第二十六話 強敵
「…ふう、肉体労働は疲れますね」
若い坊主の『皮』を被った海若は呟く。
その服と顔には返り血が付着しており、手にした脇差が戦闘の跡を匂わせた。
「しかし、ようやく目当ての物を見つけました」
そう呟く海若の前にあるのは、道雪の納められた棺。
そして、その傍らにある雷切だ。
早速と言わんばかりに海若は妖刀を手に取る。
「コレが数多の同胞を斬り殺した刀、ですか」
ギギ、と僅かに刀を握る力が強まった。
感情のままにへし折りそうになるのを理性で抑える。
「…やはり、私には抜けないようですね」
それどころか、鬼に触れられることすら嫌うように雷切はバチバチと火花を散らした。
焼け焦げる手を見ながら、海若は笑みを浮かべる。
「妖刀雷切。あなたにぴったりの使い手を用意してあげますよ」
「『霧雨』」
痛む身体に鞭打って信乃は霧を作り出す。
酒呑童子の槍は脅威だ。
その間合いの長さもそうだが、卓越した技量で振るわれる槍の威力は危険過ぎる。
大地や建物を易々と抉り取った光景を見るに、人体など容易く貫通するだろう。
仮に妖刀で受けても、刃ごと串刺しにされるかも知れない。
「そこの娘の妖刀は光。貴様は水か。ハン、どちらも子供騙しじゃな」
嘲笑を浮かべて、酒呑童子は信乃を見つめる。
「実につまらんなぁ。最近の直毘衆はここまで堕ちたのか? 十年前の直毘衆とは比べ物にならん弱さじゃ」
「…その口振りだと、十年前の戦いに参加していたように聞こえるな?」
霧を纏いながら、信乃は情報を引き出すように問い掛ける。
十年前の戦いで鬼は敗北した。
たった一人の鬼を除き、都を襲った鬼達は全て死亡した筈だ。
だとするなら、酒呑童子こそがその唯一の生き残り?
否、そう考えるのは早計だろう。
「参加していたのは事実じゃよ。まあ、今の儂とは少々見てくれが違ったかも知れんが」
「…?」
「さて、話はもう十分じゃろう。貴様達の底は見えた」
完全に信乃に対する関心が消えたかのように、酒呑童子は槍を構える。
「おいおい、まだまだ披露していない技が沢山あるんだけどな?」
「続きは地獄でしろ」
おどける信乃を前に、酒呑童子は地面を蹴った。
速度は信乃ほどでは無い。
然れど、その化物染みた巨体は一歩で距離を詰め、信乃の身体を必殺の間合いに捉える。
「呆気ない」
槍が信乃の胴体を貫く。
肉も骨も容易く抉り、血に染まった槍が信乃の身体を通り抜ける。
酒吞童子の顔に冷笑が浮かぶ。
「『時雨』」
瞬間、槍に貫かれた信乃の身体が溶けるように消えた。
「偽者…!」
「今気付いても遅え!」
霧の中から信乃が姿を現わす。
狙うのは、鬼の急所。
その首だ。
「チッ」
舌打ちをしながら槍で防ごうとする酒呑童子。
だが、何故か槍が持ち上がらない。
「小細工を…!」
氷だ。
信乃の偽者を形作っていた水や周囲の霧が氷となって槍に纏わり付いている。
すぐに力を込めて氷を割るが、その時には既に信乃の刃が目の前に迫っていた。
(取った…!)
鮮血が宙を舞う。
酒吞童子の首に一本の赤い線が刻まれる。
「な…」
しかし、それだけだった。
傷が浅い。
酒吞童子の鋼のような皮膚が村雨の刃を弾いたのだ。
信乃の渾身の一撃は、酒吞童子の首を断つことが出来なかった。
「小僧! 格の違いを知れ!」
隙が出来た信乃へ酒吞童子の腕が振るわれる。
鬼の怪力によって、信乃の体が紙のように飛ぶ。
「ぐ…あ…!」
「今度こそ、終いじゃ」
酒呑童子は槍を天高く掲げた。
破壊された瓦礫に突っ込んだ信乃は、全身を強く打った衝撃で動けない。
「我流『倒木』」
言葉と共に酒吞童子は槍を真っ直ぐ振り下ろす。
高い身長と巨大な槍を使ったその一撃は、倒れる大樹の如く、
信乃の身体を叩き潰したのだった。
「信乃! 信乃ー!」
千代は必死に声をかけるが、返事はなかった。
瓦礫の中に消えた信乃が姿を現すことはない。
「無駄じゃ。奴は死んだ」
淡々と酒吞童子は呟く。
「つまらん。暇潰しくらいにはなるかと思えば、この程度か」
ボリボリと信乃に斬られた首を掻いている。
傷口からは多少血が垂れているが、その程度だ。
信乃が全力で戦った結果、与えた傷はたったそれだけだ。
格が違いすぎる。
「奴の用事が済むまで暇じゃなー。どれ、退屈しのぎといこうか」
何でもないことのように、酒吞童子は改めて槍を握りしめる。
「家を全てひっくり返せば、少しは戦える者がじゃろう」
「…待ちなさい」
「何じゃ? 弱肉には用が無いのじゃが?」
本気で関心が無いかのように酒吞童子は視線を向ける。
千代より実力がある信乃すら敵わなかった相手に、千代が勝てる道理はない。
何より、千代は一度この鬼に敗北している。
しかし、
「弱肉で結構。これでも私は道雪の娘よ」
だからと言って、敵に背を向ける道理もない。
「せめて、この身を盾にして人々を守らないと、向こうで父に顔向けが出来ないでしょうが!」




