癌はどこへ行っても…
「やれやれ、おちおち歩けもしねぇ」
「この辺りはほとぼりが冷めるまで避けた方が無難ですね」
崖をくり抜いた洞穴に構えられた店に入って、シャルとエイルはため息をつく。それというのも騒ぎの発端が背中に罵声を浴びながら全く悪びれていないからであった。
「みんなこのミナ様が可愛いから嫉妬してるのよ。あーやだやだ心が貧しいってかわいそう」
「こんなんじゃみんな怒ってあたりまえだよ……」
大抵の事はありのまま受け入れるルトまでが剥き出しの茶色い石壁に寄りかかり、やるせなさそうに肩を落とす。
「ねえ。おじさん達、お客? どっちかというと匿って欲しそうにしてるけど」
声のした方を振り返ると様々な商品の入った大きなバスケットが乱雑に並べられる店の奥に、暇そうに頬杖をついた少年が顔だけ覗かせてこちらに視線を送っていた。
「あ、ああ悪い。少しおいてくれ。しっかり看板を見る暇もなかったんだけど、ここは何なんだ?」
「ふーん、まあいいよ。どうせ退屈だったし。うちはね……」
受け答えてシャルは周囲を見回す。大人が一人入れるくらいあるバスケットはここの町の人達にとって荷車のようなものなのだろう、町を歩いていた時にこれを吊り下げて飛んでゆく姿をちらりと見かけた気がする。中身は……鎌や手拭いやら、よく分からない粉末の入った皮袋などだ。
早速ミナがシャル達に……いや、少年にも聞き取れるように声を潜ませる。
「なんか感じ悪いがきんちょじゃない?」
あんたの方がよっぽどね、とミミルに肘打ちを喰らってまた舌打ちをする。
(たった一言二言で何がわかるって言うんだよ)
人の評価や扱いをすぐに決める人間がシャルは嫌いだ。もちろん、それを言ったらミナにも自分達の思いもよらない事情や過去があるのかも知れないが。
「……農具屋だよ、おじさん。生活雑貨もちょっとはあるけどね」
「シャル、これ多分肥料じゃないかな、人間が作った方の」
ルトが皮袋のパサパサとした白い粉に触って、指についたのを払い落としつつ推測する。それらを聞いてミナはやたらと強く声を張り上げた。
「はあ!? 何考えてんの? んなもん売れる訳ねえし!」
少年の目が煩わしそうに少し細くなる。そう思うこと自体は無理もない。この街は深い崖に沿って作られているから、土の地面はあまりないのだ。あるとすれば町の外、地上だろうが……。
「あの環境では植物が一から育つことは不可能ですよね」
エイルがさっきまで己の身体で味わってきた激しい風雪を思い浮かべて渋い顔をする。少年は頬杖をついたまま眠そうに答えた。
「そりゃあある程度大きくなるまでは無理だね。それまではここみたいな洞窟の中に土を持ち込んで育てるんだ、光を出すコケが沢山あってね、案外よく育つんだよ」
「そういえば……この町には電気が全然ないわね」
「でんき……?」
「あっううん、何でもない何でもない」
よく見ると横穴になっている店内は外から射し込んで来る光だけではなく天井や隅っこの岩肌にうっすらと黄色く光るモノが散見され、随所に焚かれたかがり火と併せてフィアレスの生活に利用されているようだ。
「その後は……実際に行ってみた方が早いんじゃない? 多分ここで聞いても信じられないと思うからさ」
「そうだな、もうそろそろ外も落ち着いただろ」
「シャル~これ買って欲しいんだけどダメかな?」
ほとぼりが冷めたとみて踵を返そうとすると、ルトがいくつかの巾着袋を持ってきていた。
「いいけど……お前が持ってて何に使うんだ?」
開いてみるとそれは大量の固形肥料であった。豆粒程の黒い塊が、畑が丸ごと一つ肥やせそうなくらい詰め込まれている。
「アルテミスにあげるの! これならぴったりでしょ?」
「うわあ、嬉しいよルト! ボクもう当分これだけでいいくらい!」
