第二十三話 娘
直毘衆は自分の為にしか剣を振るわない。
その方針は、千代にも当て嵌まる。
日々鍛錬に勤しみ、無辜の人々を護る為に自身を犠牲にすることさえ厭わない。
助けられた者達は、彼女を私欲の無い聖人のように讃えるだろう。
しかし、彼女はそれらを全て『自分の為』だと言って憚らない。
彼女にとって人助けと言うのは、自身がこうありたいと願う人物の真似事であり、決して目の前にいる誰かの為ではない。
彼女は聖人ではない。
ただ、なりたい自分を目指して努力する普通の人間に過ぎないのだ。
「………」
信乃達を帰らせた後、千代はある場所に来ていた。
そこは社に安置された“夜叉”道雪の御前だ。
神仏のように祀られた棺を見つめながら、その傍に置かれた物を取る。
それは、鞘に収められた一本の刀だった。
尋常ならざる妖気を纏う刀『妖刀』だ。
「…ッ」
千代はその柄を握り締め、それを一気に抜こうとした。
だが、どれだけ力を込めても刃が姿を見せることは無い。
まるで刀自体が意思を持ち、拒絶しているかのように。
刀を握る千代を持ち主を認めていないかのように。
「…やっぱり、無理か」
深いため息と共に、千代はそれを丁寧に棺の傍に戻す。
そして、未練がましくその刀をジッと見つめた。
この刀の名は『雷切』
かつて道雪が振るった伝説の妖刀だ。
道雪はこの妖刀を手にして、都を襲った鬼を悉く斬り殺した。
名実共に直毘国最強の妖刀である。
だが、それ故にこの刀は使い手を選ぶ。
妖刀を振るうのに素質がいるのは当然だが、この雷切はその中でも特別だ。
道雪が死んでから様々な人間がこの刀を手に入れようとしたが、誰一人として刀を抜き放つことが出来る者はいなかった。
結果、この刀は誰にも扱えない物として、道雪の遺体と共に安置されている。
「………」
誰もが一度は憧れ、やがて諦めた理想の刀。
しかし、千代はどうしてもそれを諦めることが出来なかった。
千代が今まで行ってきたことなど、全てこの刀を手に入れる為。
日々の鍛錬も、身を削るような人助けも、全て。
直毘衆になったことでさえ、この刀に自分を認めてもらう為だった。
(…まだだ)
まだ、千代は未熟すぎる。
鬼一匹殺すことが出来ない弱者では、この刀に認められることなど永遠にない。
もっと鍛錬を積み、もっと強くならなければ。
弱いままでは、駄目なのだ。
『…そうかい。まあ、千代君が無事で安心したよ』
通信越しにそう言うと、頼光は安堵の息を漏らした。
今までずっと心配していたのだろう。
いつ死ぬかも分からない直毘衆の長としては少々甘すぎるが、信乃は口には出さなかった。
『でも、怪我は心配だね。しばらく彼女の傍についていてくれるかい?』
「別に構わねえが、あの女がどう言うか。アイツ、他人の力を借りることを死ぬほど嫌っているだろ?」
『そうなんだよね………責任感が強すぎるって言うか、何でも一人でこなそうとする癖があるから』
個人主義ばかりの直毘衆にも、あれほど他者の介入を嫌う者は中々いない。
仮に自分だけの目的があったとしても、他人の力も都合よく利用すれば良い。
少なくとも、信乃はそう言う考えを持っている。
『彼女にもちょっと事情があるんだよ。鬼切も、人助けも、全て自分一人で成し遂げなければ英雄になれないと思っているんだよ』
「英雄? あの女、有名になりたくて直毘衆に入ったのか?」
『いや、全てはあの妖刀を抜く為だよ。この国の誰もが認める英雄になれば、きっと雷切も自分を認めるだろうってね』
「ってことは、アレか?」
眉間に皺を寄せて、信乃は口を開く。
「直毘衆である為に妖刀を振るうのではなく、妖刀を振るう為に直毘衆になったと?」
発想が逆だった。
千代にとって妖刀に認められることが終着点。
それ以外はその目的を果たす為の過程に過ぎない。
『彼女にとって雷切は、それだけ特別な物なんだよ』
