第十四話 紅糸
「コレは…」
村を探し回っていた信乃は奇妙な物を見つけた。
一見すると、他と何も変わらない有り触れた民家。
しかし、直毘衆である信乃の眼には、その民家を囲む糸のような物が見えた。
「…結界か。あまり強い物ではないな」
廃墟に出来た蜘蛛の巣のような結界は、信乃が触れるだけで壊れた。
低級の結界だ。
物理的な防御力など殆ど無く、ただ一般人の眼を誤魔化す程度の効果しかない『人除け』の結界。
「作った者の性格が見えそうな適当な作りだ」
仮に村人の誰かが壊したとしても、構わないのだろう。
コレを作った者は、この中身を見られることを恐れていない。
(…中は血溜まりか。鬼の死体が一つに、人間の死体が二つ)
首を刎ねられた後、四肢をバラバラに切り刻まれている。
鬼の方はともかく、人間の死体を刻む理由はない筈だ。
相手のことを相当憎んでいたか、それとも血に飢えた殺人鬼か。
(こんな寒村でそれほど恨みを抱かれる訳も無し。恐らく後者だな。加えて、その殺人鬼は鬼を一撃で絶つ実力を持つ、と)
そのような人物に、信乃は心当たりがある。
嫌な予感が的中してしまった。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
ズンズンと前へ進んでいく蝦夷を追いかけながら鈴鹿は叫ぶ。
「邪魔をするなよ。俺はアンタが連れて来た厄介事を始末してやるって言ってんだよ」
足を止めることなく、蝦夷は一方的に言う。
どうやら、方角的に村の中心へ向かっているようだ。
「厄介事って………もしかして、鬼の居場所が分かっているんですか?」
「それはこれから見つける所だ。かくれんぼ、なんて久しぶりだなー」
「かくれんぼって…」
鈴鹿は蝦夷の態度に困惑する。
今から鬼と戦うと言うのに、コレではまるで遊びだ。
蝦夷の楽し気な顔は、玩具で遊ぶ子供そのものだ。
「かくれんぼの必勝法って知っているか?」
「必勝法?」
ぴたり、と足を止めて蝦夷は一つの民家を見つめた。
「それは、隠れられそうな場所を片っ端から破壊していけば良いんだよ!」
ヒュッと蝦夷は何かを両断するように右腕を動かした。
その腕には何も握られていない。
今の行動には何の意味があるのだろうか、と鈴鹿が首を傾げた時、民家の扉が真っ二つに裂けた。
「な…」
驚いて蝦夷の右腕を見るが、やはり何も握っていない。
そもそも、蝦夷が今立っている場所と民家とは距離が離れている。
「くくっ、出てきたな」
相変わらず楽しそうに笑う蝦夷の視線の先で、村人が驚いたように家から飛び出してきた。
男が一人に、女が一人
夫婦揃って、綺麗に真っ二つとなった扉を不思議そうに眺めている。
「では、かくれんぼを始めようかー!」
再び右腕を動かす蝦夷。
ヒュッと何かが風を切り裂く音が響き、今度は男の首が斬り飛ばされた。
「え………え?」
呆然となる妻の前で、首を失った夫の身体が崩れ落ちる。
ドクドクと流れる血が、妻の靴を汚した。
それを見て、蝦夷は渋い表情を浮かべる。
「んん、外れだ。次いってみよう!」
悪魔のように笑い、蝦夷は腕を動かす。
ヒュルル…と風切り音が響き、見えない刃が女の腕を切り裂いた。
男の作った血溜まりに、斬り落とされた腕が落ちる。
「あ、あああああああー!」
「な、何だ! どうした!」
「ひっ! これは、一体…!」
腕を失った女が絶叫し、その声に気付いた村人達が集まってくる。
段々と増えていく村人達を蝦夷は新しい玩具を見るような眼で眺めていた。
「な、何をしているのですか! どうして、無関係の人を…!」
「言っただろう、かくれんぼだよ。この村の人間を一人ずつ殺していって、鬼を殺せば俺の勝ちー! コレはそう言う遊びだ!」
問い詰める鈴鹿に対し、蝦夷は平然とそう返す。
人を殺すことに、何ら罪悪感を抱いていない。
人の命も、鬼の命も、ただ自分が楽しむだけの道具としている。
血に飢えた殺人鬼。
この男は、人を殺す鬼そのものだ。
(止めないと…!)
