第二十四話 襲来
「そろそろ始めましょうか」
日が沈み始め、辺りが薄暗くなっていきた頃。
昼と夜が入れ替わり、人と魔が混ざり合う逢魔が時。
その二人は、維那村へ現れた。
「何人か直毘衆が居るようですが………そちらは任せましたよ、酒吞さん」
「応よ。獲物が増えるなら、好都合じゃ。腕が鳴ると言うもの…」
武者震いをして熱い息を吐く酒吞童子。
「一応、餓鬼を十匹ほど集めて来ましたが、必要ですか?」
パチン、と海若が指を鳴らすと足元から湧き出るように十匹の餓鬼が出現した。
男や女、体格や年齢もバラバラで、人型すら保っていない異形もいる。
「ふむ」
それらを一通り眺めた後、酒吞童子は軽く槍を振るった。
「…やはり、要らんな。この程度も躱せないようでは、邪魔なだけじゃ」
酒吞童子が槍を背に戻すと同時に、全ての餓鬼が血を流して崩れ落ちる。
今の一瞬で頭蓋と心臓を穿たれた餓鬼達は、そのまま跡形もなく消滅した。
「手応えが無さすぎるな。骨の無い、肉の塊のようだ」
酒吞童子は獰猛な笑みを浮かべ、村へ目を向けた。
「あちらはもう少しマシじゃと良いがのう…!」
そして、大地を蹴り付け、空高く跳躍した。
それは、空から星が降ってきたかのような衝撃だった。
上空から落ちて来た七尺を超える悪鬼は、着地点周辺にあった民家を悉く破壊し、そこに住んでいた者達の命を踏み潰した。
「我こそは悪鬼羅刹! 酒吞童子也!」
突然の事態に混乱し、恐怖する人々に酒吞童子は告げる。
「さあ! 我を倒さんとする戦士は居らんのか! まとめてかかって来るが良い!」
威風堂々と武人のように叫ぶ酒吞童子だが、それを見た人々はただ逃げ惑うだけだった。
この村は、ほんの数日前に酒吞童子に襲われたばかりなのだ。
彼らは皆、この悪鬼の強さと恐怖を覚えていた。
「…つまらん。どれもこれも弱肉ばかりか」
期待が外れたように吐き捨てると、酒吞童子は崩れた家に近付いた。
「我が槍で貫く価値もないが、見逃すのも癪じゃな」
バキバキと異様な音が響き、酒吞童子に背を向けていた者達が思わず振り返る。
「な…あ…!」
誰かの声が上がった。
誰もが目の前の光景に呆然と口を開き、足を止めていた。
有り得ない。
「さて、コレでどうか?」
片手で壊れた家を持ち上げた酒吞童子は、薄っすらと笑みを浮かべた。
足を止めた者達へ向かって、それは投擲される。
月明かりを遮る影。
頭上より降り注ぐ家屋に虫のように押し潰され、村人は命を散らした。
「くかかかかかかか! 脆い脆い! 何と脆く、小さな命か!」
嘲笑いながら酒吞童子は怪我をして倒れる男を掴んだ。
首を掴まれた男の身体が、軽々と宙に浮かぶ。
「い、嫌だ…! 放せ…! 助けて、くれ…!」
「敵前逃亡の次は命乞いか。度し難い弱さだ」
酒吞童子の腕に力が込められ、男の首からメキメキと嫌な音が響く。
「弱さは罪だ。死ね」
「やめなさい!」
その時、酒吞童子は聞き覚えのある女の声を聞いた。
男の首を掴んだまま、顔を声の方へ向ける。
「あなたの相手は私よ。その人から手を放しなさい!」
千代は右腕だけで刀を握りながら叫んだ。
「はん。儂が潰した左腕は、まだ動かんようじゃな?」
ちらり、と酒吞童子は千代の左腕に視線を向けた。
全く動かない左腕を庇うように立つ千代に、嘲笑を浮かべる。
「手負いの弱肉など、相手をする気も起きんわい」
「ッ!」
酒吞童子の嘲りを見て、千代は激怒した。
右腕だけで愛刀を操り、空へ翳す。
「私が手負いかどうか、試してみなさい!」
純白の美しい刀身が、月光を浴びて光を放った。
「妖刀『三日月宗近』」
光を浴びて生まれた千代の影が揺らめく。
大きく広がった影が、分裂する。
「神足『朧月の舞』」
千代の影が三つに分裂すると共に、千代自身の姿も三つに増えていた。
「ほう、大した曲芸じゃな」
酒吞童子は掴んでいた男から手を放し、髭を撫でる。
千代の妖刀『三日月宗近』の能力は、光だ。
周囲の光を捻じ曲げ、幻を作り出す能力。
その能力と神足を合わせた技こそが、朧月の舞。
全く同じ姿をした三人の千代が同時に酒吞童子へと向かっていく。
「だが、所詮曲芸は曲芸じゃ」
鬼の目でも見分けることの出来ない幻影を見渡し、酒吞童子は大きく息を吸い込んだ。
「喝ッ!」
それは大地を揺らすような衝撃だった。
鬼の喉から発せられた叫びは、人々の呼吸を止め、建物に亀裂を走らせる。
ビリビリとした衝撃に怯み、千代の足が止まった。
「そこじゃ!」
「しまっ…!」
その隙を見逃さず、酒吞童子は槍を振るう。
どれだけ姿が似ていても幻影に心は無い。
怯え、身を竦めるのは、生身の人間のみ。
酒吞童子の叫びで硬直した身体では、この槍は躱せない。
千代は思わず、死を覚悟した。
「『天泣』」
「む…」
あと数秒で槍が届くと言った所で、酒吞童子は突然槍を引いた。
千代の命を絶とうとする隙を狙って放たれた一撃に気付き、それを槍で受け止める。
「儂の戦いに横やりを入れるとは無粋な」
「チッ、やっぱり防いだか」
不意打ちが失敗したことを悟り、酒吞童子から距離を取る信乃。
意識を酒吞童子に向けたまま、千代を一瞥した。
「どうやら生きているみたいだな」
「信乃。助けは要らない。私はまだ、戦える…!」
右手だけで妖刀を握り、千代は信乃を睨みつけた。
満身創痍だろうと、ここで死ぬとしても、退く訳にはいかなかった。
ここで退いたら、父のような英雄になることは出来ないから。
「はぁ? 何を勘違いしてやがる。俺がお前なんぞを助ける訳ねえだろうが」
そんな悲愴な覚悟を決める千代に、信乃は冷笑を浮かべた。
「俺が用があるのは最初からコイツだ。だから俺に譲れ。コイツは俺が殺る」
「…!」
「コレは俺がお前の獲物を横取りするだけの話。別にお前を助ける意図はねえよ」
千代が弱いから、千代の手に負えないから代わりに戦うのではない。
鬼を殺すことが信乃の望みだからこそ、勝手に戦うのだと。
今はそう言うことにして受け入れろ、と言っているのだ。
「…黙って聞いておれば、譲るだの、獲物だの、それは儂の台詞じゃ」
二人を眺めながら、酒吞童子は殺気立った凶悪な顔を浮かべた。
その手に持つ七尺を超える大槍を振るい、荒々しい息を吐く。
「妖刀使いか。諸共に我が槍で串刺しにしてくれよう!」




