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海の見えるこの町で、私のお仕事

私が、おすすめはいかがですか? と聞くと、お客さんはそれで大丈夫です。と言ってくれたので、私はにこやかに頷くと、すぐに集中力を高めて、黒を呼びました。

 

 私と黒は契約で結ばれているので、お互いの考えや、今いる位置などが大まかにわかります。その中でも、便利だなぁ、と感じているのがこの相互のテレパシーです。

 


(黒、聞こえますか? 仕事の時間ですよ)


 私がそう話しかけると、少し間延びした声で黒が返事をしました。


(ん~? お客さん来たの? 分かったよ、すぐ戻るねぇ)


 私一人でもお仕事は出来ないことはないのですが、万が一の時に黒が居ないと対処が出来ないので、黒が戻るまでは、私に出来る準備を進めます。

 ティーポットを棚から出して、茶葉を選び、ティーメジャーを用意しました。

 お客さんをちらり、と見ると、背中が丸まって、うつむいてしまっていました。


(これは、早く淹れてあげないと)


 私がそんなことを考えていると、足元にはいつの間にか黒猫が一匹現れていて。


「待ってましたよ、黒。それじゃあ、始めましょうか」


 私がそう言うと、黒猫は一度厨房の方へ入っていき、すぐに可憐さと美しさを兼ね備えた女性が出てきました。


「ヒナ、お待たせぇ。それじゃ、始めようかぁ」


 彼女が私の契約している猫神の黒です。彼女の長い黒髪と、怪しく光る翠の目は、見ているだけで吸い込まれそうなほどで。

 私は、黒に頷くと、お仕事を始めます。


「『開け、心の門。私の呼びかけに応えよ。暖かき記憶をこの手に』」


 私がそう唱えると、目の前の景色は先程までとは全く違うものになっていて、広大な宇宙のような空間に、無数のひし形の結晶が浮かんでいました。結晶はどれも、透明で、同じような形をしています。

 ここは、記憶の原野。人の記憶が結晶として保管されている場所です。私達マスターは、この結晶の中から、その人の今の状態に合った幸せの記憶を探し、その記憶から幸せの欠片を生成します。

 後ろを振り向くと、大きな門があり、私は今この門を通ってこの原野に入ってきました。原野では、門に近い所から新しい結晶が生成されていて、奥に行けば奥に行くほど、古い記憶の結晶になっています。


 私は原野に入ったことを確認すると、隣を見ました。そこには、黒が浮かんでいて、ちゃんといつもどおりに出来ていることに安心します。


「ごめんなさい、黒。私が早く一人前になれば私だけでも不安はないのですが……」


「いいよぉ。僕だって何もしないのは退屈だからねぇ」


 この原野で、結晶を壊したり、傷つけたりしてしまうと、その人の心に影響が出てしまうため、万が一のそんなことが起きてしまった時は黒がその結晶を修復出来るので、私が半人前の今はまだ、黒に付いて来てもらっています。マスターも、一人前になれば結晶の修復が出来るらしいのですが、今の私は半人前なのでそれが出来ません。


 それでも、私が他のマスターよりも優れている点を上げるとすれば、やはりこの“眼”でしょう。本来であれば、マスターは結晶の中の記憶をひとつずつ覗いて回って、幸福な記憶だと判断した結晶から欠片を生成します。ですが、私の眼は“視た”相手の感情を色として見分けることが出来ます。なので、全ての結晶を覗いて回らなくても、色でその人がどの結晶で、どんな感情を抱いていたのかが分かるのです。


「では、始めます」


 私は、短く言うと、自分の中の眼のスイッチを、オフからオンに入れました。

 すると、先程までは透明だった結晶が一斉に色づき、鮮やかな世界が広がりました。

 私はまず、比較的新しい記憶の中から、お客さんの心の疲れの原因を探すことにします。


「あぁ、これですね」


 少し探しただけで、明らかにそこから結晶の色が変わっていっている場所を見つけて、私は、その始まりの結晶を覗きました。


「あのおっさん、入社して二十年経つのに未だに平社員やってるらしいぜ?」


「マジかよ。あぁはなりたくないもんだな」


「君、このままだとこの会社に居られないよ? 相手をうまく丸め込んで契約を取ってこないと」


「貴方は僕みたいな若い上司にこんな扱いを受けて平気なんですか? なぜ努力をしないんです?」


 そんな無数の言葉の刃が振りかざされているのを見て、私はいたたまれない気持ちになりました。

 結晶の中では、その記憶の持ち主の心の声が聞こえて、お客さんが、必死に心で叫んでいるのが聞こえました。


「俺は、こんな人を騙すようにして、金を得るようなことがしたくて働いているんじゃないんだっ! もっと、誰かの支えになれる、そんな仕事がしたかったんだっ……!」


 転職をしてしまえば良い。そう言うのは簡単です。ですが、長年勤めてきた会社を辞めるというのは、とても勇気とエネルギーがいることだと思います。


「ひょっとしたら、転職をする以外に解決方法はないのかもしれません。ですが、それでも、今この瞬間を救うのが私のお仕事ですから」


 私はそう零すと、奥へ、奥へと進んでいきました。お客さんが、幸せだった頃の記憶を探して。


 暫く進むと、淡い黄色の結晶がありました。その結晶からは、確かな暖かさが伝わってきて、私はその結晶を覗き込みます。すると……。


「僕は、この会社で少しでも、困っている人に手を差し伸べられるような仕事をしたいと思います! 実は、僕の祖母が大きな病をした時に、保険を利用したのですが、色々な理由をつけられて、援助を断られてしまって……。だから、僕は同じような人が少しでも救われるように、この会社で困っている人たちのために働きたいんです! 生意気だって、思われるかもしれませんけど、これが僕の本心なんですっ」