鈴鹿は梓弓を強く握り締め、蝦夷を睨む。
対人用の呪術は殆ど修得していないが、それでも何もしないよりは…
「余計なことはするな」
「あぐっ…!」
鈴鹿が弓に矢を番えようとした時、まるで行動を読んでいたかのように蝦夷は言った。
風を切る音と共に鈴鹿の右腕に鋭い痛みが走り、矢を取り落とす。
(紅い、糸…?)
浅く斬り付けられた腕を抑えながら、鈴鹿は空中に舞うそれを見つめる。
村人が斬り殺される時、返り血に染まった『糸』のような物が見えた。
村人達の手足を両断する切れ味を持つ糸は全て、蝦夷の手の中へ続いている。
まるで巣を張った蜘蛛のように、蝦夷は手を僅かに動かすだけで惨劇を引き起こしている。
「次は誰にしようか! アンタか? それともアンタかー?」
不気味な黄色の眼を動かし、蝦夷は品定めをするように村人達を見つめる。
その視線が、一人の少女に止まった。
「決めた。次は、アンタ!」
「ひっ…!」
恐怖に引き攣るその少女は、信乃が渡した氷の人形を持っている。
先程、鈴鹿達が芸を披露した子供だった。
「や、やめ…」
「くはははははははは! 逃げろ逃げろ! もっと早く走らねえと追い付いちまうぞー!」
蝦夷に背を向けて泣きながら走る少女。
懸命に走るその背に、見えない刃が迫っていた。
「聞こえる。聞こえるぜー! 怖い。助けて。死にたくないって心の声が聞こえてくるー! くはは! あははははははははは!」
「…相変わらずだな。お前は」
「………うん?」
ガキィン、と鉄同士がぶつかるような音が響いた。
音の方を見ると、転んだ少女の隣に男が立っていた。
妖刀を抜き、今まさに少女を切り刻もうとしていた見えない刃を受け止めている。
「…信乃、か。どうしてここに」
「言わずとも分かるんじゃねえか? お前なら」
「………」
遊びの邪魔をされた蝦夷は不機嫌そうに信乃を睨んだ。
信乃はそれに怒りも嗤いもせず、刀で受け止めていた見えない刃を押し退ける。
「し、信乃さん」
「そこにいたのか、鈴鹿。お前ってやつは、鬼の次は鬼よりも危ない奴に出会いやがって…」
やれやれ、と信乃はため息をついた。
それから周囲の事切れた死体や、血を流す人々を見て、更に深いため息をつく。
「おい、蝦夷。コレは一体どんな状況だ?」
「何だー? 俺よりも少し年上だからって説教かよ、先輩」
信乃とそう歳が変わらないように見える蝦夷は、不敵な笑みを浮かべた。
「俺達は天下の直毘衆。帝より特権を与えられた特使様だ。鬼切と言う大義の為なら、多少の犠牲は恩赦される筈だろー?」
「…鬼を庇った反逆者は鬼諸共皆殺しか。そんなだからお前は『友切』なんて呼ばれるんだ」
鬼のみならず、人間も殺すから『友切』の蝦夷。
今まではやむを得ない理由があった、と言い訳していたが、今回はやり過ぎだ。
「お優しい先輩は、顔も知らねえ人間が死ぬことも耐えられないんですかねー」
馬鹿にするように蝦夷は嗤うが、信乃の表情は変わらない。
「違う。俺が言っているのは効率の話だ」
「効率?」
「ああ、こんなやり方は効率が悪いって言ってんだよ」
信乃は、蝦夷が村人を虐殺したことを怒っているのではなかった。
ただ、そのやり方が気に食わなかっただけだ。
「心が読めるお前なら、誰が鬼なのか一目で分かる筈だろう」
「………………」
蝦夷は無言で信乃の顔を見つめる。
その黄色の眼で、信乃の本心を見透かすように。
「…マジかよ。アンタ、本気で何とも思ってないみたいだな。この状況で! これだけの人間が死んで! それでも少しも心が動揺してねえ! アンタ本当に人間かよ!」
「大量虐殺したお前に言われる筋合いも無いのだが」
「…ああ。やっぱり俺、アンタのこと嫌いだわ」
蝦夷の眼に、剣呑な色が宿る。
その身体から妖力が溢れだす。
「この俺を見ても、何も心が乱れねえ! まるで、何の価値もねえ物を見ているかのように! ああ、気に食わねえ! 気に食わねえよ、アンタ!」
「…そう言えば、頼光にお前のことを頼まれていたな」
蝦夷の殺気を感じ取り、信乃も刀を握り締めた。
「ついでに、片づけとくか」