「特別だと?」
『…彼女は、道雪さんの実の娘なんだ』
「!」
思わず信乃は驚きに目を見開いた。
それは今までに一度も聞いたことが無い事実だった。
千代が“夜叉”道雪の娘。
いや、そもそも道雪に娘がいたと言う話自体、聞いたことがない。
妻が居た、と言う話は前にどこかで聞いたような気もするが、それも確かもう死んでいる筈だ。
“夜叉”道雪の身内が、まだ生きていたとは。
「…そんな話、今まで聞いたことないぞ」
『ごめん。千代君に口止めされていてね…』
「………」
千代があの刀に拘る理由はそれだったのか。
英雄と呼ばれた父の刀を引き継ぐこと。
その後継者となることを望み、直毘衆に入った。
例え、与えられた妖刀をどれだけ使いこなそうとそれは自身の望む力ではないのだ。
『偉大すぎる父に対する焦燥。自分より上達の速い同胞への劣等感。周囲の期待と言う名の重荷………君にも少しくらい彼女の苦悩が分かるんじゃないかな?』
「…分からねえよ。俺はアイツじゃねえからな」
『…そうかい。まあ、それもそうだね』
千代の苦悩は千代自身にしか理解できない。
気持ちが分かる、などと軽々しく口が出来る訳がない。
ただ、まあ、
「その決意は、決して軽い物ではないってことは分かったよ」
それは、信乃なりに千代を認めた言葉だった。
嫌いな女だからと、その想いまで否定することはしないと。
実力はともかく、その決意だけは自分達と比べても劣っていないと。
『おや? おやおや? 信乃君がデレた? コレは明日は大嵐かな?』
「…切るぞ」
『待って!? その前に、以前聞いた鈴鹿と言う女の子について詳しく…』
ブツッと一方的に連絡は打ち切られた。
「あ」
同じ頃、村を一人で探索していた鈴鹿はある人影を見つけた。
つい先程別れたばかりの千代だ。
大きめの石に腰掛け、ぼんやりと空を見上げている。
「………」
(…初めて会った時も思ったけど、やっぱり美人さんだなぁ)
何も語らず、ただ空を見上げているだけなのに随分と絵になる。
どこか憂いを含んだ表情が、より彼女の魅力を引き立てていた。
「…何か用かしら?」
「!」
視線も向けずに声をかけられ、鈴鹿の肩が跳ねた。
「ご、ごめんなさい、ちょっと見惚れちゃって…」
「見惚れた? あはは。ありがとう」
褒められたと思ったのか、千代は朗らかな笑みを浮かべた。
「いえ、本当に………最近、周りが美人さんばかりで自信を無くしそうなくらいです」
がっくりと肩を落として鈴鹿は暗い声で言う。
女である千代はともかく、信乃ですら鈴鹿より美人なのは納得いかない。
この村を歩いている時も、男の注目を浴びるのは大抵信乃の方で、鈴鹿には目も向けない。
「コレでも、よく巷では可愛いって言われてたんですけどね…」
「ははは。まあ、そうよね。あの女男、美形だから」
どこか納得いかないように、千代も複雑そうな顔を浮かべる。
それを見て、鈴鹿は首を傾げた。
千代と信乃は仲が悪そうだったが、顔立ちは好みだったのだろうか?
それとも、所謂喧嘩するほど仲が良い、と言うやつだろうか?
「もしかして、信乃さんのこと、意外と好きだったり…」
「は?」
「…ご、ごめんなさい」
真顔の千代から放たれる殺気に、鈴鹿は顔を青くして謝った。
(や、やっぱりこの人も怖い)
「いや、確かに信乃が美形なのは認めるけど、私の好みじゃないわ」
やや苛立った様子で千代は言う。
「あんな二十歳を超えて髭も生えない女顔は願い下げよ。男はもっと渋くないと」
「と、言いますと?」
「少なくとも三十は超えていないと、恋愛対象とは思えないわね」
そう言って千代はどこからか取り出した串団子を口に咥えた。
「あ、あと髭。髭は重要よ」
どうやら、千代はだいぶ年上好きのようだ。
鈴鹿は何とも言えない顔で、串団子を食べる千代を見つめる。
(この人も、どこか変だなぁ…)




