リギア堂のお話 その1 <招き猫>
チェシャの町は、海辺の町でございます。
町の南側が魚貝類の宝庫カシュア海でして、この漁港により、チェシャの町は発展しました。町の西側と北側では、それぞれ川と森が隣町との境界になっております。
そして東側は、海に面した丘でして、町を一望できるため、「見晴らしヶ丘」という名前がついております。まあ、丘というのはふもとから見た話でして、「崖」と呼ばれる方もいらっしゃいますが。
その丘に、「リギア堂」はございます。「リギア」とは、「魔術とは生命ある者全てを救うためにある」という基本理念に基づく哲学のことでございます。
最近ではリギア哲学を知る者も減って、嘆かわしい限りですが……。
キィッとドアがためらいがちに開き、リギア堂に本日二番目のお客様がいらっしゃいました。
「いらっしゃいませ! 何をお求めですか?」
店主のリュウが声をかけると、その老人はフンと鼻を鳴らし、ぼそぼそとおっしゃいました。
「暇だったからちょっと寄ってみただけだわ。何か珍しい物でもあるかと思っての」
「いいですよ、それでも。ふーむ、お爺さん、一人暮らしですか……。奥さんは早くに他界、一人娘は二十年前に結婚、デリムの町に住んでいる……。ああ、すみません。失礼致しました」
リュウの言葉に、老人はギョッとして、リュウを恐ろしそうに見ました。
「はは、驚かないでくださいよ。こう見えてもれっきとした魔術士なんですから。それで?はっきりおっしゃってください。何をお求めですか? 貴方は、こんな店にブラッと買い物をしに来るような方ではない。かけてもいい」
老人は、目を見開いて硬直なさいました。リュウに気圧されているのです。
「欲しい物は、何ですか?」
再度、リュウが尋ねます。
「淋しさを消してくれる物が欲しいんじゃ」
ぽつり、と老人はおっしゃいました。
「紛らわせてくれる物でもええ」
「わかりました。ありますよ、もちろん」
そう言って、リュウは棚から招き猫を取り出し、カウンターに置きました。
「貴方に最も相応しいのはこの招き猫だと思いますよ。はは、貴方の家にある物とは違いますよ。これには、妖精の魔法がかかっています。……信じていませんね。でも、本当です」
リュウは微笑み、老人にお茶を出すと、話し始めました。
昔、ロレンツォ王の治世の頃、モダの森に一人暮らしの森番がいました。
今でこそ、モダの森は易商達の要路ですが、その頃はまだ、モダ街道もできていませんでしたから、あの陰鬱な森に来る人など皆無でした。
その森番は大層気難しい老人でしてね。領主を怒らせてしまい、そんな閑職に追いやられてしまったのです。それまでは、領主の館に勤めていたのですが。
元々偏屈だった老人は、孤独によって更に偏屈になっていきました。
彼は、別に人間嫌いではなかった。誰も来やしないモダの森にだんだん嫌気がさして来たんです。
けれど、辞職したらそれこそ領主の思う壺。彼はプライドの高い人でしたから、そんなことは絶対にできませんでした。
そんなある日、怪我を負ったスズメがベランダに迷い込んで来ました。
彼は情に厚い人でしたから、すぐに手当てをしてやりました。すると、ありがとう、人の子よ。かたじけない。と、そのスズメが言いました。
驚いた老人は、おまえは何者じゃ?と尋ねました。
妖精だ。とスズメは答えました。スズメに化けて鳥達と遊んでいた所、ミミズクに襲われてこんなことになってしまった。弱ったままでは元に戻る術もかけられず、困っていたところだ。と。
老人は、その妖精が回復するまで手厚く看病してやりました。久しぶりに話し相手ができたことを喜びながら。
さて、回復した妖精は去り際に――ええ、そうです。お察しの通り、この招き猫を老人にプレゼントしました。
老人は妖精の御礼が案外つまらない物だったことに少しがっかりしつつも、招き猫を棚に飾っておきました。
すると、その日から、古い友人達が度々訪ねて来るようになりました。手紙も頻繁に来るようになりました。
そしてまた、招き猫の効果は人にだけではありませんでした。
ベランダに、沢山の鳥達が集うようになりました。――猫が鳥を招くというのは、なんだかおかしいかもしれませんがね。
――ああ、信じていませんね。でも、本当なんですよ。
え?本当なら、誰からこの話を聞いたのか?何故この招き猫が今ここにあるかって?ええ、それをこれからお話ししましょう。
実は、私の祖父がこの老人の友人の一人でしてね。老人が死ぬ少し前にこの話と一緒に招き猫をもらったんですよ。そして祖父が私の父へ、父が私へとくれたわけです。
さて、これで私の話は終わりです。
「嘘だ!」
リュウの話が終わると、老人は憮然としておっしゃいました。
「おまえの祖父さんだと? だが、おまえは最初にロレンツォ王の治世の頃と言ったではないか! でたらめを言うな。ロレンツォ王が何年前の人だと思っている?」
リュウは静かに答えました。
「今から二百年程前です。」
何か言いたげな老人を冷たい微笑で制し、リュウはからかうように言いました。
「僕、幾歳に見えますか?」
老人ははっとして、畏怖を湛えた瞳でじっとリュウを見つめました。
「おまえさん、ひょっとして、わしよりも年上か?」
老人の問に、リュウはふっと笑って言いました。
「さあ……。ご想像にお任せします。それよりも、この招き猫、千七百ドランですが、買いますか?」
「ああ……。だが、良いのかね? 本当にこの招き猫の効果があるなら、客商売のおまえさんの方が、これを必要とするはずではないのかね?」
「その心配はご無用ですよ。ルビィ、おいで。」
突然、リュウがあたくしを呼びました。
仕方なく、あたくしは窓辺から出て来て、リュウの肩に乗りました。
「僕には、この猫がいますから。」
リュウの言葉に老人は目を細めてあたくしを見、財布から千七百ドランを出してカウンターに置きました。
「ありがとうございました」
リュウはあたくしを腕に抱き、深々と頭を下げました。
「ところでリュウ?」
老人が帰るのを見送ってから、あたくしはさっきからの怒りをリュウにぶつけます。
「このあたくしを招き猫と同列に言うなんて、どういう了見ですの?」
「すまないね。でも、さっきはあれが一番手っ取り早かったんだよ」
「でも、失礼でしてよ! まったく……。それにしても、かなり嘘を混ぜましたわね、さっきの話。」
「本当のことなんて話したら、きっとあのお爺さん、ショック死しちゃうって。」
ケラケラとリュウは笑って言いました。
「だからって、自分の失敗談を他人の話にするのは感心できなくってよ?」
「それは言わないでくれないか?ま、とにかく」
リュウはそっと目を閉じて言いました。
「明日、あのお爺さんの所にお孫さんが訪ねて来るはずだよ。」
この作品は、友人から出された3つのお題を元に書いたものです。
その3つのお題は、<招き猫><ベランダ><スズメ> でした。
リギア堂シリーズは、これからも続きます。
お付き合いいただけますと、幸いです。