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博物館

作者: コメタニ

 フードコートは昼のピークタイムが終わり空席が目立ち始めていた。三浦梢はバーガーセットを載せたトレイを手に席を求めて辺りを見回しながらゆっくりと歩を進めていた。すると石田隆の姿が目に入った。彼はラーメン丼を前にスマホをいじっている。どんぶりに箸が置かれているところをみるとすでに食事を終えたところなのだろう、テーブル上のようすから彼はひとりだけのようだった。これまで見たことのない革製のジャンパー姿にひととき躊躇をしたが、三浦は彼のテーブルに向かった。

「こんにちは、石田君」

「あ、三浦さん。こんにちは、今あがりですか」

「うん。ひとり? ここ座ってもいいかな?」

「はい、俺ひとりです。どうぞ」彼はスマホを置くとどんぶりが載ったトレイを少し手前に引いた。その笑顔はまさに接客マニュアルで指導されたそのものであり、三浦は自分もそんな笑顔をしているのだろうかと思いながら席に着いた。

「今日も混んでたから疲れちゃった。お腹もぺこぺこ」彼女はシューストリングポテトを一本摘まんで口に放り込んだ。無意識に塩加減を吟味していることに気がついて心の中で苦笑する。

「閉店が決まってからずいぶんと混むようになりましたよね。さっき上の階の売り場も見て回って来たんですけど、どこもお客さんでいっぱいでしたよ。閉店セールのおかげなんでしょうけど、もっと前から来てくれていれば、ここも潰れることはなかったのに」彼はフードコートを見回しながら言った。

「今日はお買い物に来たの?」

「休みといっても家にいてもやることもないし、結局ここに来ちゃうんです。ぶらぶらと店の中を回りながらちょっとした買い物をして時間を潰してました。他に行く所もないし」

 彼女も彼の視線を追うように見回した。ふたつ隣のテーブルで小学生の4人組がカードゲームに興じているのが目に入る。「ここが無くなったらあの子たちはどこに行くのかな」独り言のように呟いた。

「どこに行くんでしょうね。いつもここで過していたお年寄りたちも」

「ここの跡地にみんながまた集まれるような施設が建てばいいのにね」

「なにが出来るかはまだ決まっていないんですか?」

「うん、まだ未定らしいよ。石田君はなにが出来ればいいと思う?」

「そうですね、なにがいいかなあ……」彼は視線を宙に漂わせていたが、ふいにまた例の笑顔をつくり軽く会釈をした。彼女の肩越しに、店のカウンターにいる誰かと視線が合ったのだろう。そして彼女も背中に視線を感じている。ふと奇妙な静寂の時が生まれる。

「ここを辞めたあとは決まった?」

 彼女の問いに、彼は紙コップのストローをすすり間をつくった。ズズッという音が紙コップの中で響き、それが彼女の耳にエンプティアラームのように聞こえる。「いいえ、まだ決めてませんけど。梢さんは?」

「わたしもまだ。少しのんびり過して、それから次のことを考えようかなって思ってる」

「のんびりですか。いいですね」

「どこで働くにしても遠くなっちゃって、ここのようなわけにはいかないしね」

 そのとき、女の声が石田に向けられた。「こらっ、石田。ラーメンなんか食べて」

 ふたりがぎょっとして見ると、同僚の松村里香であった。客席に商品を届けて戻るところなのだろう、ユニフォーム姿にトレイを小脇に抱え、数字が書かれたプレートを指先に引っ掛けるように持ち、にやにやしながら立っていた。「うちのバーガーを食べろ、マネージャーも怒ってるぞ」

「なんだよ、たまにはいいだろ。ここのラーメンも食べてみたかったんだよ」

「冗談だよ。ところで石田、東京に行くんだって? いいなあ、わたしも東京に住みたいよ。でも親が絶対だめだって言うし」

 その言葉に石田はちらりと三浦を見た。ふたりの目が合う。彼はふたたび松村に向き合って言った。

「落ち着いたら遊びにおいでよ。案内するから」

「やったあ、楽しみにしてるね。あ、いけない、早く戻らないとマネージャーが睨んでる。じゃあね。三浦さん、お疲れさまでした」

 松村はいそいそと店内に戻って行き、石田はその後姿をぼんやりとした表情で眺めていた。三浦はそんな彼を見つめながら、自分の右の親指と人差し指の指先が無意識に左の薬指の根元を探っていることに気がついた。それは彼女が考え事を--多くは望ましくない物事についてだったが--しているときの癖であったが、今は指先が硬質で滑らかな金属の感触を得ることはなかった。一時期そこにあったリングが自室の引き出しの奥で眠りについてから久しい。彼女はそのリングに、ひととき彼女を悩ませたあれこれを封印したように思えていたが、同時に潜在的に持っていたある種の力をも失ってしまったような気がしていた。

 そのときカードゲームの少年のひとりが小さく声をあげた。「やったあ」反射的に石田はそちらを見た。

 それをきっかけに、三浦は彼に言った。「今の話だけど……東京って」

 彼はストローに口をつけたが今度は音は鳴らなかった。ゆっくりとした動作で紙コップを置いて彼は言った。「はい。上京することに決めました」まっすぐに彼女を見つめる。

「そうなんだ……」

「叔父の会社で雇ってもらえることになって、アパートも決まって来週には引っ越す予定です」

「来週に⁉ 寂しくなっちゃうね」

「突然のことですみません。前々から話はあったんですが、店が閉まる今がいい機会だと思って。発つ前に梢さんにお会い出来てよかったです」彼は微かにほほ笑んだ。彼女はその笑顔を新鮮に感じた。

「わたしも会えてよかった。向こうでも頑張ってね。たまには帰ってくるんでしょ? その時にまた会えたらいいね」

「そうですね」彼は言った。そしてフードコートを再び見回して言葉を続けた。「あの……さっきの話ですけど」

「さっきの? なんだっけ」

「ここの跡地の話ですけど、俺は動物園がいいな」

「動物園?」

「はい。絶滅危惧種やすでに絶滅した動物を集めた動物園」

「でも、絶滅した動物は集められないよ」

「そっか、それもそうですね……だったら博物館。いなくなってしまった動物たちの化石や骨や剥製を専門に陳列した博物館がいいです」

「絶滅した動物たちの博物館……」彼女は、暗い部屋で名も知らぬ大きな獣の剥製に囲まれた自分の姿を思い浮かべた。

 彼はスマホを手に取り画面を見た。「そろそろ行かないと。いままでありがとうございました。それじゃ、三浦さんお元気で」

「石田君も、元気でね」

 彼はトレイを持ち上げると軽く一礼し、バーガーショップとは反対の方向へ去って行った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「コメタニ」の世界だね この手の機微を文字にするの巧いよね [気になる点] コメタニワールドだと、普通に絶滅種の剥製が展示されていそう 館長「あぁ、捕獲するのに苦労したんですよ。あれらが…
[一言] 深いですねー。 2回読みました。最初は三浦さん視点で読み、次は石田君視点で…。 三浦さんの心の機微が、所々にさりげなく文章に表れていて、…そのさりげなさが良いです。 いろいろ考えさせて…
[良い点] 情景が見えるような、空気を感じられるような場の描写が上手いと思いました。熱からずぬるすぎず。 [一言] 梢さんの気持ちがよくわからなくて想像に確信が持てません。 神視点なので恋愛がテーマじ…
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