第二話 旅立ち
あれから何時間立ったのだろう?
リュヒータが目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。周囲を見渡すように小さく顔を動かすと、どこかの客間のような部屋だと気が付いた。
「リュー、起きたのね」
振り返ると、父の妹である叔母が心配そうな顔をしていた。
「大丈夫かい? 大火事があったらしいけど、あんたは奇跡的に無事だったらしいけど……」
何を言ってあげればいいのかわからない、という表情を見ながら、リュヒータは冷めた表情で尋ねた。
「兄さん……いや、レンウィッド、見なかった?」
「レンウィッド? さあねぇ。あの子は仕事でいなかったらしいんだけど、火事の後、あんたをここにおいていなくなっちまった」
「いなくなった?」
「レンウィッドを尋ねて部下がやってきたんだけどね? レンウィッドが仕事場にも来ていないようなんだよ。まったく、どこに行っちまったのかね」
叔母は腰が痛そうに背をさすっていたが、ふと、思い出したように言った。
「リュー、そういえば、この前にあんたの母親のアマンダから預かりものがあったんだよ。何かあったとき、リューに渡してほしいって」
「……預かりもの?」
叔母さんが持ってきたのは彼女の背丈の七割ほどはある長い杖。先端に魔力増強効果のある魔晶石があしらわれ、その彼女の瞳と同じ紫色をしたこぶし大の宝石を滑らかな杖を構成する木が優しく包み込んでいる。そして、その宝石の横には天使の羽のような翼の飾りがあしらわれ、まるで賢者の杖のようだ。
「誰の杖?」
「あんたが学園を卒業する記念に渡そうかって話になっていたんだけどね。でも、最近きな臭い雰囲気になってきたし、万が一何かあったら困るからって、うちに預けていったのさ」
「あたしの、杖……」
リュヒータは杖を抱きしめると、杖の宝石が光り始めた。そして、光が強くなったり弱くなったりと、明滅を繰り返し、その反応が強くなり始める。
叔母さんはかなり戸惑っているので、並みのことではないのかもしれない。そう、リュヒータは感じながら杖を手放そうか迷っていた。
ふと、その光が杖から離れ、明滅を繰り返しながらゆっくりとリュヒータの横に降り、その光がゆっくりとずんぐりとした楕円形のボールみたいな形になっていく。その楕円の下部分にささやかで、本当に歩けるのだろうかと思えるほど小さな足が生え、そして、リュヒータから見て反対側、ネズミの尾のように細長い尻尾が生える。その尻尾の先には謎のガーベラみたいな花。
光が消えた時、楕円形ボール体形のずんぐりした、猫みたいな形の大きな耳を頭に乗せた獏とも、サメのような鰓がある、サメともいえないような謎の生き物がそこにいた。
「おや、これはバクサメだね」
「バクサメ!?」
何それ! と怪訝な顔をした彼女に、叔母さんは微笑む。
「貴重な生き物なんだよ。バクみたいにずんぐりしていて、サメみたいに鰓がある。でも、陸上を生きる妖精さ」
「これが、妖精?」
「そ。妖精。基本的に人懐っこくて―――」
リュヒータがおっかなびっくり手を伸ばすと、バクサメが口を開けた。ずらりと並んだ鋭い牙がむき出しになり、彼女は勢い良く手を引っ込めて素早く杖を振り下ろすが、杖は叔母さんの手で受け止められてしまった。
「おやめなさいな」
「どこが人懐っこいの!? 噛みつこうとしたわよ!?」
リュヒータは昔、犬に噛まれたことを思い出しながらぶるりと震えると、叔母さんはケラケラと笑った。
「いいから、撫でてごらんなさい」
リュヒータは恐る恐る手を伸ばしてその頭に触れると、むにゅっと柔らかく、そして短く滑らかな毛の生えた、暖かな体に触れることができた。
「あたたかい」
「グアウゥ?」
バクサメがコテンと首―――といっても、どこが首でどこが顔かわからないのだが―――を傾げる。
「よろしくね」
「グアウ!」
ぶんぶんとちぎれそうなほど細い尻尾を振り回すバクサメ。それを見てリュヒータは目を細めた時、叔母さんが言った。
「そうだ、名前を付けてやりなよ」
少し考えていたリュヒータはバクサメに指を突き付けた。
「キューフェリウル・アーシュトルペア・フレヴァートン」
「長くない?」
叔母さんが引くのを余所に彼女は小首を傾げる。
「長いほうが格好よくない?」
「呼ぶとき、どうするの?」
「略してキュー」
リュヒータはキューフェリウル・アーシュトルペア・フレヴァートンもといキューを抱き上げる。キューは嬉しそうに尻尾を振りながら、意外に軽い体で腕を抜け出し、リュヒータの頭に乗っかった。
「グゥー♪」
叔母さんは苦笑した。
「仲良くなったならよかったわ」
リュヒータは叔母さんが部屋を出て行った後、好きに使っていいと言われた部屋のタンスから服を借りることにした。キューを下ろし、おさがりの、でも、そこまで不自然ではない黒いワンピースとソックス、そして魔法使いのローブをまとう。
叔母さんが若いころ使っていたと思しきローブで、見習い魔法使いの意匠であるツタが施されたものだが、とても着心地がよく、軽くて動きやすい。
ワンピースには腰にウェストポーチを身に着け、意外とたっぷり収納できるそれももちろん、この部屋で見つけた借りものである。
