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私と、先代と、マスターのお仕事(9)

 心が地面に縫い付けられて離れられない感覚が一番最初に戻ってきて、無理に引き剥がしてしまったら私が壊れてしまう恐怖が私を蝕んでくる。体の芯から凍えきってばらばらになってしまうようだ。

 どんどん悪いイメージばかりが湧いてきてどろどろに溶けてしまいそうになった私の手に暖かい何かが触れて、そこから次第に私が私の形を取り戻していく。


「ヒナ!」


 黒に名前を呼ばれて私は自分が浅い息を繰り返しながら目を開けていることに気が付きました。私の右手には黒と主さんが触れてくれていて、徐々に体の感覚も戻ってきました。


「私は、どうして……?」


 自分がどうしてこんなことになったのか思い出せなくて、私は黒にそう尋ねました。


「ごめんね、ごめんねヒナ……。まさかここまで影響が出るとは僕も思っていなかったんだ……。ヒナはね、主の感情の色を視た途端倒れちゃったんだ。一歩間違えたら死んじゃってたかもしれない。僕の考えが甘かったんだ、本当にごめんね……。戻ってきてくれてよかった……」


 黒のこんな泣きそうな顔を見たのは初めてで、私はどうしたら良いのか分からず慌ててしまいました。同時に、自分が何を視てこうなったのかを思い出して、また冷たくなるのを感じましたがそれをぐっと押し留めました。


「私は大丈夫です黒。それよりも私が視たあれは一体なんだったんですか?」


「あれは……、あれこそが呪い、だよ。ヒナは僕が思っていたよりもその影響を受けやすかったんだ、だから視た反動で倒れちゃったの。そしてあれが主の病そのもの。僕たちはあの呪いを祓うためにマスターに協力してもらってるんだ」


「あれが、呪いですか……。確かに今まで視たことの無い色でもう感情だと認識するのも難しいくらいに多くの色が折り重なっていたように感じます。でも、だとしてもあれは……」


「うん、分かるよ。なんとなく分かる。ヒナが聞きたいこと。あの呪いは一人で抱え込める、集められる量じゃないって聞きたいんでしょう?」


 私は自分が聞きたかったことを正確に言い当てられて頷きました。なんだかやけに喉が乾く気がして唾を飲み込みました。


「あれはね、僕たち猫神全員の抱えていた呪いを主が肩代わりしたものなんだ。あの呪いは元々はもっと単純だった。でも僕たちじゃ簡単に飲み込まれてしまうくらいの強さはあったんだ。前にも少し話したけれど、僕たちの中から呪いに飲み込まれてしまう者が出てきた。僕たち猫神が呪いに飲み込まれるとね、幸福な感情を与えるどころか自分たちを飲み込んだ呪いよりも大きな呪いを振りまいてしまう。もっと具体的に言えば、記憶の原野を破壊してしまうんだ」


「記憶の原野を破壊するって……。でもそんなことをしたらその人は」


「うん。確実に人ではなくなるね。体のことじゃなくて、心が人ではなくなってしまう」


 私は黒のその言葉に今までのお仕事を思い出して、あの苦しさと優しさが入り混じっているどうしようもなく人間らしさのかたまりの記憶の原野が壊れてしまったら、もしも自分がそうなってしまったらと考えると足元が抜けてどこまでも底がない穴に落ちていくような思いでした。


「だからこそ、僕たちが呪いに飲み込まれてしまうことは避けなくちゃいけなかった。その結果、主は僕たちの誰よりも大きな力を持っていても自らのバランスをどうにか保つことしかできなくなってしまったんだ」


「でも、でも……。あんな呪いを受けていたらどんなに力があっても苦しくないわけなんてないです」


 私が視たあれが一体どれほどの苦しみを主さんに与えているのか。それが痛みとして感じるのかそれとも精神的な苦しみとしてあるのか。私にはそれすらも分かりませんでした。そうやって想像しようとしても出来なくて悩んでいると霞さんが私の肩に触れて。


「だから、私達マスターがいるのよ。主の苦しみを少しでも取り除いて解いてあげるためにね。それが私達の本当のお仕事。そのために人々を癒やし、その思い出のかけらを集めるの」


 そう説明してくれた。けれど、私には未だにどうして思い出のかけらがあの呪いを祓うためになるのかだけが分かりませんでした。


「どうして思い出のかけらが必要なんですか?」


 聞かずにはいられなかった。そこが曖昧なままだと私はこれ以上踏み込めない気がしたから。すると、霞さんは先程取り出していた小瓶を小さく振って。


「それは今から説明……、ううん。実際に見てもらったほうが早いわね。それにどの道ヒナちゃんが新しいマスターになったのならこれはやらなくちゃいけないことなのよ。新しいマスターはその初めての仕事で手に入れた思い出のかけらを主に対して渡さくちゃいけない。いうならばテストね」


「テスト、ですか」


 それに不合格だったらどうなるか、なんてことは聞けなかったし、聞こうとは思わなかった。それを聞いてしまうのは自分のしてきたお仕事を否定することになるし、全力で向き合っていなかったと言っているのと変わらないと思ったから。それだけは、したくなかった。


「不合格だったら、って聞かなくてもいいの?」


「はい」


「どうして?」


「私はもう、私自身を否定することはしたくありませんから」


 私がそう言うと霞さんは小さく微笑んだ。ただそれだけだったけれど、私は私自身の思いを肯定してもらったと、確かにそう感じた。

今回もここまで読んでくださった皆さんへ、ありがとうございます!

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