なるほど彼女は木の精であるからちょうどいいか。呼ばれてアルテミスがルトの手元に出現、機嫌よく両手を後ろに組んで袋を覗きこんでいるのを見て購入を決めた。気をきかせたフィズがミナを取り押さえた礼も兼ねてとある程度持たせてくれたのだ。
「シャル! あの人顔がないよ! 色も白すぎるし、もしかしてキメラ……!?」
ミナがせがむので渋々見かけた服屋に寄ると、まず目に入って来たものに対してルトが怯えるように喉を鳴らした。
「ああ、あれは……」
「バッカじゃないのマネキンも知らないんだ? どんだけ箱入りだったのよ、実はすっごい田舎者とか?」
教えようとした矢先、ミナはここぞとばかりに侮蔑し始める。ルトはそれを馬鹿正直に受け取って、迷うように首を傾げてしまう。
「箱……? う~んねぇシャル、オルタナって田舎かなぁ? 違ったよね? でもアレスタリアのが見た目は豪華だったからああいう所も他には……」
「シャルシャルってあんたそればっかりだね。何。ファザコンなわけ?」
人とトラブルを起こしすぎて自警団に目を付けられていたはずなのに、彼女は全く懲りずに言葉のナイフを振り回し続ける。こういう所はもはや習性なのかと、全員が溜め息をついた。ルトは言われた意味すらよく分からないままマジメに原因を考えてなんとか反論していく。
「えと、なんだろうそれ……違うよ! ボクはほら、服屋なんて入った事ないから……」
「うっは何それホントありえないんだけどー。そんな子他にいないよ? はぁ、女子力低すぎだろコイツ」
他、というのはどこを指してなぜそんな事が言えるのか、という突っ込みは喉まで出かかっていたが、聞いた所でまた新たな口論になるだけなのが容易に予想できた。
「女子力って……? それって生きていくのにいるの?」
だからもうシャルはこの場は諦め、ただ間に割って入る事にした。
「ルト、もうこいつとは話すな。くだらない事ばっか覚えちまう。俺はそのままのお前が一番好きなんだから何も文句を言われる筋合いなんてないんだよ」
「そう? ……うん」
「くさっ、そういうのやめてくれる? あたしだって好きでついてきてるんじゃないんだから」
あくまで他人を厳しく評価する立場でだけあり続けようとするミナに、たまらずミミルも声を張り上げる。
「あなたねえ! そっちから頼んできたのもう忘れたの!? すぐフィズに突き出しに戻ってもいいのよ!」
「はぁ!? ふっざけんな、嫌に決まってんでしょあんなクソ真面目な空気。イケメンだっていなかったしさ」
「この女……! 置いていけるなら置いていきたい、でも危なくなってる世界を見放す事になるし……」
まるで話にならない。戻ればどうなるか分かっていないのだろうか? たとえフィズ達がシャル達の都合を考慮してもなお穏便に済ませようとしたとしても、この態度ではあっという間に最悪の事態を招くだろう。いや――彼らの中に本気で人を殺せそうな人物がいないと見て高を括っているのか。
ミミルがその場で歯ぎしりしているのをひとしきり堪能してから、彼女は何食わぬ顔で服を選びに行ってしまった。もちろん、シャル達の負担で。
「……でも、シャルさんよくあんな事さらっと言えるなぁ……ルトもあっさり流してるし」
「親子だからじゃない? それにあの二人、ウチの家に来た時だって全然脈なさそうだったからなぁ」
結局その店の服にはどれも翼を通すための穴が背中に開いていて、塞がないと着るには適さず手ぶらで出たのだが、皆の空気は最悪だ。シャルは苛立ち、一見普段通りに振舞うルトは時折涙目になり、ミミルは昔のオルタナでつき従っていた友人達の影を見たのか異常な程ミナを嫌悪している。エイルはそんな三人の事を心配するも下手に関われずおろおろしていて、テオリアだけが普通だったが、やはりミナへの受け答えは冷たくなっていた。
モチベが出ない…理由は言わずもがな。でもこいつ必要なんだよなぁ…




