第三十二話 異変
頼光より鬼達の大虐殺を知った信乃達。
幸いにして、信乃達の居る維那村付近で虐殺が起きることは無かったが、その事実は信乃の心に暗いものを浮かばせた。
何も出来ないもどかしさを感じながら一日が経過し、鬼達が撤退したと言う連絡を受けた直後だった。
頼光から、飛雲村と言う場所で鬼が暴れていると連絡を受けたのは。
綱、と言う信乃でも知っている直毘衆が重傷を負っているようなので、救援に向かって欲しいとも。
通信を受けて信乃はすぐに飛雲村へ向かった。
未だ天耳が使えない千代には伝えず、維那村へ置いて行くことにした。
信乃自身も鈴鹿の治療を受けたとは言え、本調子では無かったが、じっとしていることは出来なかった。
正義感ではなく、義務感でもなく、ただ自身の復讐心故に。
「…お前は別についてこなくても良かったんだぞ」
「何言っているんですか。あなただって、まだ傷も癒えていないのに…!」
風のように駆ける信乃に背負われたまま、鈴鹿は言う。
人知を超えた速度に、少し目を回しながら信乃に呪術を施している。
信乃としては、千代と共に維那村へ置いてきたかったのだが、鈴鹿が言うことを聞かなかった。
「酒吞童子とか言う鬼と戦ってこれだけボロボロになったのに! その傷も癒えない内に、また同じような鬼と戦うなんて!」
「傷なら癒えた。直毘衆は妖刀の影響で、傷の治りが早えんだよ」
「見かけだけでしょう! 目に見えない傷の方が怖いんですよ!」
珍しく強気な鈴鹿は意見を曲げなかった。
酒吞童子を目撃したことで、鬼の脅威を再認識したのだろうか。
今まで余裕で鬼も人も倒してきた信乃が追い詰められたと聞いて、心配しているのか。
これから向かう先にいる鬼は、酒吞童子と同等の力を持っている可能性もあるのだから。
「あーあー、うるせえ。耳元で叫ぶな。分かったから、大人しくしていろ」
説得を諦めたように、信乃はため息をついた。
「どちらにせよ。もう目的地には着いたからな」
そう言って、信乃は足を止めたのだった。
「おや、旅人さんかい? 女の二人旅とは珍しいね」
村に入って早々に信乃達はそんな声をかけられた。
素朴な服を着た、平凡な容姿の男だ。
鍬を持っていることから察するに、この村の農夫だろう。
「………」
「し、信乃さん。落ち着いて下さい…」
また女扱いされたことに激怒すると思ったのか、宥めるように鈴鹿は言う。
それを無視して、信乃は訝し気な顔で村を見渡した。
維那村に比べれば、栄えている方だろうか。
外を歩いている人間は他に居ないが、家の数も多い気がする。
「あの人もきっと悪気があった訳では…」
「違う。んなことより、おかしいだろう」
信乃は苛立ちながら、ズンズンとその男に近づいていく。
「おい、お前。この村の名前は何だ?」
「村の名前? 飛雲村ですが…」
村を間違えた訳ではない。
ここは飛雲村だ。
頼光が鬼に襲われていると言った村に違いない。
それなのに、この穏やかな雰囲気は何だ。
「もしかして、頼光さんの勘違いだったんじゃないですか?」
「『天耳』」
信乃は無言で目を閉じ、意識を集中させる。
鈴鹿は頼光に連絡を取っているのかと思ったが、そうではなかった。
十秒ほど経った後、信乃は再び男に目を向ける。
「…何があった?」
「え? 何の話ですか?」
信乃の問いに男は不思議そうに首を傾げた。
とても、鬼に襲われた村の人間には見えない。
「もう一度言うぞ。何があった?」
信乃は鞘から刀を抜き、男に突き付けながら言った。
「俺は他心が得意じゃねえが、それでもお前の感情を読み取ることくらいは出来る」
男の顔には恐怖が宿っていた。
それは、突き付けられた刀に対する物ではない。
信乃ではなく、何か別の物を恐れている顔だ。
「し、信乃さん! 何をやって…」
「人だ」
「え?」
慌てて止めようとする鈴鹿に、信乃は短く答える。
「人が少なすぎると思わないか? まだ昼間だと言うのに、外を出歩いているのはこいつだけだ」
家の数に対して、外の人間が少なすぎる。
この時間なら外を子供が走り回っていても不思議ではないのに。
「どこか別の場所で仕事をしているだけかも…」
「…そうだと思って天耳を使った。だが、村中の音を拾っても足音一つしない」
まるで、何かを恐れて村中の人間が家に閉じ籠っているかのように。
じろりと信乃は青い顔をしている男を睨んだ。
「正直に言え。ここで何があった?」
「あ、あああ…」
ガタガタと震え、男は口を開いた。
「た、助けてくれ! 俺達は、脅されて…!」
「脅された?」
「あの男に…あの化物に、俺、は…ッ! ぐ、え…!」
その時、何かに怯える男が急に胸を抑えた。
痛みに呻き、そのまま地に膝をつく。
「や、やっぱり見られていた…! ち、チクショウ…!」
「ッ!」
男の言葉に信乃は周囲を見渡す。
しかし、どこにも人影はなく、気配すら無かった。
「大丈夫ですか! すぐに治療を…!」
「が、ああああああああああああああ!」
鈴鹿が護符を手に近づこうとした時、男の体が大きく膨張した。
内側で何かが暴れているかのように、その体が弾ける。
「退がれ!」
咄嗟に鈴鹿の手を引いて、距離を取る信乃。
血肉を飛散させ、中身を失った男の体が血溜まりに沈んだ。
「ひ、人が破裂した…? 何、で…?」
「………」
動揺する鈴鹿を後ろに庇いながら、信乃はゆっくりと血溜まりへ近付く。
ぐちゃぐちゃになった男の亡骸を見下ろし、何かに気付いたように顔を顰めた。
「…趣味の悪いことをしやがる」
事切れた男の肉片の中。
肉の中に身を隠すように、血に濡れた一匹の蛇が死んでいた。




