夜の宿、一筋の光がさして
私は旅人だ。
あてのない、旅をしている。
その日はもう、暗くなって、早いところ寝る場所を確保しなければ、と思っていた。
幸い、季節は夏の終わり、野宿でも問題ないのだが、この辺りは少し物騒だと聞いたのだ。何が物騒か、それについては、よくわからないのだが。
とにかく、安全な場所を探さなくては。
「よお、旅人さん。もしかして、宿でも探してんのかい?」
暗がりで後ろから急に声をかけられ、私は少し驚いたが、初老の爺さんがランプを片手に近寄ってきていたようだった。顔はよく見えない。信頼していいものか、と思いながら私は素直に、はい、と答えた。
「それならうちにくればいい。わしもちょうど、帰り道なんでな。」
どこかにひっかかりを感じながらも、私は信じてみることにした。爺さんの後を静かに歩いていくと、ポツンと佇む民家が見えはじめた。
「まぁ、あがんな。婆さんが死んでからは、あんまり綺麗にはしてないが、寝るだけならいいだろ。」
爺さんは持っていたランプを机に置くと、薄暗い部屋でさっさと鞄を置いて服を脱いだ。ぼんやり明るい部屋で、やっと顔が見えたが、やはり70くらいの爺さんであった。
「すみません、感謝します。一晩寝たらすぐ出発しますので、お構いなく。」
私もリュックと上着を脱いだ。もう寝るだけなのか、爺さんは寝床の準備を始めた。
「あんたは、ここで寝るといい。それと、これ、疲れているだろ、快眠できるぞ、良かったら飲んでくれ。私は二階に部屋があってな。まぁ、ここは好きに使ってくれよ。遠慮はいらん。」
好意はすごく嬉しいが、私はやはり何かひっかかるものを感じて、素直にありがとうが言えなかった。何がひっかかるのか、わからない。私はその酒のような匂いのする瓶を手に取り、一口飲んでみた。
「会ったばかりなのに、いろいろと助かります。この辺りは物騒だと聞いていて、安全な場所で寝ることができて、本当にありがたいです。」
カマをかけたつもりだった。私の真意を見抜いたのか、爺さんは一呼吸置いて、私に向き直り言った。
「あぁ、物騒、ねぇ。何が出るやら知らないが、私はそんな怖い目にあったことはないがな。噂だろう、ただの。じゃあな、わしはもう寝るから、おやすみ。」
そう軽くかわされ、私は確かめようのない不安とともに、眠るしかなかった。眠気は徐々に私を襲い、あっという間に眠りに落ちた。
これは夢なのか、と思った。
ぼんやり、灯が見える。
何かが、いる。
ガタガタ。
ひどく眠いが、やはり何かがいる気配が、する。
何かが。
気がつくと朝だった。窓からの強い光で私は目を覚ました。随分とよく寝た気がする、昨晩の酒のせいだろうか。
そして、深夜起きた夢のような体験は、一体なんだったのか、記憶は曖昧だった。ゆっくりと体を起こし、身支度をして、爺さんを起こす前に家を出ようと思っていたのだが、昨日置いたリュックが、ない。
不思議に思って、そこらじゅうを探すが、やはりない。まさかと思い、爺さんのいる二階へ上がってみた。爺さんは確かにそこにいた。集中して本を読んでいる。そして傍らには私のリュックが置かれている。
「それは、私の!」
そう言い終える前に、そうカリカリしなさんな、と爺さんはこちらを振り返った。
しかし朝になってよく見ると、この家は、随分使われていないように見える。所々に埃と蜘蛛の巣、乱雑に置かれた家具や日用品が、古くなってカビている。
これはまさか、と私は推理した。
この人の良さそうな爺さんは、この空き家を使って旅人招き入れ、夜中のうちに金目のものを盗んでトンズラする盗人だったのだ。きっとあの酒のようなものには、睡眠薬でも入っていたのだろう。私はもう少し自分の勘を信じるべきだった。この辺りが物騒というのは、この盗人のことだったのだ。
しかし、その爺さんが、まだ私の目の前にいる。推理したものの、私は予想だにしない出来事に、何も言えず、ただ見つめた。
「ちとあんたに、興味があってな。ちゃんと問いたださないと、どうも気持ちが悪くて。中身は何もとってない。まぁとるようなものは何もなかったがな。これ以外は。」
爺さんはあの悪魔の本を振りかざし言った。あまりに悪びれた様子もない爺さんに、私は怒る気にもなれず、キョトンとしていた。
「夜中、荷物だけ持って出ようと思ったんだ。だが、あんたはこんなに暑いのに、ずっと靴下や手袋までつけたまま眠りよる。不思議に思ってわしはあんたの手袋をとってみた。何かあるに違いないと感じたんだ。そう、あんたのその皮膚は、普通じゃない。」
それか、と私は合点がいった。私は、今更むき出しになっている手に気が付いた。普通の人がこれを見たら、確かに気になって仕方がないだろう。
私の皮膚は徐々に感覚が消え、黒ずみ出した。手足はもちろん、既に身体中真っ黒で、まるで黒の絵の具でも塗ったかのような色をしていた。それを隠すようにずっと手袋や靴下、真夏でも長袖でいる私だったが、盗人がそんなことを気にして盗みをやめるのだろうか?私は納得がいかなかった。
「あぁ、そうそう、わしは嘗て医者だった。婆さんが死ぬまでは。婆さんはずっと体が弱くてな。それを治すのが、わしの使命だと思っていた。しかし、その思いは届かず、あっけなく逝っちまったよ。わしは、何もできないヤブ医者。婆さんが死んでから医者なんざ、やる気が失せたね。しかしな、その皮膚を見て、尋常ではないと思った。医者だった頃の血が騒いだかな。」
私は徐々に体が黒ずんでいったことを話した。筋肉は動くが、皮膚感覚は全くないことも。
「そうか、ううむ。医者の見解から言って、神経性の病気か。しかし原因が全くわからない。病気じゃないなら、もしかして。」
爺さんは黙り込んだ。私は、何かを掴めるのかと期待した。しかし医者では治しようのないことを知って、落胆した。
「なんとなくだが、その皮膚、そしてあんたは悪魔の本を持っている。これは何か繋がりがある気がするんだ。そう、魔術的な何かだ。」
やはり私は何かしらの契約を結び、対価を支払っているのだろう。その時の記憶が取り戻せれば、いいのだが。私は爺さんの言葉に、集中した。
「この先、北にずっといくとな、小さな村があるんだ。そこの魔法に詳しい婆さんがおった気がする。行ってみるといい。」
魔法。その言葉は私に光を与えた。やっと具体的な手がかりをつかんだのだ。あてのない旅は、理由を取り戻していく。私はすぐにでも出かけたい気分だった。
「おっと、この情報に対価は必要だよな?」
爺さんはニヤリとした。私は盗人である爺さんのことを忘れていた。対価、対価。
「おーけー、この本で手を打とう。」
爺さんはその古びた本を指差し、またもニヤリとした。
その後爺さんは手早く身支度をすると、先に家を後にした。その足取りはまるで踊っているかのようだった。そんなにあの本は貴重だったのだろうか。それより私は、先の村でのことが気になって仕方がなかった。私もリュックを背負うと、足早に北を目指した。
季節は秋を迎えようとしている、そんな日のことだった。私は希望を持って、歩き出した。