罪と罰、過去の虚像を掠めて
私は旅人だ。
あてのない、旅をしている。
太陽が照りつける日。
ここは潮風の気持ちいい、海岸だった。海が見えると、心が少し高鳴り、私は足早に浜辺へと近付いた。海はとても透明度が高く、白砂はさらさらと足に絡みついた。波と戯れていると、沖の方から声がした。
「おーい!」
その声の方向へ目線をやると、日に焼けた少年が私に手を振っていた。私も躊躇いながら遠慮がちに手を振り返すと、少年は私の元へ颯爽と泳ぎだした。
「君はこの辺に住んでいるのかい?」
私は浜に上がる少年に尋ねた。少年は、濡れた体を太陽にかざしながら寝そべると、私に答えた。
「うん、少し行った所の、村に住んでるよ。」
どうやら少年は、海で魚を獲っていたようだ。持っていた網の中の魚が、数匹跳ねた。
「ねぇ、よかったら、うちに来ない?お母さんもきっと喜ぶよ。」
綺麗な瞳で私を見つめながら、少年は言う。褐色の肌は、白砂と海、青い空にもよく映えていた。私がにこりと微笑むと、少年は嬉しそうに私の手を取って歩き出した。
村は、五分ほど歩いたところに、ポツンとあった。活気のある、小さな村だった。しかし、その活気とは裏腹に、村人たちは、少年と私から距離を置くかのように、避けていく。そして私達が通り過ぎると、コソコソと話を始めるのだ。不審に思った私は、少年に小さく尋ねた。
「君は、有名人なのかい?」
少年は真正面を向いて足早に歩いたまま、何も答えなかった。さっきまでの人懐っこい笑顔は想像もできないほどに、少年の表情は固かった。
やがて、彼の家にたどり着いたようだった。
「ただいまー!」
ドアを開けると、少年はまた海辺の時と同じ表情になった。きっと何かあると思いつつ、聞くタイミングを失ってしまった私は、玄関に立ちすくんでいた。
「お客さん?あらまぁ、あがってあがって。」
母親も少年と同じく、人懐っこい性格のようだ。私の背中を押して部屋に招き入れると、冷たいレモネードを注いでくれた。少年がそれをすぐに飲み干して、着替えてくる、と二階に上がったのを見計らって、私は先ほどの疑問を、母親にぶつけてみた。
「あの、息子さんはこの村で有名なのですか?」
急な質問に、母親は戸惑っているようだったが、すぐに思い当たったようだ。
「多分、あの子の父親のことね。彼は罪を犯したの。理由はわからない、でも村の人を殺してしまった。その後、彼は逃げるように村を出たわ。村の人は、その罪を償うのは残された私達だと思っているようね。でも私達は何も知らされないまま、突然父親を失っただけなのよ。私達は、今日を生きるのに精一杯なの。」
私は、会ってすぐに込み入ったことを聞いてしまったと、少し後悔した。しかし少年があの時何も言わなかったことは、理解できた。
突然失踪した、殺人者の父親。そして、村にとどまることしかできない、残された家族。
私は、いっそここから勇気を出して引っ越すことを考えた方がいいのではないか、と思った。しかし少年はあの海が好きで、母親はいつか父親が帰ってくることを予感しているように思えた。帰ってくれば罪が償え、また平穏な日々が戻ってくると、希望を抱いている気がしてならなかった。
「お母さん、今日のご飯はなあに?」
そう叫びながら、階段を駆け下りてきた少年。母親はパッと表情を変え、にこやかに答えた。
「今日はご馳走を作らなくちゃね。お客様が見えているんだもの。ちょっと待っててね。」
夕食は、和やかで平和な時間だった。裏の畑で育てている野菜や、飼育している鶏の卵、そして少年の獲ってきた魚を使った料理は、どれもとても美味しかった。彼らはこうして村に馴染めないままでも、ちゃんと生活しているのだった。
少年は、父親について語ることはなかった。しかし、海が大好きなこと、いつか漁師になりたいこと、母親をもっと幸せにしたいことなど、話してくれた。母親はそれを聞いて、目を潤ませていた。それはとても微笑ましい光景だった。
私は会話をしながら、この空気感を、どこかで味わったような気がしていた。懐かしさで、胸が苦しかった。しかし、やはり細かなことが思い出せず、もどかしい気持ちでいた。
次の日、身支度をして出かける私に、少年は言った。
「もし、旅の途中、途方に暮れている男を見かけたら、すぐ帰るように伝えて。」
ああわかった、と私は言い、小さく手を振って家を後にした。少年と母親は、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。私は歩きながら、あの二人に本当の幸せが訪れることを、切に願った。