マスターとしての、私の在り方(2)
時間が自分の後ろの方に流れていくような不思議な感覚。目を閉じて、その感覚に逆らわないように心を静かに、穏やかに。何度味わってもこの感覚だけは慣れそうにないなぁ、なんて考えているとふわりとした地面の感触が足の裏を打つ。その感触を合図にゆっくりと目を開くと、今までに見たことのない景色の記憶の原野が広がっていた。
「黒、これは……」
「あぁ、うん。遂に来ちゃったね~。ヒナ、これはね……」
黒はゆっくりと視線を巡らせて、この真っ暗な世界を見渡して。
「絶望に染まってしまった世界だよ」
そう、簡潔に説明してくれた。
「……あの、良い顔で言い切って貰ったところ申し訳ないんですが、絶望に染まった世界ってなんです?」
黒があまりにもやりきった表情で言うものだから思わず私もそういう空気感を出してしまいましたが、そんな話今まで一度も聞いてませんし、遂に来たか……なんて言われても何が何やら……。
「えへへ、ごめんごめん。つい、それっぽい雰囲気を出したくなっちゃって~。でもね、言ったことは間違ってないし、この世界は今までの記憶の原野とは全くの別物だと思ったほうがいい。ここは記憶の持ち主がその記憶をどんどん自分で見えなくしてしまっているんだ。人は心が受け止められないくらい辛いことが起こると、その出来事を忘れるためにそれに関連した幸せな記憶も消してしまう」
「なんとなく、分かります」
「うん。多分誰もがどこか心当たりはあることだと思う。まぁ、普通はここまではならないけれどね。そしてそんな忘れたいという想いが全ての感情を塗りつぶしちゃうとこうやって真っ暗な世界になるんだ。そしてこの世界を元の姿に戻せるかどうかで、マスターとして次の階梯に上がれるかどうかが決まる」
「次の階梯に上がれるとかそういうことはひとまず置いておくとして、この人のために私はどうすればいいんですか?」
マスターとしてのお仕事はもちろん大切だし、私もそのことはちゃんと理解できている。けれど、マスターとしてどうとういう以前に人としてどう在りたいか、そちらの方が私は大切だと思う。少なくとも、お姉さんのあの表情や、記憶の原野のこの状況を見て、自分のスキルアップを優先させたいと私は思わない。
「ま、ヒナならそう言うと思ったよ~。良いかい? この世界はいわば蓋をされたお鍋の中なんだよ。中に入っているものが消えたわけじゃなくて、見えなくなっているだけなんだ。つまり、やること自体は普段と変わらない、その方法が少しだけ難しくなるだけなんだ」
「つまり、この人を助けたいなら私がスキルアップするしかないと、そういうことですか?」
「そうなるねぇ~」
「はぁ……。だったら最初からそう言えば良かったじゃないですか。それで? なにをどう変えればいいんですか?」
「ん~、なんて言ったら良いのかなぁ。自分の中でコンセプトを決めるんだよ」
「コンセプトですか?」
「そうだなぁ、マスターとして振るう力のコンセプトとでも言ったらいいかな? 例えば先代である霞のコンセプトは『寄り添う』ことだったからマスターとしての力もそういう力だったんだ。今のヒナは初期から持ってるレベル1の技でずっと戦ってるみたいなものでね? コンセプトを決めることで自分だけの力をこれからは身につけていかなくちゃなんだ~」
「なるほど……?」
自分の中でのコンセプト……。幸せな気持ちになって欲しい、っていうのはきっとマスターであれば誰もが思っていることだろうし、今まで私はそれしか考えていなかった。霞さんが『寄り添う』ことがコンセプトだったって言うのは凄く納得が出来る。霞さん自身がの持つ空気がそんな感じだったし。でも、私は? 自分自身がどういう想いで動いているかなんて考えたこともなかった。けれど、なんとなく。なんとなく、私はきっと自分が誰かにして欲しい事をずっとしているんだと思う。だからきっと私は……。
「『暖める』ことが、私のコンセプトだと思います。誰かの心を暖めて癒やしたい。そうして癒やされた人たちの暖かさに触れることで私自身も暖かさを感じたい。それが、私です」
今回も読んでくださりありがとうございました!
今の時世では外出自粛が叫ばれており、皆様も様々なご苦労がお有りかと存じますが、こんな時こそどうかゆるりと物語に浸かって行って頂ければ幸甚でございます。
それでは、また次回にお会いしましょう!




