学校へ行こう8
「勇騎君は強いね、自分が見えているし、少しも迷わないなんて。」
「感情が他人よりも薄いだけです。それにこうは言っていますが、こっちに来るまで俺は、自分の将来なんて何も思い描いてなんかいなかったし、何も期待もしていなかった。
明日死んでもそれで十分だと思っていました。理想もなく信念もなく、ただ死ぬように生きていただけです。その分人の事が良く見えるというものです。」
「まぁ、元々中二病は全開だったわね。」
「?」
「それにしても、ずいぶんと偉そうにご高説してくれるわね。昔から思っていたけど、教師だろうが、誰だろうがその物言い何様よって感じ(笑)」
「森川先生は何様でなくては人の話は聞けませんか?」
「そういう事言ってないでしょ、そう言う所よ。誰が行ったかは重要じゃない、言葉の中身が重要だ。誰だってそんな事を分かってはいるのよ。
でも、社会で平穏に生きていくためにはそうもいかない。」
「そういう大人にはなりたくないものです。」
「ならないわよ、君はそれに、私が言いたいのはそうじゃなくて、そういう誰も分かっているところをしたり顔で演説するのがあなたの悪い癖。少しは流して言葉のキャッチボールを大切にしなさい。いちいち突っかかってたら、あなたじゃなくて話してる相手が大変よ。人生経験豊富な同級生の忠告は聞けない?」
「……聞けますよ。善処するかは分かりませんが、」
「そうね、それでも、努力してみて、そういえば、今、美森さんの所にお世話になっているようだけど、弟君いるでしょ。ゆかりちゃん、この間見かけたけど、あ!」
森川はゆかりに勇騎がフラれた事を思い出した。
その直後に勇騎がいなくなり、行方不明となり、その噂はすぐに消えていたが、あの勇騎が告白をしたという事自体が、瞬く間に噂を広げる事となった。
「……別に気にしていませんよ。告白も、別に好きだったわけじゃない。それで何変わるかもって思っただけです。結局、それを見透かされただけですけど。」
そう言いながらも勇騎の顔は明確に赤くなっている。
「どんな感じなの、初恋の人が弟君と結婚してるって。」
「別に初恋とかそういうんじゃないんですって、」
「……」
話さなければ逃がさないという雰囲気に根負けし、勇騎が口を開く。
「俺は、死んだ両親に負い目なんてありません。元々俺に構うなと言っていたし、仲も他人が引くほど悪かった、父親の事を父親と呼ぶし、母親の事も母親って呼んでいました。それが異常だとも思わない関係性でした。義務を果たせ、それで俺は役割を果たすと、
でも、健侍に、弟には迷惑をかけたと思っています。
こういう性格の俺がいて、周りから白い目で見られて、俺がいなくなってもまだ俺は迷惑をかけた。なのに俺の事を恨まずに、俺が生きていることを喜んでくれた。
俺が俺だって疑問も持たずに受け入れた。
今じゃあいつの方が大人なのに俺をまだ兄でいさせてくれる。」
「……」
「ゆかりさんは、俺がいた時間よりもずっと長い時間を一緒にいて支えてくれた。
俺は、まともに健侍に向かい合って話した記憶がほとんどありません。
記憶にあるのは必要な連絡、必要な監視それだけです。
あぁ、勘違いしないでください。別に後悔しているわけじゃないんです。
でも幸せになって欲しいとは願っているんです。
今の俺が記憶にある時間よりも長い時間、俺がいない世界をみんな生きている。
それで世は事もなし、健侍もゆかりさんも、大人になって幸せに暮らしている。
生きた時間が思い出になって、子供がいて、落ち着ける家があって、俺は健侍の事もゆかりさんの事もただただ敬意と、感謝しかありません。
俺に関わって、幸せになってくれてありがとう、って」
「勇騎君、」
感傷的になったのか、勇騎は森川から目を離し、おもむろに、フェンスをよじ登り、柵の上に腰かけ夕暮れから夕闇に変わった空を眺め、話を続ける。
「普通だったら、こういう状況だったら、絶望したり、途方にくれたり、喪失感に襲われたりしないといけないんだと思います。
でも、全部なくなって俺が初めて生きている気がしました。
誰も俺を必要としない世界、俺に責任を負わなくていい世界、誰も悲しまなくていい、何も遠慮することはない。俺は初めて自由に『気付けた』
これが夢なら醒めないでくれ、これが現実であってくれ、僕はそう思いながらいつも、夜目を閉じます。」
森川はその言葉を聞いた瞬間、彼が勇騎本人であるすっと受け入れる事が出来た。
あぁ、そうだ、そう考えれば、昔の彼の事も理解できるし、今の彼も昔のままだ。
「20年、俺が生きた時間よりも長い時間を俺は超えてここにいる。
森川さんと一緒にいた時間も半年くらいなものです。俺はそれがつい前日のことですが
森川さんにしてみれば、20年前の話。
しかも俺、態度最悪だったですよね。すみません。きっといい思い出なんてないはずです。
なのに、昔の何でもない事を、たったそれだけの事を覚えてくれて気にかけてくれている。
感謝してますよ、森川先生。だから、俺は先生に幸せになって欲しいです。
俺、教師の中で一番信頼していますよ、森川先生の事。」
「ありがと、」
郷愁に浸る会話を終え、二人は階段を降りていく。
「ちなみにですけど、俺が得体のしれない化物だったらどうします?」
「……別にどうもしない。というよりどうもできない。
もし勇騎君がそういう化物だとして、この学校の中で生徒を傷つけるのなら私は身を挺して生徒を守る。もし町中で知らない誰かを傷つけるのなら私は知らないふりをして逃げる。
でも、あえて言うなら、昔の勇騎君より今の勇騎君の方が私は好きだな」
「そうですか、それはさぞ、昔の僕は評判が悪かったようですね。」
「……」
勇騎は今までに見せた事のない屈託のない笑顔を彼女に向ける。初めて目にする無防備な勇騎の顔。
「どうかしましたか?」
「冷静に考えれば、見かけもショタ、頭脳もショタ、だけど法的には大人、つまりは合法ショタ。勇騎君。今晩、個人レッスンどう?」
「……遠慮します。」
「あら、勇騎君は年上は好みじゃない?いろいろ教えて、あ、げ、る。
最近ご無沙汰で、ねぇ、いいでしょ。同級生なんだし、そういうの大学だとよくあるから。」
「残念ながら俺は高校生です!なんですかそれ、俺の信頼返してください。」
勇騎は森川を残し、飛び降りるように階段を駆け下り瞬く間にその場からいなくなった。
「落ち込んではいないみたいで、でもまぁ、よかったかな。
こんなに話してくれることなかったから、いつも一人で、自分にも興味がない、陰のあった勇騎君が、楽しそうにして、」
他者とのコミュニケーションに妥協点なく、ただ我を貫く、いつだって正論を吐き、
場の空気を読まず、ただ自分の意志と行動を貫く、体育祭の練習中に理不尽を強要する上級生に対して正論を口にし、一歩も引かずに、言葉でねじ伏せ、不条理な暴力に対しては、それ以上の暴力をもって応じる。
相手が誰であろうと、言葉で自分を否定するなら、言葉で、力で屈服させようとするものなら力で、相手の心を折る。
なのに、今は気遣いができている。
「……今の勇騎君が本当の君なら、きっと友達になれてた、よね。」