第四十話 遭遇
飛雲村を支配していた鬼は倒された。
人々に寄生していた蛇は跡形もなく消滅し、後遺症が残ることも無かった。
突然の出来事に村人達は喜びよりも驚きが大きかった。
「信乃さん。本当にコレで良かったんですか?」
鈴鹿は先を歩く信乃へ呟く。
村人達が困惑する中、信乃達はひそかに村を出ていた。
「この方が良いだろう。元々無関係なんだからな」
別に誰かに感謝されたくて鬼童丸を討伐した訳ではない。
村人達の中には、脅されるまま信乃に刃を向けたことを後悔してる者もいるだろう。
感謝の言葉も、懺悔の言葉も、信乃には不要だ。
唐突にやってきた者が勝手に暴れて、自分達は偶然助かった。
その程度の認識で構わない。
「でも、せめて菘ちゃんにお別れくらい…」
「起きるまで待っていたら、日が暮れる」
信乃の見たところ、菘は無事だった。
ただ深い眠りについており、しばらくは何をしても起きそうになかったのだ。
「とりあえず、目立つ所には置いてきた。あとはあの村の連中に任せるべきだろう」
村を鬼に襲われ、両親を失ったことは気の毒だと思うが、それだけだ。
信乃にこれ以上出来ることは無い。
「………」
それを頭で理解していながらも、鈴鹿の表情は暗かった。
これから菘が一人で生きていくことを思うと、気分が沈む。
「…話は変わるが、この村は裕福そうに見えるな」
気持ちを切り替えるように、信乃はそう呟いた。
「裕福ってことは心にゆとりがあるってことだ。人は貧しい内は他人に冷酷だが、富める者は他人を気に掛ける余裕を持つ」
「…えっと、何が言いたいんですか?」
「…はぁ」
今一つ、信乃の言いたいことが分からず、鈴鹿は首を傾げる。
理解が遅い鈴鹿に呆れるように、信乃は息を吐いた。
「簡単に言えば、あの村にはガキの引き取り手なんて沢山いるだろ、って話だ」
両親を失ったと言う不幸な生い立ちに同情する者も多いだろう。
菘自身も性格は温厚で素直な子供だ。
嫌う者も少ないだろう。
家族を全て失った菘は今、孤独かもしれないが、きっと新しい家族はすぐに見つかる。
それが必ずしも幸福であるとは限らないが、これからの人生がずっと不幸である筈が無い。
「…もしかして、慰めてくれたんですか?」
「………」
信乃は答えなかった。
これ以上は付き合いきれない、と言いたげに足を速める。
(信乃さん…)
その背を眺めながら、鈴鹿の心は複雑だった。
決して悪い人間ではない。
本人が言うほどに冷酷でも、非情でもない。
鬼と戦うほどの強い力を持っているが、迷い、傷つく、普通の人間だ。
しかし、
(………)
鬼童丸は言っていた。
信乃の中には、何かが居ると。
信乃に寄生した鬼童丸が命の危機を感じるほどの何かが。
それを信乃は自覚しているのだろうか。
鬼すら恐れる怪物とは、一体何なのか。
鈴鹿はそれを尋ねることが出来なかった。
『死にたくない』と願うことは生物として当然だ。
この世に於いて、最も優先するべき物は自分の命。
だからこそ、他者を犠牲にしてでも生きようとすることは、命ある生き物として正しいことだ。
自分を産んだ母の肉を喰らったことも、長年連れ添った友を売ったことも、生きる為には仕方が無かった。
鬼童丸と呼ばれる以前から、そう信じて生きてきた。
「…化物め。アイツ、本当に人間か?」
ある一人の女が忌々しくそう吐き捨てる。
その女は人間ではない。
どさくさに紛れて村人の一人に寄生し、ひそかに村から逃げ出した存在。
「くそっ、この体ではそう長く走れないな。早く、山に戻らないといけないのに」
鬼童丸はそう言って舌打ちをした。
信乃に胴体を両断された時は、流石に死を覚悟したが、鬼童丸は執念で生き延びた。
鬼童丸の霊鬼としての『核』は白蛇の頭部にあった。
だから、トカゲのように斬り落とされた部位を捨て、頭だけで逃げたのだ。
『核』が無事なら胴体も、他の分身もいずれ再生できる。
だが、今は一度本拠地へ戻る必要があった。
このまま何も得ずに帰るのも癪だが、命には代えられない。
遊びも好きだが、鬼童丸は何より自分の命を護る為に生きているのだから。
「この辺りの筈なんだがなー…道に迷ったか?」
その時、鬼童丸が走る道の先に人影があった。
顔に蜘蛛の刺青を入れた浪人風の男。
危ない薬でもしているのか、キセルを咥えながら独り言を呟いている。
「………」
誰だか知らないが、構っている暇はない。
男の横を通り抜けようと、鬼童丸は視線も向けずに走る。
「…ああ、鬼か」
「!」
聞こえてきた呟く声に、鬼童丸は慌てて足を止めた。
男の眼が鬼童丸を見つめている。
その不気味に光る黄色の眼を見て、鬼童丸は後退った。
(コイツ、さっきの化物の仲間か!)
