決め手は無垢である事
街の人達は同調してくれましたが、すぐに戦って勝てるものでもありません。それは誰もが理解していました、たとえ現れた救世主がどれだけ強い女傑であったとしても、一人で相手取れる数は高が知れています。三人の兵士達が行方を眩ませた事で警戒も強くなっていますから、しばらくの間は潜伏する事に決まりました。
「いい? ここ……街のてっぺんにあるのがヴィンスフェルト王家の城。凄く大きいわ。兵舍も内包していて、ここ数年でどんどん城仕えが増えてきてるの。もう街の人間よりも多くなってるかも知れない」
その間にボクは街の事をお姉ちゃんたちに教わって、どう戦えばいいのか考えられるようにしておかなくちゃいけなかったんだ。
ルトにはいずれ軍議に参加して貰う必要がありましたからね、言い出しっぺの女神様が話し合いをすっぽかしたら全部台無しになりますから。
「街から階段を上がっていかなくちゃだめだから、攻めにくそうだね」
「その通り。街に囲まれる格好になっているから有利に見えるけれど、実際に競り合えばこちらの補給はしづらく、向こうからは簡単に狙い撃てるわ」
セリアの言に付け足しながら、ジュンが床に広げられた街の見取り図を忌々しげに睨み付けます。もしかしたら、隣にいた僕もその時そうしていたかもしれません。
「何度か占領した他国から報復を受けた時も、この構造のせいで敵の進行ルートは街の正門から一直線に続く階段での白兵戦に絞られていたんだ。だから少数精鋭で守り通せている……そりゃそうだよ、そうやって攻めなきゃ市民に被害が出るからね、まともな神経してる奴ならそんな事はしてこない」
普通は守る戦いになった場合、市民を真っ先に誘導し退避させるか街の入り口に全兵力を置きます。しかしアレスタリアの軍はいつも引きこもっている……結局、王城はうまいこと街の人達を利用していたんです。搾り取って、黙らせて、いざとなれば盾にする。周りの国からは反感を買っているから、みんな迫害を恐れて下手に移住もできません。僕達は人質にされているも同然でした。
「でもボクたちだったら少し自由にやれるね。一番つらいのはまともに戦える人がぜんぜんいない事だけど……」
こんな戦況とすら言えない状態で人々を率いて貰うのは、これ以上ない程無茶な相談でした。隠れて少し鍛練していた人なら何人かいるかも知れませんが、僕達を含めた街の人間ほぼ全員が包丁より大きな刃物を持った事すらないという体たらくでしたから……。そう思ったら、いきなり水を差すような言葉をルトにかけてしまっていました。
「ルト……早いうちに言っておくけど、無理だと思ったら投げ出しても構わないからね。昨日今日来た君が僕達のためにここまでする義理はないんだから」
「う~ん、義理とか借りは釣り合わないかもだけど……恩ならあるから。放っておく事だって出来たのにエイルとお姉ちゃんはボクを家に連れていってくれたし、みんな苦しいのにボクに晩ごはん食べさせてくれた」
僕は、気付けば手が震えていました。真っ白になるまで拳を握って……目の前で真剣に地図を眺めているルトを嫌悪する感情すら湧いていたと思います、この子が兵士を迷いなく殺してみせた事。実は人間一人一人の命なんて一度の食事一晩の寝床と同じ位の価値しかないと考えているんじゃないかと、その時は感じたんです。
「あんな……あんな固いパンと何品かの付け合わせで君は人を殺せるのか、自分の命をかけられるって言うのか! 君はどこかおかしいよ……普通は怖がったり、嫌がったりするだろ? 君のような人ばかりが未来にはいると言うなら、僕は未来が恐ろしいよ」
困らせるような事を言っているのは理解していました。僕達のためを思ってとはいえ真っ先に兵士に手をあげてしまったのはルトなのだから、ルトが責任を感じるのも分かるんです。それでも、多少無理矢理にでも口を挟まずにいられなかったのは、頭のどこかでその子を巻き込みたくないと思っていたんでしょう。
「君は家族を助けようとしてくれた。それが逆効果だったとして、普通はその責をすすんで負ったりはしないよ……落ち込んで、怒って、逃げ出すはずなんだ。そうする気は……本当にないの?」
ここまでやらせておきながら、ずるい問いでした。どう答えるにしても言い出しにくい事でしょう。ルトはうつむいてしまいます。
「お兄ちゃん……」
本当は僕が勇気を出して兵士を斬り付け、僕が負わなければならない役目だったんです。ルトは何の関係もない……なのに顔を上げたルトは、それを投げ出す気は微塵もなさそうでした。
「エイル……「普通」って、そんなにいいかな?」
ルトにはそんなつもりはなかっただろうけど、胸の内を見透かされているような恐ろしさがありました。僕は「それが普通」と言ってルトにそうさせようとしていたんですから。
「ボクは人間の普通っていうの、よくわかんないんだ。そりゃ当たり前って意味では使うけどそれがどんなものなのか、そうする事が何でいいのかわかんない。ボクの育った所ではみんなが自分なりの全力だった、色んな強さの全力の集まりが環境だったんだ。でも自分が普通じゃない事だけは知ってたし、そのおかげでそんな所にいられたから普通じゃなくてよかったって思ってるんだ」
あの時エイル達にはボクがどんな風に育ったって事結局言わなかったから、ちょっと分かりにくかったかもね。
「えっと何が言いたいかっていうと……こうしなきゃじゃなくてこうしたいって思う事すればいいと思うんだ。ボク、行く所がないのを拾ってくれた人がいるの。ボクは恩を返そうとするんだけど、ボクがその人にしてあげられる事なんてとっても小さくて全然釣り合わない。でもその人はボクが全力でやってるって分かってくれてるから、そんなの気にしないでよくしてくれる。そこにはすごくいい関係があると思ってるよ。やってる事の大きい小さいはどうでもよくて、よくしてくれた人達にはよくしてあげたいなって思ったから、ボクはエイル達のために戦ってみたいんだ」
そこまで言うとルトは恥ずかしそうに目を泳がせてあんまり喋るのうまくなくてごめんね、と付け加えましたが、僕はとっくにその考え方に惹かれルトの言った事を何度も反芻していました。行商人なんていう等価交換の生活をしていたから渇いていたんでしょうか。なんて凄い子なんだって、僕もこの子に少しでもよくしてあげたいって思ったんです。




