第百十話 真相
「終わったようだな。ご苦労であった」
「…ん?」
信乃は突然聞こえた声に首を傾げた。
意外な人物が現れたと、不思議そうに眼を向ける。
「帝、か? 今更何しにきたんだ?」
「隠れていたのは謝ろう。神剣が盗まれたのなら、身を隠す必要があったのだ」
「ただ鬼が怖かった訳では無いと?」
「命など惜しくはない。理由は話せんが、余は神剣に出来るだけ近付きたくないのだ」
何かを恐れているかのように帝は顔を顰めた。
(恐れ…?)
信乃は珍しい物を見たと目を見開く。
自分の死すら計算に入れるこの男が、一体何を恐れると言うのか。
「果心居士を追放した最大の理由は、奴が神剣の存在を知ったことだ」
帝は信乃の前を通り、蝦夷の遺体の下へ歩いていく。
「へえ。国家機密ってやつか。もしかして、それを知った俺も消されたりするのか?」
「お前はこの場で余を殺してコレを奪えるだろう。そうしないなら、知った所で問題あるまい」
冗談めかして言う信乃に、帝は呆れたような顔を浮かべる。
合理主義の塊のようなこの男のことだ。
信乃を生かす危険と利益を天秤にかけたのだろう。
「果心居士に他心で読み取られてから封印を強化したつもりだったが、破られたか。いっそ居場所を変える必要もあるかも知れん」
「確かにアレだけ強力な妖刀なら、果心居士以外の奴も欲しがるかもな」
「………」
帝は真剣な表情で振り返った。
「コレがお前には“刀”に見えるか?」
「…?」
「本当にただの刀なら、遥か昔の帝は何故ここまで厳重に封印したのだと思う?」
それは、確かに疑問に思っていた。
アレだけの力を秘めた妖刀なら、十年前の戦いの時に使うべきだった。
霊鬼六道が現れた後も、この神剣を使う機会は何度もあった筈だ。
そもそも何故、
最初の帝は、この刀を手放して二本目の刀を使い始めたのか。
「な…」
その時、信乃は目の前の光景に言葉を失った。
ゆらり、と帝の背後で影が立ち上がる。
その手には、顕明連が。
「帝!」
「…ッ!」
信乃の言葉にようやく帝が気付くが、遅かった。
帝の背中を、刃が貫く。
ゴボッと水気を帯びた音が響き、帝の口から血が零れた。
「ぐ…ゴホッ…! しまった…」
刃が引き抜かれ、帝の体が崩れ落ちる。
それを冷たい眼で見下ろす蝦夷。
「蝦夷! お前…!」
「………………は」
返り血に濡れた刀を眺める蝦夷の口元が、三日月のように吊り上がる。
「はははははははははは! 長かった! 長かったぞ! この瞬間を待っていたァ!」
嗤う蝦夷の顔が、醜悪に歪む。
蝦夷では無い。
この禍々しい笑み。
その身に纏う雰囲気は。
「果心居士、なのか…?」
「果心居士ィ? 一体、それは誰の話だァ?」
チリチリとした熱気がその鬼を纏う。
「そんな男はとっくの昔にくたばったよ! 十二年前になァ!」
「十二年、前だと…?」
それは果心居士の故郷が焼け落ちた頃。
果心居士が行方不明になった時期だ。
「疑問には思わなかったか? 何故、あんな人間にそんな力が宿っているのか。何故、アイツだけが妖術に精通しているのか?」
「………」
「奴は知っていたからだよ。生まれた時から知っていたんだ! 前世の記憶でな!」
「…まさか」
果心居士も転生者だったと言うのか。
信乃と同じく、前世が鬼だった人間。
だからこそ、人並外れた妖力を持っていた。
本来知る筈も無い妖術の知識を持っていた。
「だが、奴は強欲だった! 前世の知識から得た妖術のみならず、前世の鬼の力全てを手に入れようと企んでいた!」
その為の術を研究していた。
死んだ鬼を操る術ではない。
かつて自分だった者が持っていた力を取り戻す為の術。
「そして手に入れた。文字通り、全てをな」
鬼の赤い眼が爛々と輝く。
帝の血を吸った神剣が禍々しい光を放っている。
『そうか、逆か! 全部、逆だったのか…!』
悪路が目の前の鬼の正体に気付き、声を上げる。
『霊鬼を人間の器に込めて出来るのが霊鬼六道。だが、コイツは器ではなく、霊鬼の方が本体…!』
「果心居士の肉体に宿った古代の鬼そのもの…!」
恐らく、転生者である果心居士の身に宿る残滓と、遺骨によって呼び出された霊鬼が合わさった為に起きた結果だろう。
信乃に宿った悪路が、村雨に触れることで自我を取り戻したように。
自我を取り戻した霊鬼によって、逆に肉体を乗っ取られてしまった。
そして、それは遺骨に移り、今は蝦夷の肉体に宿っている。
「蘇った俺にとって、次に必要だったのは『肉体』だった」
果心居士の肉体は普通に活動する分には問題なかったが、鬼の力を行使するには不適格だった。
少し本気を出しただけで内側から燃え尽きる器。
コレでは目的を果たすことが出来ない。
「人の身は脆すぎる。だから俺は、俺の代わりに戦う駒として霊鬼六道を作った」
果心居士の肉体に宿る知識を読み取り、未完成だった術を完成させた。
十年前に一度失敗した後は、量より質に拘り、あの戦いで活躍した直毘衆のような器を求めた。
十年の時を掛けて、最高の霊鬼六道を作り出した。
「各々の目的は何であれ、彼らはよく戦ってくれた。俺の為に、よく働いてくれたァ! これで全てが元通りになる…!」
「全て…?」
「…何故、この俺が長々とお前に全てを説明してやったと思う?」
鬼は、禍々しく光る顕明連を手にして笑みを浮かべた。
「帝の血を吸ったことで! 顕明連に掛けられた最後の封印が解けたからだよ!」
瞬間、顕明連が勢いよく燃え上がる。
剣先から柄まで、それを握る蝦夷の骸さえも炎で包み込む。
「顕明連が…」
炎の中で顕明連は輪郭を失っていく。
ドロドロと溶けて、それを握る者と融合する。
風も無いのに、炎の勢いは止まらない。
段々と大きくなっていく炎は完全に全てを呑み込み、その中で影が形を変えていく。
「我は『果心居士』ではない。『海若』でもない。霊鬼『天邪鬼』など、偽りの名に過ぎん」
炎が消える。
その中から現れたのは、女性のような白銀の長い髪を持つ男。
人間と変わらない体躯だが、その頭部には先端に火が灯った黒い角が二本生えている。
服は唐草模様の着物を纏い、果心居士の頃と同じ下駄を履いていた。
美しい顔立ちは修羅の如き憤怒に歪み、燃えるような赤い眼を輝かせている。
「我が名は『鬼神』。“鬼神”大嶽丸也」