マズイ。
今の弱り切った体では、蛇一匹生み出すことすら出来ない。
この体では逃げられるとも思えない。
(なら…)
「…うっ!………あ、れ…私、何でこんな所に…?」
鬼童丸は肉体の支配を手放した。
肉体の主導権が元の持ち主に戻り、村人の女は訝し気に周囲を見渡す。
演技ではない完全な素の表情。
この肉体は鬼ではなく、生きた人間なのだと男は知るだろう。
直毘衆と言う立場を得るような人間だ。
鬼を殺す為とは言え、無関係の人間を殺すことは躊躇う筈。
鬼童丸は、そう思っていた。
「『唐紅』」
「…え?」
男の手が僅かに動いた瞬間、女の右腕が宙を舞っていた。
斬り飛ばされた腕から零れる血が自身の顔を汚した時、初めて斬られたことに気付く。
「あ、ああ!? な、何やっているんだ、お前!」
思わず人格を表に出しながら、鬼童丸は叫ぶ。
「この体は生きた人間なんだぞ! お前と同じ、人間の女で…」
「……だから?」
「ッ」
心底不思議そうに尋ねる男を見て、鬼童丸は自分が思い違いをしていたことを知る。
綱も信乃も、今まで鬼童丸が見てきた直毘衆は人間を手に掛けることを躊躇っていた。
だから勘違いしていた。
どの直毘衆にも、この方法が有効だと。
「に、逃げ…!」
「秘剣『紅蓮血河』」
恐怖から逃げようとした鬼童丸の足が斬り落とされた。
まるで行動を読んでいたかのように、踏み出した右足の膝から下が地面に転がる。
体勢を崩し、倒れ込む鬼童丸の耳に見えない刃が空気を切り裂く音が聞こえた。
「全部見えているぜ。人間の肉体に寄生する鬼か、面白いな」
黄色の眼を鈍く光らせながら、男は笑みを浮かべる。
その間も、見えない刃が鎌鼬のように鬼童丸の体を切り裂く。
「アンタの本体がどこにあるのかまでは分からねえが…」
「た、助け…」
「まあ、全身を切り刻めばいつかは死ぬだろう。くはは! 『宝探し』だ!」
ブシュッと鬼童丸の喉が浅く刻まれた。
手に、足に、体のあちこちに満遍なく傷が浮かぶ。
全身に刻まれた傷から血が流れ、それはやがて河のように地面に広がっていく。
人間なら既に死んでいる出血量。
だが、鬼童丸は強力な鬼であるが故に死ねない。
「ぎ、あああああああああああああ!」
死ねない。死ねない。
手足が無くなっても、肉と骨を削るように少しずつ刻まれても、死ねない。
死にたくても、死ねない。
「痛い…! 苦しい…! い、いっそのこと、殺してくれ…!」
「くはははははは!」
皮肉なことに、鬼童丸は誰よりも恐れていた死を渇望した。
こんな地獄を味わうくらいなら、死ぬ方がマシだと。
しかし、人の肉を粉々に破壊され、引き摺り出された蛇の体をバラバラに切り裂かれる時まで、その地獄が終わらない。
太陽が沈むまで、鬼童丸の悲鳴が途絶えることは無かった。
「蝦夷君が、無罪放免だって…?」
同じ頃、都では頼光が耳に入った情報に驚愕していた。
鬼達が各地で暴れだした頃と時同じくして、収監されていた蝦夷が釈放されたと言うのだ。
蝦夷の罪は重い。
鬼切を大義名分に無関係の人々まで故意に虐殺したことは、頼光でも庇いきれないことだ。
まだ具体的な処罰は決まっていなかったが、無罪放免など有り得ない。
「一体、どうして!」
「お、恩赦です」
「!」
頼光の剣幕に怯えながら、看守の男は答えた。
恩赦。
罪人の罪を一部、或いはその全てを消滅させること。
誰でも持っている権限ではない。
その権利を行使できる者は…
(『帝』)
直毘国に君臨する君主。
この国に於けるあらゆる権限を持つ王。
最近では滅多に表舞台に顔を出さないが、あまり良い噂は聞かない。
(一体、何を考えている…?)




