第十話 師弟
「断る」
信乃は然程迷いもせずにそう答えた。
「何が悲しくてこの俺が! お前なんかを! 弟子にするんだっつーの!」
ビシッと人差し指を突き付けて信乃は心底不快そうに叫ぶ。
何を企んでいるのか知らないが、信乃は弟子など取る気はない。
それが女だと言うなら尚更だ。
「わ、私もあなたのように鬼から人々を護りたいんです! その力が欲しいんです!」
「望めば誰でも手に入る物なら、それは力なんて呼ばねえよ! 不可能だ! 特に、女であるお前にはな!」
男尊女卑を信じる信乃は見下すような眼で鈴鹿を見た。
「俺は女が嫌いだ。弱く! 情に脆い! どちらも直毘衆には向かねえ特徴だ!」
「…自分だって女みたいな恰好しているくせに」
「んだとこの野郎」
ギロリと殺気立った目で睨まれ、鈴鹿は小さく悲鳴を上げる。
「…この格好は鬼を誘き寄せる為だ。鬼は男より女の肉を好むと隊長殿が言っていたからな」
別に趣味ではない、と言いながら信乃は牡丹柄の着物を見下ろす。
鈴鹿は言ったのは服装だけではなく、容姿も含めてなのだが………そっちの自覚は無かったようだ。
「大体、俺の話を聞いて、それでも直毘衆になりたいとか。お前は馬鹿か?」
直毘衆とは決して憧れるような職業ではない。
鬼を殺し、人に憎まれる忌むべき仕事だ。
それを十分に説明したつもりだったが、この娘は何を考えているのか。
話を理解できないほど、頭が悪そうには見えなかった。
そうなると、彼女自身にも鬼を殺す理由があることになるが…
「私も呪術が幾つか使えます! きっとお役に立てるかと!」
「呪術? そんな物が鬼に通じると…」
そう否定しようとして、ふと信乃は思い出した。
先程、海若の呪詛を掛けられそうになった時に聞いた、弦を弾く音を。
「鳴弦………破魔の弦打か。さっき聞いた音は、お前の仕業だな」
「は、はい。そうですけど」
「他にはどんなことが出来る?」
直毘衆や鬼が使う妖術とは異なる力に興味が湧いたのか、信乃は真剣な表情を浮かべる。
前々から噂には聞いていたが、鬼に通用しない力だと過小評価していたのだ。
「弦を弾くことで、人の体内に宿る澱みや不浄を祓うことが出来ます。あとは、六根を清浄化して感覚を研ぎ澄ますことくらいでしょうか」
「感覚を研ぎ澄ます? 具体的には?」
「目がよく見えるようになったり、耳がよく聞こえるようになったり…」
(天耳と似た術か。アレは耳だけだが)
多少は珍しいが、この程度かと落胆する信乃。
役に立たないこともないが、特に重要と言う訳でもない。
「あ、人探しとか得意ですよ。一度見た人なら、この国中どこまで追うことが出来ます」
「…何だと?」
「千里眼、と言うには精度が悪いですが、今どの辺にいるのかは大体分かりますよ」
事もなげに言う鈴鹿に、信乃は少し絶句した。
この国中どこに居ても場所を把握できる術。
似たような術として、頼光が得意とする天耳があるが、アレは受ける側も天耳を使えることが前提だ。
相手が天耳を閉じれば、頼光は声は送れないし、そもそも居場所までは分からない。
それは『天眼』と呼ばれる術。
優れた才能を持つ者が多い直毘衆でも、未だ習得者のいない伝説上の術だ。
「さっきの鬼を追うことは出来るか?」
「あの般若面の方ですか? 大丈夫ですけど…」
不機嫌そうだった信乃の顔に、暗い笑みが浮かぶ。
ニタリ、と言う擬音が聞こえそうな顔で嗤う信乃を見て、鈴鹿は思わず後退った。
「な、何ですか、その悪い顔は…」
「気が変わった。特別にお前を弟子とやらにしてやろうじゃねえか」
意見を翻して信乃は頷いた。
「その代わり、お前は俺をあの小鬼の所まで案内しろ」
天邪鬼、と名乗った小鬼を思い浮かべながら信乃は告げた。
アイツは餓鬼ではない、本物の鬼だ。
信乃がこの手で殺すと決めた仇敵だ。
その鬼を見つける為なら、仕方ない。
柄ではないが、この娘の師弟ごっこに付き合ってやろう。
「は、はい! よろしくお願いします!」
そんな信乃の打算には気付かず、鈴鹿は嬉しそうに何度も頭を下げた。
「では、早速アイツの居場所を調べてくれ」
「分かりました………鳴弦『六根清浄』」
ビィィン、と弦を弾きながら鈴鹿は目を閉じる。
研ぎ澄まされた目で、町中を見渡すが海若は居ない。
既に標的は目で追えない場所に居る。
鈴鹿は意識を切り離し、更に探索の範囲を広げた。
「…居ました!」
「どこだ?」
「貝寄村です。この町を出て一刻ほど歩いた先にある小さな村ですよ」
まだ海若を取り逃がしてから半刻と経っていないが、鬼の足なら不可能ではない。
