苦しみ! 死に絶える様を見たくないですか!」
人間でありながら人間の醜さを知る蝦夷に海若は共感を覚えた。
彼なら自分の思想を理解してくれると。
蝦夷は、海若の提案に思うところあるように笑みを浮かべる。
「答えは『否』だ」
その答えと共に、鮮血が舞う。
見えない刃が海若の左肩を掠めたのだ。
「少しは興味が湧くが、俺はアンタ達のことも大嫌いなんでね!」
海若の血を吸った刃が空中を舞い、赤い糸のように輝く。
「どうしてもと言うなら、この俺を殺してみろ。そうしたら、考えてやる!」
「そうですか…」
小さく低い声で、海若は呟く。
「ではお言葉に甘えるとしましょうか。『神足』」
「何…!」
フッと海若の姿が消える。
鬼特有の人間離れした身体能力ではない。
コレは妖術による一時的な身体強化。
直毘衆が持つ三明の術だ。
(コイツ、本当に鬼か…!)
「首を刎ねればあなたは死にますか?」
「ッ…!」
動揺する蝦夷の目の前に、海若が姿を現す。
その手には、どこで拾ったのか一本の刀が握られていた。
白刃が光り、蝦夷の首へ迫る。
「なめるなァ!」
刀を振るうには不向きな至近距離だが、蝦夷の刀はまともな刀ではない。
その鞭のような柔らかい刃は、蜘蛛の糸のように空中に張り巡り、海若の持つ刀を絡め取る。
「!」
「死ね。『唐紅』」
妖力で伸び続ける刃は、刀のみならず海若をも狙う。
自身に迫る刃に気付き、海若は刀から手を離した。
「ちぇ。そう上手くはいきませんね」
蝦夷から距離を取りながら、海若は残念そうに呟く。
「まあ、良いです。あなたを迎える準備もまだ出来ていませんし。今回は退きましょう」
「ここまでやって逃げる気か?」
「非礼の詫びに、その刀は差し上げます。妖刀ですよ?」
言われて蝦夷は海若が手放した刀を見る。
それは、村人が売り払ったと思われる直毘衆の刀だった。
ひそかに海若が盗んでいたのだろう。
「では、また会いましょう」




