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マスターとしての、私の在り方(5)

 僅かな浮遊感の後、ゆっくりと目を開くと先程も体験した光景が目の前に広がっていて。


「どうかした?」


 先程も問いかけられた言葉がそのまま耳に届きました。私は先程とは違って取り乱すことはなく、胸元に手を添えると静かに深呼吸をして、目の前の男性に言葉を投げかける。


「お話が、あります」


 そう切り出すと、目の前の男性も何かを感じ取ったのか姿勢を正すと頷きました。


「うん。聞かせて欲しい」


「ありがとうございます。ちょっと信じられないお話をするかも知れませんし、貴方にとってはショックな内容もあるかも知れません……。それでも、大丈夫ですか?」


「大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。まずなんですけど、そもそも私は貴方の知っている美香さんの姿をお借りしては居ますけど、美香さんではないんです。ごめんなさい」


 私が気まずさを感じながらそう告げると、男性は柔らかいけれどどこか苦いものを噛んだような笑みを浮かべていました。


「なんとなく、そうじゃないかと思いました。急に人が変わったというか……雰囲気が変わった気がしたので」


 私は思わずぽかんとした表情で固まってしまいました。だって、自分の大切な相手が実は容姿を借りているだけで中身は別人ですなんて言われたらなんの冗談かと笑い飛ばすか、少なくない動揺があるはずです。でも、この人はそれを苦笑いしながらも受け止めてしまった。


(あぁ。この人はきっと強い人なんだな……)


「正直、驚きました。こんなことを言い出した私自身がこう言うのもなにかおかしい気はしますが、まさか信じてもらえるとは思いませんでした」


「はは、確かにそうですね。きっと普通は信じることはないんでしょう。ただ、僕は昔とある喫茶店のマスターさんにお世話になったことがあって、その人も不思議なことをする方だったのでそういうこともあるのかな、と思いまして」


 なんてことだろう。この人は霞さんのことを知っていて、そのお客さんになったこともあるんだ。何かに疲れて、絶望して、それで霞さんの協力で前に足を踏み出して、その先で幸せを掴もうとしていたんだ。この人は全然強い人なんかじゃない。ただ強くあろうと努力をしていた人だったんだ。私は、そんな人に今から何を告げようとしているんだ、こんな、酷なことがあっていいんだろうか……。

 私が二の句を告げずに煩悶としていると、男性がそっと。


「大丈夫です。なんとなく、覚悟は出来ていますから」


 そう促してくれて。私はその言葉に思わず胸がひしゃげて潰れてしまうのではと思うほどの痛みを覚えた。けれど、ここまで言ってくれている方に濁して伝えるのも失礼になってしまう。覚悟を、決めなくちゃいけないのは私のほうだ。


「では、お話します。私は、貴方だ先程おっしゃっていた喫茶店のマスターの次の代の者です。今回、私はこの体の本当の持ち主である美香さんをお客さんとしてこうして、ここにいます」


「美香さんが、ですか……。それにあの人の次の代の方ということは、未来の彼女の心になにか大きな傷が出来てしまったということ、ですよね」


「はい、その通りです」


 私が頷くと、男性は深い溜息をついて机に肘をつくと頭を抱えてしまった。


「僕が居ながらどうしてそんなことに……。いや、もしかして僕が、居なかった?」


 私は机の下で膝の上に置いた両手をぎゅっと握るとその言葉を肯定しました。


「はい。貴方はこの場所で美香さんに想いを伝えて婚約されました。ですが、結婚を控えて同棲を始めた最中に、貴方は交通事故に巻き込まれてしまって、帰らぬ人となってしまって……。それが元で私がこうしてここに居ます」


 その言葉を聞いた男性は、頭を抱えながら黙っていて。けれど、その沈黙の中でぽつぽつと机の上に落ちる大粒の涙が彼の心を痛いほどに物語っていました。

 十分に満たない時間が過ぎる頃、男性は鼻声になりながらも私に問いかけてきた。


「お話は、分かりました。マスターの貴女がここに来てこうして僕と話しているということは、僕に出来ることがあるってことですよね? 僕は彼女のために、何が、出来るでしょうか」


「私は、マスターとして美香さんに今の貴方の声を届けることが出来ます。だから、貴方が居なくなってしまった時間の美香さんに伝えたいことを、伝えてあげてください」


「今の僕の声を届けられるんですか……?」


「はい。必ず、届けます」


「分かりました、少し時間をください」


 男性はそう言うとしばらく目を閉じて何を伝えるか思案しているようでした。その表情が真剣そのもので、きっと本当に大切に想っているんだろうと感じました。彼も以前は何かに絶望して苦しんでいたはずなのにも関わらず、前に進もうと努力をして、ここまで人を愛することが出来るのだと思うと感動と同時に、その想いを遂げられなかったことに深い悲しみを抱いた。


「お待たせしました。もう、大丈夫です」


 男性のその言葉に頷いて、私は彼の言葉をこの想い出と一緒にかけらへと溶かし込みました。

今回もここまでご覧下さりありがとうございました!

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