しかし、その貝寄村がこの町よりも寂れた村だと言うなら長く滞在する理由もないだろう。
時間が惜しい。
「おい、歩き巫女。今すぐ町を出られるか?」
「え? はい。もうこの町での仕事は終わったので、どこへなりとも」
「よし、大至急準備しろ。鬼と戦う訓練は奴を追う道中に教えてやる」
「わ、分かりました」
パタパタと借りていた宿に走り出す鈴鹿を見送りながら、信乃は考える。
戦闘能力は一切期待できないが、鬼を探知する能力は有益だ。
仮に信乃が全速力で貝寄村に走った所で、海若が移動していればそれまで。
そもそも、索敵能力の低い信乃では直接顔を見なければ、海若を見つけることが出来ないだろう。
信乃の個人的な心情を除けば、鈴鹿と手を組むのは悪い話ではない。
「………」
そして、信乃には男尊女卑の拘りを棄ててでも、鬼を殺さなければならない理由があった。
無意識のうちに妖力が溢れだし、信乃の表情が険しくなっていく。
「…?」
『元気しているかい、信乃君』
熱くなっていた信乃の頭を冷ますように、いつも通りのんびりとした声が響いた。
少し殺気立っていた信乃は、心を落ち着けるように深い息を吐く。
「…何だ?」
『何か元気ないね? もしかして、例の鬼が見つからなかった?』
「違う。と言うか、逃げられた」
『ああ、それはそれは』
同情するような宥めるような声で、頼光は言う。
『それで、相手は君が探していた鬼だったの?』
「…いや」
信乃は僅かに憎悪を滲ませた表情で、吐き捨てる。
「奴じゃない。俺の故郷を滅ぼしたのは、女の鬼だ」
その怨敵の顔を、信乃は覚えている。
家を燃やし、家族を喰らったあの鬼の顔を覚えている。
その鬼こそが、信乃の追っている仇敵。
信乃が殺さなければならない相手だ。
『そうか。それは良かったと言うべきか、悪かったと言うべきか』
「悪かったに決まっているだろう。奴だろうと無かろうと、鬼は全て殺す」
誰かの為ではなく、ただ自分の為に。
他の鬼も奴と同類だ。
全てこの手で殺して見せる。
「それで、お前の要件は何だ?」
『ああ、忘れるところだった。君さ。最近、蝦夷君に会ってない?』
「蝦夷、だと?」
同じ直毘衆の顔を思い出し、信乃は顔を顰める。
あまり仲の良くない相手のようだ。
『どうも最近、連絡が付かなくて。天耳も閉じているみたいなんだ』
「………」
『最後に連絡が付いた時は君の近くに居たから、探してくれない?』
「…気が向いたらな」
そう言って信乃は天耳を閉じ、一方的に連絡を切った。
直毘衆が行方不明。
それ自体は然程珍しいことではない。
鬼と戦う者が、鬼に返り討ちに遭うなどよくあることだ。
しかし、
「蝦夷か。何か、嫌な予感がするな」
「きゃああああああああ!」
同じ頃、貝寄村のある民家では女の悲鳴が上がっていた。
血塗れの家屋。
事切れた死体を踏み締め、その男は歪んだ笑みを浮かべた。
「どうして…どうして、こんな酷いことを…!」
「酷い? 俺が?」
キセルを吹かしながら男は、心外だと言いたげに肩を竦めた。
浪人風の古ぼけた着物を纏い、草履を履いた男だ。
ぼさぼさとした黒髪と、鈍く光る黄色の眼。
顔には蜘蛛の刺青をしており、不気味な雰囲気を纏う。
「『鬼切』の邪魔をするのが悪いのさ。さあ、退け」
ちらりと男は女が背に隠している者を見た。
子供くらいの背丈しかない、角を生やした少女を。
「こ、この子は私の娘です! 何を言われようと渡す訳にはいきません!」
「…母は強しってか。やだねー。俺、こう言うのに弱いんだわ」
わざとらしい泣き真似をする男。
「仕方ない。母の愛に免じ、ここは見逃そう」
男は鬼子を護ろうとする女に背を向けた。
女は安堵の息を漏らし、背に庇っていた娘を抱き締める。
「―――神足」
フッと男の姿は消える。
次の瞬間、女の抱いていた鬼子の首が宙を舞った。
ごろりと地面を転がった小さな頭を、男は愉悦と共に踏み締めた。
「く、ははは! ははははははは! 見ろよ、この顔! 自分が死んだことにも気付いてねえ顔だ! くははははははは! 傑作!」
「い、や…いやぁ! 何、で! この人殺し! 人殺し!」
「うるさい」
続けて返す刀で女の首も刎ね飛ばす男。
声が途切れ、女の身体は血の海に沈んだ。
「自分は殺されねえとでも思ったか? 鬼を庇った時点で死刑確定に決まってるだろ。くはは!」
刀に付いた血を払い落しながら、男は嗤った。
鬼も人も、邪魔する者は躊躇なく殺して悦に浸る。
直毘衆は自分の為にしか剣を振るわない。
その原則を最も忠実に守っているのが、この男だ。
名前は蝦夷。
『友切』の蝦夷と呼ばれる直毘衆の一人だった。