私と、先代と、マスターのお仕事
私がこの町に来た時の話を遥にしてから幾日か経った頃、『スミレ』にいつもとは違う緊張が走っていました。と、いうのも閉店したお店のカウンターにいつのまにやら、高齢の女性が座っていたのです。私達はお店のクローズ作業をしていたとはいえ、誰かが入ってこれば気が付きますし、そもそもお店の入り口の鍵は先程閉めたはず。この女性はいったいどこから現れたのでしょうか……。私は、念の為彼女の事を視ましたが、そこにはふわふわとした印象の桜色があるだけで、敵意なんてかけらも感じ取れませんでした。
女性は私達をにこにこと見つめるだけで、特に何かを注文してくるわけでもなく、かと言ってこのまま何も対応せずに居るわけにもいかず、私は意を決して女性に話しかけました。
「お客様、すみません当店はもう閉店の時間でして……」
すると女性は私の眼を暫く見つめたあとに口を開きました。
「ふぅん。貴女が今のマスターなのね? ふんふん。確かにあの子が好きそうな感じがするわね」
私はなんのことか分からなかったけれど、どうやらこのお客さんは私がマスターになる前のこのお店のことを知っているようだった。あの子、とはもしかしたら黒のことだろうか? けれど、だとしたらこの人は黒の正体を知っていることになる。私は、すぐに黒にテレパシーをすることにした。
(黒、もしかしたらあなたの正体を知っているかも知れないお客さんが来ているのですが、どうしましょうか?)
すると、黒はすぐに反応してくれましたが、どこか怪訝そうな声で。
(んん? 僕の正体を知っているお客さんって言っても、なんとなく察している人たちは多いからなぁ……。でもそれをあえてヒナに伝えるお客さんって誰だろう……? 僕も気になるからすぐにそっちに行くよー)
「お客様はもしかして黒のことを訪ねてこられたのですか? もしそうでしたらもうすぐ戻るはずですので……」
テレパシーでの短い会話を終えて私が女性にそう伝えると、女性は喉をくつくつと笑いながら。
「良いのよヒナちゃん。私だって急に知らない人が自分のお店のカウンターに座ってたら驚くもの。ちゃんとお客さんの可能性を考えてあの子に連絡を取ったのは正しいと思うし、私に対して警戒心を持ってしまってるのも貴女は悪くないわ?」
私はその言葉を聞いた瞬間喉の奥が変な音を立てました。私と黒の間でのやりとりはテレパシーで行っているので他の人には伝わらないはずなのに、この人は私が黒に連絡したことを理解しているのです。完全に黒のことを知っている。それにもしかしたらこの人は……。
「もしかして、貴女もマスターなんですか……?」
そう、猫神との契約をしている人間ならもしかしたら他者のテレパシーも聞けるのかも知れないと私は思ったのです。けれどこの質問は一か八かです。敵意は感じないけれど、だからと言って完全に信用していいかどうかは別問題なのですから、もしもこの女性が私達と同じ存在でないのなら警戒すべき相手に自分たちがどういう存在なのかを察せる材料を渡してしまったことになる。私はじっくりと女性の眼を見つめながら答えを待ちました。
「元。マスターかしらね。けれど今のはあまり良くない賭けだったわよ? 現役の他のマスターに同じことをしたらきっと怒られていたでしょうね?」
女性はそう言いながら笑っていましたが、その目の奥は決して笑顔のそれではなくて、どことなく厳しさを感じる視線を私に向けていました。私がその視線に冷や汗を流すと、ちょうど黒が戻ってきました。
「は~い、僕が戻ったよ……。んん!? 霞!? あれ、なんでここにいるの? え、というか君、亡くなって僕らの主の所に召し抱えられてたよね?」
黒が驚いてまくしたてる言葉の中に無視できない言葉があったのを私は聞き逃しませんでした。
「ちょちょちょ、待って下さい黒。亡くなっている方だって言いましたか今!」
「あらあら、二人と主落ち着きなさいな? 揃ったことだしちゃんと説明してあげるから。ほら、そこの見習いの子たちもいらっしゃいな。えぇっと、タイムくんとミントちゃんだったかしらね?」
女性のその言葉で警戒心むき出しで固まっていたタイムくんとミントちゃんが黒の顔をちらりと見て、黒がうなずくとおずおずとこちらに歩いてきました。ちなみに、遥は今日は葛城に行くということでクローズ作業には居ませんでした。こんな時に限って居ないとはなんてタイミングの悪い子なのでしょうか。
「別に取って食べたりしないわよ? 三人ともそんなに警戒しなくて大丈夫だから、ね? ええと、今は黒だったかしら。あなた私の写真を見せたりしてなかったの?」
「いや~、そのうちアルバムでも見せようかなぁって思ってて忘れてたんだよね~」
「本当にあなたは相変わらずぬけてるんだから……。じゃあほら、ちゃんとこの子達に私が誰なのか説明してあげて?」
「は~い。あのね、この人は元マスターで、ヒナから見たら先代のこのお店のマスターだよ。ちなみに亡くなってるけれど、僕らの主に気に入られて亡くなった後は主のお世話係として僕らの世界で働いてくれてるよ~」
私はその説明を聞いて、乾いた喉を潤すように喉をごくりと鳴らしながら唾液を飲み込むと、恐る恐る……。
「えっと、なくなってからも留まっているって言うことはもしかして……」
「そう、私は幽霊です!」
「~~~~~!!!!!」
その答えを聞いて声にならない声を上げて逃げ出そうとして転んで頭をテーブルにぶつけた結果、私の意識は途切れたのでした。
ここから物語の本筋に入っていく……予定です。