海の見えるこの町に、私が来る前の話
――あの子、人の心を見透かしてるみたいで『キモチワルイ』
私の絶望を象徴するその言葉が、頭の中で反響する。幼い頃は、よく気が利くいい子と言われていたが、いつしかその評価は、なんでも見透かす気味が悪いやつに変わってしまっていた。
私は、物心ついた頃から他者の抱いている感情が視えた。それがどうやら普通ではないと気がついたのは、小学校に上がった頃だ。小学生の女子にありがちな、占いがブームになった時、その気付きは起こった。
私が人の感情をあまりに当てると噂になったのだ。それまで私は他のみんなもそうだと思っていたけれど、どうやらそうではないらしいと察した。私はその日家に帰るとすぐに母親にそのことを相談した。以前にも母親にはそのことについて話していたが、幼子の想像の話だと思っていたそうだ。私の話を黙って聞いていたママは私が話し終えると真剣な表情になって、「その話を他の人にしちゃだめだよ」と私に言いました。その時のママからは嫌な感情はなにも感じませんでした。むしろ、私を守ろうとしてくれていたと今では思います。
けれど、私は人に喜んでもらえるのになんで視ちゃいけないのかを理解できず、小学校を卒業し、中学校に入学してからも、クラスメイトや教師の感情を視ては、その時々で相手が求めているであろう言動をしていました。
人の感情が視えるなら、誰かの助けになるように行動することが私にとっても相手にとっても最も理想的だと、そう思っていたからです。
そんなことを続けていると、一部の人たちから私は疎まれるようになりました。悪目立ちしすぎてしまったのだと思います。
そして、そんな人達の中に小学校時代の同級生だった子も居て、その子が私が他人の感情が視えると言っていたことを周囲に話した途端、私のことを疎ましく思っていた人たちからの嫌がらせが始まりました。
「おっはよー不思議ちゃん! 今日の私の感情は何色かなー? あなたのことキモチワルイって思ってるんだけど視えるー?」
「おい見ろよ、あいつが例の自称視える奴だぜ。なんか薄気味悪くね?」
陰口になっていない陰口が日に日に増えていく。けれど、陰口で済んでいればまだ良い方で、私の上履きや体操着がなくなることもありました。中には後ろからこっそりついてきていたのか、トイレの個室に入るとドアを叩き、くすくす笑いながら走って逃げていく人もいて。私は、どうして自分がこんな目に合わなければならないのかと、毎日がただ苦しくて、辛くて、次第にそれまで仲良くしてきた友人たちとも距離を取るようになりました。
そんなことがあったから、私は高校を受験する際地元を離れて、遠い場所を選びました。高校に入学してからは、目立たないように初めから他者との距離を取って、もちろん感情を視ることもやめて。
友達が出来ることがなくても、平穏な日常が送れるというだけで私は嬉しかった。けれど、そんな日常も二年の中頃になると、嫌でも意識しなくてはならないことが出てくる。進路だ。
私はこれ以上学校というコミュニティに属していたくなかったから、就職をしようと考えていたけれど、ひとり親で育ててきてくれているママは私が金銭的な遠慮をしていると考えたようで、強く勧められるままに大学に進学した。
特に目的もなく大学に進学すると講義に身が入ることもなく、それでも投げ出すことも出来ず、せめてもとアルバイトをしながら将来の就職に備えている内に気がつけば卒業していた。
大学時代に恋人が居たこともあったけれど、付き合いだしてすぐの頃に私が相手のことを知ろうとして感情を視てしまったことで、別れている。
そして、三年の後期から始めていた就職活動もことごとく失敗して今こうして、私はこの町に来ている。
ずっと、逃げてきた。私は絶望に溺れることが嫌で、向き合うことなく逃げ続けてきた。
他者の感情を、心を覗き見てきた代償だというのに、私自身の心に向き合うことを避けてきた卑怯者だ。
私は、もうこれ以上逃げなくていいように、自分自身と向き合うためにこの町に来たんだ。
きっと、今この質問をされたことは意味がある。運命めいていると言っても良い。
思い出せ、私が絶望に足を掴まれていた時本当に欲しかったもの。
心が痛みを叫びながら欲していたそれは……。
急に更新しだしてどうしたと思われるかも知れませんが、自分でも分からないです!
書きだめはしていませんでした!
ここまで期間が空いてしまっているので、気になったところがあれば過去の部分もまた目を通していただけると助かります。