 お客さんの面影を感じる若い人が、面接室であろう部屋で、相手に自分の熱量を伝えるように、目を輝かせていました。相手の方を見ると、六十代であろう老齢の男性が笑顔で頷いていました。


「うん、若さだね。私は君のその夢はとても尊いと思う。他の者は何を青臭いと言うかも知れないが、私は君を応援しよう。採用するよ。私の会社をもっと人の温もりを感じる会社にして欲しい。よろしく頼むね」


 そう言われたお客さんの心には、確かな幸せが溢れていました。

 私は、今のお客さんの心には、この記憶から、欠片を生成するのが一番良いと感じました。


「黒、私この記憶にします」


「うん。良いと思うよぉ。大丈夫、ヒナの思うままにやってみて」


 私は、黒に微笑みを返すと、目を閉じて結晶に手を触れて、手のひらに欠片が生成されるイメージをしました。出来る限り、この時の幸福を余すことなく欠片に込められるように。


 目を開けて、手のひらを見ると、黄色の小さな欠片が生成されていて、私はそれを確認すると、元の世界へと戻りました。


 元の世界に戻ると、汲み立てのお水をポットで沸かし、ティーポットで丁寧に紅茶を淹れます。出来上がった紅茶をカップに淹れると、先程生成した欠片をカップの中に入れて、ゆっくりとかき混ぜると、欠片は紅茶に溶けていきました。


「お待たせしました。こちら、当店のおすすめの紅茶となります。ゆっくりと、お楽しみください」


 お客さんの前に紅茶を差し出すと、お客さんは頼んでいたことすら忘れていたような顔で、「あぁ、ありがとう。いただきます」と言って紅茶を口に含みました。


 一口飲むと、お客さんは驚いた様子で、カップを見つめ、二口飲めば、先程までの灰色は消えて、三口飲んだところで、お客さんの口元には確かな微笑みが浮かんでいました。


「あぁ、なんだろうこの紅茶は。なんだ昔の事を思い出すようだ……」


 私は微笑むと、お客さんに、「よろしければ、聞かせてもらえませんか?」と言いました。

 お客さんはどこか恥ずかしそうにしながらも、あの結晶で見てきた記憶のことを話してくれて、私はそれを聞きながら、それとなく、お客さんの背中を押しました。


「きっと、お客さんのような人がこの世界には必要なんですよ。お客さんのような人を待っている人がいると思います。だから、どうか、諦めないでください。自分を諦めないでください」


 私がそう言うと、お客さんの目には、あの記憶の熱が戻ってきて。


「あぁ、ありがとう。なんだか心が軽くなったよ。そうだ、俺は社長と約束したんだ。絶対に、悲しむ人を一人でも減らすんだって。こうしちゃいられない! 会社に戻ってプレゼンの資料を作るよ! 一度ダメだったとしても諦めるものか。何度だって、やってやる!」


「はい、頑張ってください。もしもまた苦しくなったら、紅茶を飲みに来てくださいね」


「あぁ、ありがとう! じゃあ、俺は行くよ。お会計、お願いできるかな」


 そう言われた私は微笑むと、お客さんに言いました。


「本日の一杯は私たちからのサービスです。一杯の幸せを、楽しんでいただけましたか?」


「そんな……。いや、うん。きっとまた来て、その時は沢山注文するよ。あぁ、幸せな時間だった。ありがとう!」


 私はお客さんを店先まで見送ると、店内に戻りました。


「黒、どうでしたか? 上手く、やれてましたかね?」


「うん。大丈夫。ちゃんと出来てたよぉ」


「そうですか、それなら良かったです」


 私と黒はお互いに微笑むと、誰かの支えになれた幸せな時間を噛み締めていました。すると、突然頭にチョップを落とされて、何事かと振り返ると、遥が立っていました。


「よかねぇよ。毎回タダで提供しやがって。良いものを作ったら対価を得る。それもひとつの優しさだぞ」


「痛いです、遥。そういう遥だって私からタダで紅茶をもらっているじゃないですか」


「あっ、あれはあれだよ。うん」


「あれねぇ?」


 私がそう言うと、遥は無視して厨房の方へと戻っていってしまいました。


「ん~。遥ももう大丈夫そうだねぇ。あの時はどうなるかなぁと思ったけど」


 黒がぽつりとそう零して、あくびをしました。


「そうですね、あの時はどうなるかと思いました」


 私はそう言うと、遥との出会いを思い出しながら、紅茶を淹れました。


1話でキャラが多すぎてどんなキャラか分かりづらいとのご指摘がありましたが、2話からは各キャラの掘り下げをしていくので、のんびりとお付き合いください。

3話からは遥との出会いのお話になります。

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