ブーツはあらかじめ叔母さんが用意してくれた低価格そうで、尚且つ丈夫そうな編み上げブーツを履いて準備は完了だ。
キューが不思議そうに彼女を見上げて首をかしげると、彼女は瞳の奥に憎悪を燃やして微笑んだ。
「兄さんを殺しに行くのよ。みんなを殺した報いを受けさせるの」
妹の断末魔が耳から離れない。母の切り裂かれた死体と、父親の眉間を貫かれ、一撃で死んでいたあの骸も、みんな殺した。弟も、壊れた屋敷の下敷きになって死んだ。
彼らの無念を晴らせるのはリュヒータ一人なのだ。
「……行くわよ、キュー」
「グワウ!」
リュヒータは颯爽と二階の窓から飛び降り、地面をクッションのごとく柔らかくする魔法を放ち、そのクッション材のように柔らかくなった地面へ着地した。杖の感度も良好のようで、彼女は頬を緩める。
颯爽とローブを翻して歩き出した彼女だったが、ふと、足を止めた。
「たぶん、こっちよね?」
「グアウゥ……」
そんなことをキューがわかるわけはなかったわけで。
とりあえず、情報収集と旅費を稼ぐため、街の商興会議所であるギルドを訪れていた。ギルドはどの町にもあるようで、大きさは異なるようだが、情報を集めるにはここが一番手っ取り早かったりする。
そんなギルドの中でも割と大きなギルドがあるのがこのリアヌという街である。
ギルドの中は、受付があり、その近くにクエストボードが張り出されていて、そこからクエストを受注するという流れになっている。ただ、たいていは前金を支払う方式であり、しかも、登録に結構お金がかかったりする。
そして、リュヒータは今、所持金ゼロである。
そんな状態で受けられるクエストも限られているが、クエストを受けに来たわけではないので彼女はバーのほうへまっすぐに向かう。
ギルドの中には受付と、その奥に酒場も併設され、飲んだくれている人間が少なからずいるわけで。
ちなみに、酒場の反対側のスペースにはそこそこ大きなカジノも用意されている。
情報を得るなら、飲んだくれから話を聞いたほうが口が軽い。……というテッパン法則にのっかって彼女は酒場に進もうとしたが、その前に、酒臭い男に肩を抱かれた。ゾワリと鳥肌が立つ。
「よぉ、お嬢さん。お子様が来るような場所じゃねぇぞ?」
「うるさい、黙れ」
鋭く睨み付けると、酒臭いおっさんはケラケラと笑った。
「おお、すまん。で、クエストかな?」
勢いに押されたのか距離をとっているおっさんに彼女は冷ややかに告げる。
「レンウィッドって男を知らない?」
「レンウィッド? あぁ、あの小僧。魔導士団長にのし上がった男だろう? そいつ、行方不明だって聞いたんだけど?:」
「そうよ。その男を一発殴りたいんだけど、どこにいるのか知っている?」
「んー、知ってはいるが……タダじゃあ教えられないなぁ」
チッとリュヒータが舌打ちし、おっさんに指を向けた時、キューがハムッとリュヒータの頭を甘噛みした。
「い、痛い痛い! キュー、痛いってば!」
慌てながらキューを離そうとすると、キューは甘噛みをやめた。おっさんはいつ抜いたのかわからない剣を収める。
「おやおや、そっちのペットのほうが賢いなぁ?」
リュヒータはムッとした時、キューがペッと何かを吐き出した。リュヒータは地面に落ちたものを拾い上げると、それは母親がいつも身に着けていたペンダントだった。
「これって……?」
失くしたと笑っていたのに、なぜ、キューが持っているのか。疑問に思っているものの、キューはすまし顔で受け流す。
おっさんが目を細めた。
「なるほどなぁ。アマンダの身内か」
「母さんを知っているの?」
「知っているも何も、学生時代は付き合っていたからな。ま、俺が振られたけど! とはいえ、そんな形見をいただくと、呪われそうだし、しゃーないからタダでやるよ。次からはきちんと金を払うことだ」
「ありがとう……ございます」
「へへっ、いいんだよ。……酔っぱらいの戯言だからな」
そう言っておっさんはため息を漏らした。
「とはいえ、レンウィッド自体の目撃情報じゃなく、草原に奴の部下の目撃情報があった。しかも、ごく近い側近の男の、な。最近、一緒に行動していたらしいし、そいつを追いかければいいんじゃないか?」
何か知っているかもしれないし、とおっさんが付け加えると、リュヒータは顔を引き締めて深々と頭を下げた。キューは頭を下げる前、肩に移っており、無事だ。
「ありがとうございます」
「いいってことよ。あ、そうだ。ギルドカード、作らないか?」
「お金、かかるならいらないわ」
「俺のおごりでってことで」
「なんでそこまでするわけ?」
「暇つぶしになりそうだなって、そう思って。各所にあるギルドでいろいろと手助けしてもらえるようになるし、身分証明にもなるから、な?」
「……わかったわよ」
ため息交じりに彼女は同意し、仕方がなく彼女はギルドカードを作ったわけだが、そのせいで30分以上もロスしたことに少し憤慨していた。
とはいえ、無料で情報をもらった以上は致し方のないことだとあきらめかけていたのだが。
Character Topix
リュヒータ・フレヴァートン:主人公。青と灰の魔法使い。
キュー:本名、キューフェリウル・アーシュトルペア・フレヴァートン。リュヒータの名付けのセンスが垣間見える。バクサメという妖精……らしい。